あの男はだれだろうか。
 その顔がかたちとならない。
 訴える声も思い出せない。

 その存在はにおいのように不確かで、思い出そうとすると霧に流れてしまう。
 ただ、漠とした後悔があった。もう会えない。手の届かないところに行ってしまった。

(――)

 空が青かった。真っ青な大気が光を含み、力に満ちて、胸の上に落ちてきそうだ。 

(――

 またあの夢を見ていた。あの男の夢。

!」

 無遠慮な手に掴まれ、世界が揺れた。
 少年の顔がのぞきこんでいた。

「起きろ。遠藤先生、呼んでる」

「……」

 睫毛の濃い、湿りおびた黒い眸。
 あなたはそのなめらかな首に手をかけた。引きおろし、唇を寄せようとすると、

「ッ……おわッ!」

 彼はいきおいよく飛び退いた。
 ごつん、とあなたは頭を打ち、呻いた。
 からだを起こした。手をついた緑色の床が熱い。

 授業をサボって屋上に避難したことを思い出した。6時限目が終わったらしい。
 打った後頭部が少し痛む。

「ごめん」

 少年は律儀にあやまり、

「遠藤先生がすぐ職員室に来いって。大至急」

 あなたは大きくあくびした。
 頭上の青空がまばゆい。五月の空だ。
 やっと部活の時間だが、まだエンジンがかからなかった。

 あなたは、ガク、と友を呼んだ。コーヒー牛乳を買ってきて、と頼んだ。

「だから、早く起きなって」

 ガクは階段のほうへ歩きだしていた。

「おれこれからバンドの打ち合わせあるから。さっさと立って、職員室行ってきな」

「……」

 あなたはポケットから携帯を取り出した。後輩の短縮を押す。
 コーヒー牛乳、と言いかけると、ガクが飛んできて携帯を奪い取った。

「アホかー! おきなさいって言ってんの!」


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