2012年3月1日〜15日
3月1日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「こいぬう?」

 アキラの指示に、おれはどす黒い声を出した。

「ふざけるな。すでに三匹もってるんだぞ」

「仔犬がいやなら、成犬三匹受け持ってもらう」

「おれの体がいくつあると思ってるんだ! いいかげんおれに甘えるな!」

 アキラも細い白目をつりあげた。

「あんただけがハードスケジュールをこなしてるわけじゃないんだ。キーレンもカシミールも――」

 熱くなるなよ、とルイスが割って入った。
 デクリア内はギスギスしている。ひとり辞めて、また八人体制になったのだ。


3月2日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 何を見てもムカムカする。
 ティーン・エイジャーになったみたい。中庭でのたのた張ってる犬の尻を片端から蹴り上げてやりたい。

 仕事ばかりが原因じゃなかった。
 一番のダメージは、ウォルフとケンカしたことだ。ウォルフはおれとの旅行を反故にして、スイスに行った。スイスの母親に会うために。

 すごい大喧嘩になった。

「この前もだぜ? この前もママの気まぐれで旅行がフイになったんだぜ。こんなこと一生つづくのか?」

「そうだ。彼女が死ぬまでだ」

 ウォルフの答えに、おれはカッとなった。
 


3月3日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 逆上すると、おれの口はおそろしくまわってしまう。自分でも気後れするような悪罵が次々飛び出す。
 ウォルフはついに低い声で唸った。

「そんなにタイに行きたきゃ、ほかのやつといけ」

 聞いた途端、パンチが出ていた。彼の硬い顎を殴っていた。

 ウォルフは睨んだ。怒気で目が光っていた。
 が、殴り返さなかった。それきり、彼はおれと口をきかなくなり、翌日、スイスにたった。

 以来、最悪の気分が続いている。

「落ち込むな」

 アキラがニコニコと言った。

「仔犬はいいよ」

「?」

「人がくる」


3月4日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「しかも、来るのは新人じゃないんだぜ」

 アキラは浮かれていた。

「前第四にいたやつが、舞い戻ってきてたんだ。ベテランなんだよ」

 即戦力なんだよ、とカーク船長の肩をバンバン叩く。ふたりは肩を組み、足をあげて踊りだした。

「仔犬も成犬もみんな解決さ♪」

「ステキステキ♪」

「シモンの犬は全部割り当てちゃう」

「ついでにおれのも割り当てよう♪」

「クリス・リッツ、ようこそ第五へ」

 その名を聞いて、ぎょっとした。おれはその男に多大な迷惑をこうむったことがある。


3月5日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「クリストフ・リッツ。シャバから尾羽打ち枯らして戻ってきました。皆さん、またよろしく」

 クリスはニッとひとなつこいスマイルを作った。

(あいかわらず、伊達メガネか)

 セールスマン風のスマートな身ごなし。上機嫌な空気。
 事実、クリスは、もともと車のトップセールスだった。

 この職種の人間特有のソフトな態度と、耳に心地よい、やさしい声をしていた。第四にいた時も、客がこぞって頼みに来る人気アクトーレスだったのだ。

 アキラがこちらを見た。

「ラインハルト、今、バディいないよな」


3月6日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「バディ、いらんだろうが。新人じゃないんだから」

