2014年7月1日〜15日
7月1日 ジャック 〔バー・コルヴス〕

「うちの子と離婚したよ」

二杯めのヤマザキを出すと、お客様が言いました。

「寝取られた。仕事にな」

「ああ、やつは厄介ですね」

 わたしは同意しました。日本のお客様でした。いつも陽気で、大きな声で犬自慢され、少々うるさいぐらいの方でしたが、さすがにさびしげでした。

「夢中なんだ。イキイキして、別人みたいに男らしくなっちまって。目がもう違うんだ。うっかり近寄れないぐらい、純粋なんだ」

「……」

 彼は嘆息した。

「こうなることを望んでいたんだが、やはりさびしいね」


7月2日 ジャック 〔バー・コルヴス〕

 最初に浮気したのは自分だ、とお客様は笑いました。

「ちょっと可愛い子に鼻の下をのばしただけなんだ。そしたら、あの子はすぐ察した。

『新しい犬を飼いなさい。ほかの犬もぼくのように救ってあげてください』って」

「やきもちじゃなく?」

「全然。あいつはそういうあてこすりはしない。本気なんだ。おれたちは終わったって、わかってるのさ。もう関係が変わったんだ。愛人関係じゃなく、同盟になったんだ」

「……」

「だから、おれが食い下がったら、野暮なのさ」


7月3日 ジャック 〔バー・コルヴス〕

 おれが望んでたことだ、と彼はまたため息をつかれました。

「この日を待ってた。あいつが、本当にたちなおる日を。おれがあの子を買った時、あの子は指をつぶされて、廃人同様になってた。涙も流さなかった。呼んでも目も動かさない。おれがあの子を風呂に入れ、飯を口につっこんで、運動をさせて、寝かせて――」

 お客様はしばらく黙り込みました。ふたりの間には苦難を乗り越えたたくさんの思い出があったようです。

「いい子だった。強い、まじめな、いい子だ。あんな子もういない」


7月4日 ジャック 〔バー・コルヴス〕

 わたしも言いました。

「同じ子はいません」

「うん」

 彼はまたウイスキーを舐めてから、

「うれしいのさ。あいつがいい男になって。やった! って、喜んでいるのさ。だが、一方、愛人から、ただのタニマチに、ただのファンになったことがちょいとさびしいんだよな」

「もうセックスはできない?」

「やろうとすれば、やつは断らないさ。でも、おれはやらない。カッコ悪いからな」

「――」

 彼は苦笑し、大きくため息をつきました。

「ここで泣いているのもカッコ悪いけどな」

「いいんですよ。泣いても」


7月5日 ジャック 〔バー・コルヴス〕

 わたしは微笑みました。

「ここは弱い男のためのシェルターですから」

 彼は、うん、と言って、カラのグラスを置きました。わたしはそこにウイスキーを足しました。

「おごりです」

「おやおや」

「ひとりの若者を救った偉大な男に」

「……」

 彼はグラスをかたむけ、急にうつむきました。肩が小刻みに震えていました。

「すまん」

 顔をそむけ、声を殺して泣いていました。

 わたしはバーマンの仕事、気づかないふりしてグラスを拭く作業にとりかかりました。

 彼は涙をふき、グラスを掲げました。

「直人に」


7月6日 ロビン 〔調教ゲーム〕

 今日は我が家にお客がきた。

 ナオのご主人だ。

「ナオからだ」

 と言って、ソーメンを大量にくれた。

「ここの素麺は最高にうまいからな。絶対、茹でぎるなよ」

 アルが

「へえ。トウドウサン、作ってってくださいよ」

「素麺ぐらい自分で茹でろよ」

「でも、わたしたち火加減間違えるかもしれないし」

 おれも、そうだそうだ、と加勢した。

「テンプラも作ってください」

「なんなんだよ、この家は」

 トウドウサンは文句を言ったが、結局、作ってくれた。皆でソーメンを喰って、うまかった。


7月7日 ライアン 〔犬・未出〕

 チェスクラスの集まりが悪い。やってくると「だるい」だの、「水太り」だの調子が悪そうだ。

「ライアンは元気だな」

 そう。おれは元気。
 エダマメ生活のせいじゃないかと思う。麦茶とエダマメ。あとソバだの、トウフだの、健康にいいものばかり喰ってる。

 勤め人時代よりずっとからだが軽いし、元気がある。皮膚も若返ったみたい。

 肉も喰うよ。ヤキトリ。こいつがうまいんだ! 最近、タクのブームなんだ。やみつき! 

