2014年12月16日〜31日
12月16日  巴〔犬・未出〕

 その晩はぐったり疲れた。

 高杉はいつもどおりのマッサージを施した。
 いつもより喘いでしまった。変な声が出かけた。いつもより、気が昂ぶっていた。

 いまは頭もあげられないほど脱力している。
 だが、気分は少しよかった。大地にからだがぴたりとくっついたように、疲れが甘かった。

 おれは話した。数年ひとりで抱えていた秘密をひとに打ち明けた。それだけのことが、うれしかった。裸にされるより、レイプされるより、何より恥ずかしかった傷をひとに預けたのだ。


12月17日 アキラ〔ラインハルト〕

 巴はようやく口を聞いた。
 無残なほどのシャイだが、ともかく『人間』だとわかった。怯えている24歳のふつうの小僧だ。

 歌っているのは、ボカロの曲だとさ。なんだボカロって。
 とりあえず、声は出させたほうがいい。カラオケがあるなら取り寄せてみよう。

 コミュニケーション能力は大事だ。セックスだけの犬は売り戻される率が高い。犬の寿命を縮めることになる。

 だが、イアンがまた聞いた。

「あのシバ犬、あとどれぐらいかかる? 来月のオークションに出すよう言われたんだが」


12月18日 アキラ〔ラインハルト〕

 おれは見返した。

「仔犬ですよ」

 オークションには通常、成犬をまわす。巴にはすでに何人か申し込みがあったはずだ。

「それが、来月のオークションはパトリキ限定なんだ。全部仔犬。しかし数が足りない」

「……ほかの犬では」

「どの犬?」

 新入荷のリストを思い出したが、全員調教権がとられていた。

「あれはダメです」

「なぜ」

「過呼吸おこしてぶったおれるのがオチです」

「――」

 イアンがじっと見た。そんなの理由にならない。そういう初々しい犬ほど高値がつくのだ。


12月19日 巴〔犬・未出〕

「バニラシェイク好きか」

 高杉は訓練室にジューサーをもち込んでいた。
 牛乳や卵を次々投入し、最後にアイスクリームを入れた。ジューサーの容器のまま、一口飲み、おれにも一口くれた。
 おれは四つん這いのまま、それを味見した。

「どう?」

 おれはうなずき、あわてて返事した。

「……いしいです」

「じゃ、これをここに入れます」

 彼が持ち出したのは、ゴムの哺乳瓶。……いや、あれはペニスの形のようだ。

「これを吸う。フェラの練習」

「!」

 つい、笑ってしまった。高杉も笑った。

「いいからやれ」


12月20日  巴〔犬・未出〕

 気づくと鼻歌が出ていた。
 なんとなく部屋が明るい。なんとなく、気分が軽かった。

 おかしなもんだ。誘拐されて、毎日男にイタズラされているというのに、鼻歌が出る。飯がうまい。

 高杉が来るのが怖くない。高杉はたまにぶっきらぼうな広島弁になるが、おれを保護しているのがわかる。彼の手が、指が、おれを傷めないようにしているのはわかる。

 なにより、彼はおれを嗤わなかった。貶めなかった。本音はどうか知らないが、――とにかく、おれの無様さを飲み込んでくれた。


12月21日 ルイス〔ラインハルト〕

 ほんの少しだが、アキラの元気がない気がする。

 ベッドで転げまわっている間も、なにか曇っている感じがする。どうした、と聞いても、

「いや。元気全開だよ」

 おれに言わないということは、おれにはできないことなんだろう。
 そして、彼にもどうしようもないことなんだろう。

 ここでは、そんなことはいくらでもある。眠りに落ちる時、おれは彼を抱きしめた。こういう時は、頭を低くして、かたく抱き合ってそれが通り過ぎるのを待つしかない。


12月22日 アキラ〔ラインハルト〕

 調教は順調だ。
 昨日はついに、散歩に成功した。着衣なしで、仔犬館の中庭を一周することが出来た。

 その間、巴はずっとおれの右足に貼りついていた。尻込みしたり、柱に抱きついたりすることなく、やりとげた。

 ほかの客がシバだ、と寄って来た。

「かわいいね。誰の子だ」

「プレタポルテです。まだ訓練中ですよ」

「ああ、――。もったいないことをする。こいつは棒で叩いて育てるタイプの犬だぞ。みろ、この首筋。名前は」

 おれはオークションに出品予定だと答えた。名を教えたくなかった。


12月23日  アキラ〔ラインハルト〕

(情がうつったってんじゃないんだよな)

 おれは巴をオークションに出すのは反対だ。
 
 舞台の上で卑猥なデモをやらせ、泣きわめかせて値をつりあげる。興奮と虚栄心に踊らされた客が値を張りあう。

 べつに悪いことはない。ふだんの入札も同じシステムだ。
 だが、結果をおれの手の届かないゲームに預けるのがイヤなのだ。

 いや、ふだんの入札とておれが客を選べるわけじゃない。ただ、通常の客はまだ所有権をとらない段階だ。わずかに介入の隙があるのだ。

(やっぱり情が移ったのかな)