 ええー、とクリスが笑った。

「さびしいよ。バディほしいよ」

「第五は忙しいんだ」

 アキラは、教育係じゃないさ、と言った。

「うちに慣れるまで、相談相手がひとりいたほうがいいだろ」

 相談ならデクリオンかオプティオに、と抵抗したが、結局押し付けられた。

「よろしくね。センパイ」

 ミーティングの後、クリスがぴたりと横についた。伊達メガネの奥の冷たいグリーンの目が微笑む。

「また会えてうれしいよ。ラインハルト」


3月7日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

おれはじろりと彼を見た。

「おれはあんまりうれしくない」

「ええ?」

「おまえのせいで、人生踏みあやまるとこだった。あの怨みは忘れん。仕事の相談は聞くが、友だちづきあいはしないからな。必要以上にくっつくな」

 ひでえ、とクリスは笑った。

「おれが何したよ」

「胸にきけ」

 おれは彼をおいてオフィスを出た。

 こまったことだ。よろしくない巡り会わせだ。
 あいつのせいなのだ。昔、あいつと寝たせいで、おれはウォルフに愛想をつかされたのだ。


3月8日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

「クリス! あれ面白いぐらい効いたよ!」

 オフィスにクリスが来ると、カシミールが飛びつくように言った。

「犬が話したんだ」

「へえ。もう試したのか。がんばってるね」

 クリスは心理戦の小技を、カシミールに伝授していたらしい。
 カシミールはすっかり彼に魅了されていた。

 クリスはスムーズに復帰を果たした。彼が戻ると昔の客が争ってオフィスに電話をよこし、彼の犬を買いたがった。

 クリスは客を楽しませる。すっかり客の友人になってしまう。気に入った相手なら恋人になってしまう。


3月9日 ラインハルト 〔ラインハルト〕
 
 おれはクリスをかまわなかった。
 彼もおれにまとわりついたりはしない。

 だが、けして無関心ではない。やつはおれを抱きたがっているし、網張って待っているのはわかる。

 おれはといえば、誰もいないインスラにひとりで帰る。あの頑固なクマは電話一本入れてこない。

 冷たいシーツのなかで、ぼんやり不安を抱えたまま眠る。不安は時に怒りにかわり、時に無力感となって肩に落ちかかる。こんな時はどうしても、あたたかい他人の腕が恋しくなる。

 でも、クリス・リッツだけは絶対にダメだ。


3月10日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 おれはまた自分がよたよた揺れだしたのに気づいた。
 ウォルフがいないと、途端におれは平衡感覚をなくしてしまう。不安でむやみに人恋しくなる。

(指輪しておこう)

 デスクの引き出しを開けて、結婚指輪を探した。サイズが合わず抜けてしまうため、金鎖に通していた。最近は首にかけるのも面倒で、オフィスの引き出しに入れっぱなしにしてあったのだが――。

 金鎖をみて、血の気が引いた。

「ない!」

 金鎖はあったが、指輪がなかった。


3月11日 ラインハルト 〔ラインハルト〕
 
「それは指輪泥棒だよ!」

 ニーノが大声を出した。

「いま、客のドムスにも空き巣が入っててさ。指輪やら宝石やらが盗まれてるんだよ」

 指輪はデスクのどこにもなかった。アキラは気を使い、「ラインハルトが疑ってないのは重々承知しているが」といいつつ、みんなにもデスクの中身をあけるよう指示した。

 なかった。ロッカーも片端から開けた。インスラに戻り、家中ぜんぶひっくりかえしたがなかった。

「ヤヌスに届けよう」

 イアンが言った。

「客のほうでも盗難があるなら、もう動いているだろう」


3月12日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

(どうしよう)

 指輪がないとわかって、へたりこみそうになった。
 結婚指輪だ。ウォルフは本気で怒るだろう。ガミガミ言うだろう。

 いや、怒鳴るならまだいい。こわいのは、やつが深く傷ついてしまうことだ。彼はものに執着する人間だ。あの指輪は彼のからだの一部だ。なくしたなんて言ったら、どれほど傷つくか。

 デスクに放りっぱなしにしてあったなんて、絶対に許さないだろう。

(取り戻さなきゃ)

 やつがスイスから戻る前に泥棒から取り返さねば。


3月13日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 おれがプリンキピアに向かうとクリスがくっついてきた。

「指輪泥棒のことを聞きにいくんだろ。おれもいく」

「来なくていい」

「被害者のひとりがおれの客なんだ」

 ヤヌスの若い男はおれを見て、あからさまに面倒くさそうな顔をした。

「これはもともと護民官府のほうで扱ってた件ですから」

 しかし、クリスが愛想を言って話しかけると、ヤヌスは次第に態度をやわらげた。
 これがクリスの特技だ。相手の呼吸に入っていって、ガードを破ってしまう。
 ヤヌスは言った。

「犬じゃなさそうなんですよね」


3月14日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 被害はおれのをのぞいて4件。
 犬の動きはすべて発信機で読み取れるが、いずれの犬も被害者宅に侵入した痕跡はなかった。

「発信機をはずしたとか」

「もちろん、身体検査はしていますよ」

 被害者宅の犬のほか、元スリ、元絵画泥棒、元情報工作員の犬も検査したが、異常はなかった。

「となると、スタッフか客か」

「客とは考えにくいですね」

 ヤヌスは唸りながら言った。

「金額的にたいしたもんじゃないんですよ。ブランドものとかガラスの指輪とか。泥棒は少なくとも上流階級ではないですね」


3月15日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 護民官府にいくと、逆に聞かれた。

「デクリオンはいつ帰ってくるんですか?!」

 ウォルフの部下、ペドロは空気のぬけた風船みたいに椅子にへたばっていた。

「犬の指輪をとられたお客さんがうるさくて。二時間毎に電話してくるんですよ」

「やさしくしてあげなさい」

 おれはしかつめらしく言った。

「盗難に遭った人間は深い傷を負っているのです」

「たかが、ガラスの指輪ですよ? ストラビンスキー?」

 スワロフスキーだ。ビーズの指輪だ。たしかに目利きの犯罪じゃなさそうだ。


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