2014年3月1日〜15日
3月1日ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ロニーというのは、イギリスの特殊部隊SBSにいた犬で、水泳クラブのボス的な存在だった。

「ああ、あの歩くオレンジ」

 ロニーはレネをそう呼んだ。

「うちのチームだよ。だって、いっつもオレンジの香水きついんだもん。もうやめたよ。ここひと月、プールに来てない」

「ケンカがあったって聞いているんだが」

「あった。コロンビアの小僧とね。くだらないことさ」

 ロニーは言った。

「レネがやつにゴミ臭いって言ったんだ」


3月2日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ロニーは話した。

「そのコロンビアの小僧、パオロってのは、ゴミの回収で生計をたててたのさ。もぐりで、電気製品とかあさるやつ。スラムで苦しい暮らしをしてたんだ」

 レネはそれをからかった。プールが臭くなるから泳ぐな、と言った。

「冗談にしても過ぎるだろ。おれはよせって言ったんだ。ところがパオロも熱くなっちまって、『おまえからはナチのにおいがする。おまえのじいさんはナチの犬で、おまえはネオナチ。その髪はまやかしで中はスキンヘッドだ』とか、レネがそれで逆上して」



3月3日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 レネはネオナチではない。
 が、戦時中の話なら、親戚に裏切り者がいる可能性はある。

 おれは聞いた。

「パオロはなんでそんなことを知ってたんだ」

「あいつの旦那はフランスの銀行屋で、いろんな情報を持ってるんだ。実際、あのガキはおしゃべりすぎるよ。セラーの中身までしゃべるから、今回、泥棒にあったんだ」

 おれはおどろいた。

「パオロって、あの酒泥棒事件の家の犬なのか」


3月4日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 おれはつい詳しく聞こうとして、白髪頭に気づいた。

 隣のジェリーが身を乗り出して聞き入っている。

(――)