12月24日 アキラ〔ラインハルト〕

 ルイスがいきなり、ひとのパソコンを閉じた。

「おい!」

「残業おわり。飲みにいこう」

 おれはわめきかけたが、ルイスは勝手に上着をとってきた。

「……」

 こういうことをする男ではない。つきあったほうがよさそうだ。

 だが、パブに入ると、家令の鈴鹿が待っていた。
 ルイスはおれを彼の席にうながした。

「日本語で話していいぜ。おれはビールを持ってくる」

 鈴鹿は言った。

「日本人が入ったよな?」

 その話らしい。
 おれは言った。入ったが、オークション行きだと。

「どんな子? 料理できる?」


12月25日 アキラ〔ラインハルト〕

 家令は、いま日本犬を買いそうな日本人客がいると話した。

「例の藤堂様、直人を手放して寂しいらしいんだ。新しい犬を売るチャンスなんだよね」

「でも――」

 オークションへの出品が優先するんじゃないか。

「優先する。だが、調教権がすで売れた犬は出品できない」

「いや、だから公開もしてないって」

「にぶいやつだ。皆まで言わすな」

「……!」

 おれは口をあいた。不正をやると言っているのだ。
 家令は言った。

「わたしはおっちょこちょいだからな。うっかり、広報リストから外し忘たのさ」


12月26日 アキラ〔ラインハルト〕

 おれは唸った。

「バレたら、クビが飛ぶかもしれんぞ」

「正直、こわい」

 彼も言った。

「クビならいいが、農場送りになったら死んじゃうかもしれない」

「じゃ、なんでやるんだ」

「家令だから」

「?」

「ご主人様の欲しがる犬を与えるのが、わたしの仕事」

「そのきみの給料を払っているのはヴィラだぞ」

「主人がわたしのサービスに満足すれば、それがヴィラへの利益につながる」

 屁理屈だ。理由は言いたくないようだ。
 だが、だいたいわかる。つまり、こいつもおれも日本人だということだ。


12月27日 アキラ〔ラインハルト〕

 藤堂氏はいい男だ。
 廃人寸前まで壊された直人を立ち直らせた。あげく、解放して料理人の修行をさせ、後見人になっているという。

 むかしでいう、旦那、だ。こういう男なら、あのひよわな巴でも預けられる。危ない橋を渡る価値がある。

 おれは鈴鹿に言った。

「藤堂氏を仔犬館の中庭に呼べるか」

「最近、よく控え室に冷やかしにくる」

「明日、3時」

「言ってみよう」

 ルイスがビールを持ってきた。

「おれは何にも聞いてないからな」


12月28日  アキラ〔ラインハルト〕

 藤堂氏は中庭に来た。

 さりげない風をよそおって、おれと話し、巴を見た。巴は教えられたとおり、彼の靴先にキスをした。

(そこで顔を見せる!)

 きつく教えたのに、巴は瞬間的に首のばしただけだった。

 藤堂氏は彼に話しかけた。年は? どこの出身? 学生さん? 

 が、巴は顔をふせてしまってろくに答えない。いや、何か言ってるのだろうが、そんな超音波、人間の耳にはきこえない。
 藤堂氏も決まり悪そうに苦笑していた。


12月29日 アキラ〔ラインハルト〕

「ダメだな」

 家令控え室にいくと、鈴鹿は首を振った。

「覇気がなさすぎて、食指が動かないってさ」

「直人はボロボロだったじゃないか」

「そう言ったんだが、もう、直人は拒絶するだけの気骨があったから壊れたんだって。優男のくせに、土佐犬みたいな闘犬なんだって。――まあ、要はまだ未練たらたらなんだな、結局」

「……」

 断られるとは思わなかった。たしかに巴は土佐犬ではない。ウスバカゲロウだ。
 こまった。覇気。


12月30日 アキラ〔ラインハルト〕

 おれたちアクトーレスには、いざとなったら頼りに出来る「話のわかる」客がいる。
 
 処世術として、そうした客を作っておく。ラインハルトなぞはそういう客の長いリストを持っている。

 おれは万能キーと呼ばれるサー・コンラッドに電話した。

 サーはいいやつだ。気の毒な犬を放っておけないところがある。たぶん、巴の問題をうまく処理できる。
 だが、おれはこの男はちょっと苦手だ。

「やった。ついにアキラとデートか」

 サーは気さくにバーについてきてくれた。


12月31日 アキラ〔ラインハルト〕

 サーはおれの話を黙って聞いた。

「いいよ。買っても」

 彼はあっさり承諾した。

「買った後、解放することになるがかまわないか」

「え?」

 サーは言った。

「クリスマスがあけたら、しばらく家をあけなきゃならない。必然的にジルに彼を預けることになるが、うちの子たちは社交的とは言いがたいからね。軋轢もあるだろう。たぶん、あの家に置けば、その子にはストレスになるんじゃないかな」

「……」

 おれは申し出を引っ込めた。いくら頼みやすい客でも、飼わない犬を売りつけるわけにはいかない。


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