ためらい
「ご主人様」 寝室に入り、衣服を寛げているとキースが声をかけてきた。 ネクタイにかけた手をそのままに、顔だけ向けると普段、あまり感情を見せない瞳が僅かに揺れていた。 しかしそのコトバの後がなかなか出てこない。 「…どうした?」 身体ごと向き直り、そう尋ねるとキースは少しばかり頬を紅潮させて続きを搾り出した。 「何故、その、」 言いづらそうに更に口ごもっていたが辛抱強く先を待った。 「私に…触れて…下さらないのですか…?」 慎重に、慎重にコトバを選んで選んで出た台詞だろう。 それでも一言が出るとその先は比較的するすると出てきた。 「私が…ゲームの景品だからですか?それとも…」 そこで一度コトバを切る。目線は合わせない。小さく息をついて、更に言葉を重ねる。 「私が…犬に…」 「キース、」 言葉の先を待たずにキースに近づき、抱きしめた。 本人にとってかなり思い出したくない思い出のひとつであろうそれを敢えて口にさせるほど追い詰めてしまったかと思うと胸が痛んだ。 それでも尚、口にしようと思うにはどれほどの決意が要っただろう。 キースの手がおずおずと背中に回るのが愛しかった。 ゲームでキースを得た後、何度か顔を合わせ、給仕をさせたり、話をしたりしたが寝たことは無かった。 ヴィラと言う特殊な場所で「成犬」として生きている彼にはそのことが不安の種だったようだ。 「すまなかったね」 耳元に囁くと小さな頭がゆるゆると揺れた。 「…すみません、こんなこと…」 本来なら、言うべきではない、ということを分かっていてそのことに忠実な彼だと知っているからこそそれを口にした思いの強さが伺えた。 「…あのゲームの中で、戯れに君を組み敷いた時、君の心が離れそうになったのを感じてね。 怖かったのだよ。また、あんな風に君の綺麗な瞳が褪めた目に変わるのが。」 「そんなこと…っ」 否定の意を伝えようと押し戻された身体をそのままに意志を確認するように見詰めあう。 仄かに潤んだ瞳が何とも美しかった。 「…抱いても、いいかい?キース。」 一瞬、見開かれた瞳が閉じ、再び、視線を外して薄く開く。 時を置いてはっきりと頷いた顔を両手で包み込んで啄ばむようにキスをした。
コトが済み、乱れた呼吸が整うと、キースは「後始末」をしようとしたのか早々にベッドを降りかけた。 「キース、」 その手を押さえ、呼びかける。熱っぽい目で見上げると、薄く頬を染めて俯いた。 更に強く引き寄せてベッドへ身体を引き戻すと、するりと身体から力が抜けた。 それを抱き締めて2度、3度髪を撫ぜ、額や頬に軽いキスを散りばめると次の自分の行動を判断しかねてかおずおずと見上げてきた。 「犬」として「ご主人様」に対し、この後どう接するべきか、思いあぐねているのだろう。 「もう少し、こうして抱かせてくれるか?」 そう言うと、普段見せない素直な笑顔でもたれかかってきた。 そうなるとキースは幾分饒舌になった。態度も柔らかく、甘え上手だった。それが何とも可愛らしかった。 そういう顔を普段隠しているということが尚更魅力的だった。
次に目が覚めた時、キースは大人しく腕の中で眠っていた。 2人、話をしながら、じゃれあいながらいつの間にか眠ってしまったようだった。 起こさぬように注意を払いながらベッドを抜け、ローブを羽織り、キッチンからワインとグラスを持ってくるとサイドテーブルに置き、1つにワインを注いだ。 それを口に含み、ゆっくりと味わいながらキースの健やかな寝顔を眺め、笑む。 彼が目を覚ました時、どんな顔を見せるのかを思うとそれはそれでまた、楽しかった。
fin
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