 おれたちの仕事は浮気調査だ。おれは話を戻した。

「プールにレネのなかよしはいたか」

「前はタイ人がいたが、ほかには特に」

「なんて子?」

「チャチャイ。三ヶ月前、解放されてタイに帰った」

 三ヶ月前では除外してよさそうだ。

「パオロと誰かをとりあっていたとか」

「おれかな」

 がはは、とロニーは笑った。

「プールに来るやつはみんなおれのファンだから。あ、エリックってアホはちがうが」


3月5日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 ロニーの話は冗談に過ぎない。

 ロニーは仲間に手をつけるボスではなかった。

 だが、レネが片思いしている可能性はある。

「パオロに話を聞くかい」

 ジェリーがうながしたが、おれは気がすすまなかった。

「少し整理したいことがあるんだ。明日にしよう」

「ペドロ」

 ジェリーは言った。

「よそ者イジメはやめにしようや。おれは辞令が出た以上、給料分の仕事はしてえと思ってる。協力しあわねえか」

 おれは目を合わせなかった。

「そう簡単にはいかないんだよ」


3月6日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

 朝、ラインハルトがオフィスに来た。

「おれ、辞める」

 おれはコーヒーを吹きそうになった。

「朝から面白いな、おまえは。休暇が欲しいなら、アキラに言え」

「そうじゃない。辞めることになるんだ。ここを出なきゃならない。違約金、いくらになるかな?」

 おれは落ち着け、と言った。おれも落ち着かねば。

「なにがあった。また客とトラブルか」

「おれじゃない。ウォルフが辞めたんだ。あいつがヴィラを出るなら、おれもここにはいられない」


3月7日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

「まったく冗談じゃないよ。昨日帰ったら夕飯が出来てて、やつがさわやかな顔しているから、なにかと思ったら、護民官府辞めてきたってんだ」

 ビールをあおると、ラインハルトは言った。

「びっくりするだろ、誰だって。どうしたって聞いたら、おれには無理だとかなんとか、はっきり言わないんだ。ちゃんと言えって言ったら、怒り出してさ」

 アキラがむっつり言う。

「で、おまえはやつについて辞める気なのか」

 クリスもあきれ、

「情けないぜ。おまえが男についていくなんて」


3月8日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

 ラインハルトは悪びれない。

「あいつが去るなら、おれもついて行くさ。おれたちの人生だ。ご意見無用。問題は、金だけだな」

 待て、とアキラは言った。

「ウォルフはクビになったのか。やつならアクトーレスとして再就職できるぞ」

 クビにはなっていない。おれは言った。

「護民官に確かめた。休暇扱いにしているそうだ」

 ラインハルトは目を丸くした。

「へえ。そうなんだ。でも、あいつは辞めると思うよ。愛想を尽かすと、わき目もふらずに逃げていくやつだから」


3月9日 イアン 〔アクトーレス失墜〕
 
 護民官の話では、行き違いがあるということだった。なんの行き違いかは説明されなかったが、今回起きた酒泥棒の捜査が原因らしい。

「浮気調査より楽しいだろうに。何が気に喰わないんだか」

 ラインハルトは面倒くさそうに唸った。

「あいつもけっこうガキっぽいとこあるからな」

 クリスが言った。

「ウォルフはもう犯罪捜査は請け負わないって言ったのさ。あそこも人手不足だしな。で、ヤヌスは応援を送るといって、スパイをひとり送り込んだんだ。ウォルフが怒るのも無理ない」


3月10日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

「スパイ?」

 クリスは情報を持っているようだった。

「ヤヌスからひとり応援の名目で隊員が入ってる。元ロス市警だが、その前身は陸軍の諜報員だ。護民官府の内情を探りにきたんだよ」

「なぜ、護民官府に?」

「だって、ウォルフが全部クビにしたからさ」

 クリスは手をひろげた。

「あいつ、入ってすぐ汚職職員を一掃したろ。あいつら元ヤヌスだ。ヤヌス側にとっちゃパイプが全部取り払われたようなもんだ。護民官府の中が見えなくなったのさ」


3月11日 イアン 〔アクトーレス失墜〕
 
 ラインハルトは聞いた。

「なんで、ヤヌスがスパイを護民官府にいれるんだよ」

「嫌いだからじゃない?」

 クリスは笑った。

「あいつら、ウォルフが嫌いだし。その相方のおまえのことも嫌いだし。なんか不正があるか探ってるかもね」

「罠に嵌めようとしてるのか?」

 そうじゃない、とアキラが言った。

「護民官府には顧客の情報が集まる。情報は力だ。腐敗がおこりやすい。目付けを入れておくのは組織として正しい」


3月12日 イアン 〔アクトーレス失墜〕

 アキラの言葉が正しい。

 ヤヌスの意図がどこにあるにせよ、力が集中する場所には監視が必要だ。ウォルフは組織人である以上、耐えなければいけない。

 で、とクリスが言った。

「誰が火中の栗を拾うんだ?」

 誰がウォルフを説得するのか。
 ラインハルトはまっさきに、

「おれはダメだ。ケンカになる」

 アキラも言った。

「おれも怒らせるだろうな」

 クリスも断る、と言った。

「やつがおれの話を聞くとは思えない」

 みんなの目がおれを見ていた。

「……無理だろ? ここは静観しないか」


3月13日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

「オプティオ。酒泥棒のほう、どう?」

 おれが聞くと、ベルクソンは、はやどんよりした顔をしていた。

「犯人は犬じゃない。そこまでわかった」

「ほう、しぼりこめたね」

「やかましい。おれは探偵じゃない。恋のナヤミ担当なんだ」

 おれはわかったぜ、とキートンが口をはさむ。

「出入り口のカメラには侵入形跡なし。壁を乗り越えるしかない。で、隣のバジル・コーエンは棒高跳びの選手。つまり」

「200、個の、酒瓶」

 ベルクソンは彼の頭を小突いた。

「吹っ飛ぶわ! 飛ぶ前に棒が折れるわ!」


3月14日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 おれはベルクソンに聞いた。


「被害者宅の犬、パオロに会いたいんだけど。うちの件で」

 ベルクソンはすこし変な顔をした。

「重要か」

「浮気調査が重要ならね」

 ベルクソンは許可したが、言った。

「あのヤヌスには注意しろ。PDA(携帯端末)は見せるな。中身を抜かれるぞ」

 わかったよ、と答えた。
 ジェリーのデスクも頼もうと思っていたが、言えなかった。


3月15日 ペドロ 〔護民官府スタッフ〕

 おれは被害にあった銀行家、ルイット氏のドムスの前で言った。

「いいか。おれたちの仕事はレネ・マイヨールの素行調査だ。よけいなことは聞くなよ」

 ジェリーは、へいへいと肩をすくめた。

「護民官府のエリートさんたちが片付けてくれるんだ。おれがでしゃばる必要もねえ」

「……」

 おれたちはドムスを訪ねた。

 たしかにジェリーは黙っていた。
 だが、被害者のルイット氏はそうではなかった。彼はヒステリックにわめいた。

「よその犬がどうした。酒泥棒を捕まえるのが先だろう!」


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