 コリンが電話で怒ってる。

「なんでおまえだけ、タクの恩恵受けてんだ!」


7月8日 劉小雲 〔犬・未出〕

 ご主人様が帰ってきました。
 すぐにまた文句。

「おまえ、どうして離れて寝るんだよ!」

 だって、暑いんです、このひと。子どもみたいに熱を放射して寝るんです。

「いいこと考えた」

 彼は冷房をガンガンかけて寝ました。

 たしかにその日はふたりともタオルケットにくるまり、くっついて寝ました。
 が、翌日、彼は熱を出しました。

 体力落ちているくせに、アホなことするから……。

 これから甘ったれのためにリンゴを買ってこなければなりません。


7月9日 キャンベル 〔執事・未出〕
 
 コスタがしょんぼりして帰ってきました。

「クレームくるかもしれない。おれ、CFにもう行けないかも」

 わたしはどういうことか問いただしました。

「風呂に入れるようにしようと思ってさ。水に馴れるためにプールに行ったんだよね」

 いきなりプール! 案の定、彼はパニックを起こしたそうです。

「エリックってやつが助けてくれたんだけど、おれ、数発殴ったみたいで」

「どこを」

「顔。あとちょっと引っ掻いて」

「どこを」

「顔」

 わたしは急いで、家令に電話しました。


7月10日 ロビン 〔調教ゲーム〕

  家令が家に来た。

「エリックのケガの具合を見せてくれ。治療費を請求することになるかもしれない」

 エリックは、

「必要ない。医者にいくほどでもない」

 しかし、やつのひたいは山みたいに腫れて、あざが目のまわりに落ちている。エイドリアンと叫ぶロッキーみたい。

「これはフィルって山猫がやったんだ。あいつには関係ない」

 フィルがじろりと見たが、黙っていた。

「そういうことにしてくれ。CFはみんなの楽しみなんだ」

「わかった」

 家令が去った後、フィルがぼそっと「貸しだぞ」と言った。


7月11日 キャンベル 〔執事・未出〕

 相手の犬は親切心から騒がないでくれたようです。

 が、主人に報告したところ、彼はことを重く受け止めました。

「その子が顔を傷つけたのは事実だ。コスタには、プールは少し我慢させよう。そのかわり、うちにプールを掘ろう」

「それがいかんのですって」

 ペペは話を聞いて反対しました。

「風呂に入る訓練でしょうが。いきなりプールに入れてどうします? お金持ちはすっとぼけてやがんなあ」

 彼の話を聞いて結果、我が家の庭に現れたのが、ビニールプール。
 コスタはこわごわ足の先だけ浸しています。


7月12日 ライアン 〔犬・未出〕

 今日、見知らぬやつから挑発を受けた。屋上でやろうぜ、というので断ったら、

「お高くとまりやがって。少しチェスクラスでちやほやされてるからって、勘違いしてんじゃねえよ。いい気になって色男ぶってると恥かくぜ」

 おれは一瞬、ポカンとした。ちやほや? 色男ぶって? 

 ばかめ。こいつは間抜けだ。事実誤認の幼稚な挑発。お兄様がその礼儀知らずを叩きのめして躾けてやろう。

 と思ったが、不思議と闘志のほうがわかなかった。なんでだ?


7月13日 ライアン 〔犬・未出〕

 相手は言うだけ言って、ぷいっと立ち去ってしまった。

 おれはその背中に、やつが飛び上がるようなことを言ってやることもできた。あとで鬱々と悩むような嫌味も言えた。

 ところが、その気分がまとまらない。結局、見送ってしまった。

 少し前なら、考えられないことだ。議論、ケンカは大好物。本能みたいなもんだ。

 だが、なぜか腹があんまりたたないのだ。平気なふり? プライド? それとも老いた?


7月14日 ライアン 〔犬・未出〕

 ちょっと損をしたような気で、家に帰り着くと、タクがうれしそうな笑みを見せた。

「今日、塩ダレが届いたんだ」

「?」

「ヤキトリのもうひとつの味! 犬ビールも冷えてるよ!」

 ビール! 途端に、つまらないことは忘れた。

 タクは炭火でシオとタレの二種類のヤキトリを焼いてくれた。あつあつのヤキトリを食いちぎって、冷やしたビールを飲む。
 機嫌のいい相棒が隣にいて、肉を焼いてくれる。

 おれは合点がいった。おれ、今幸せなんだ。だから、変なやつが気にならないんだ。


7月15日 ラインハルト 〔ラインハルト〕

 イアンの機嫌がいい。べつに笑ったりするわけではないが、空気がかろやかだ。おれは言った。

「シチリアからアホ・カポネが来てるのか」

 やつは少しおどろいた。

「会ったのか」

「いや、首にキスマークついてる」

 イアンはぎょっとして鏡を探した。

「なんてね。ついてないよ」

「……」

 用件はなんだ、と急にむすっとした。

 でも、書類に目を通すその顔つきがやっぱり違う。やっぱり輪郭がうるおっているし、幸福が香っている。

 あんなバカマフィアでも、愛されてるんだなあ、と面白かった。


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