2015年9月1日〜15日
9月1日  劉小雲〔犬・未出〕

 あいつはまたあわただしく日本に帰りました。

 ぼくはずっと陽気な気分が続いています。
 買い物にでかけて、仲良しの主従を見かけても、微笑んで見てしまう。ちょっとおかしいぐらい気分がいいのです。

 ぼくは家族縁が薄く、ほぼ学校育ち。どこに行っても、ひとりでそれなりにやっていける人間だと思っていたんです。

 が、あんなやつでも、一生いっしょと言われたら、うれしかった。大地にやっと自分の居場所が出来たような。こんなウキウキした気持ちになるとは思わなかった。
 驚いています。


9月2日 ロビン〔調教ゲーム〕

 ご主人様が帰ると、そろそろ秋。あちこちにハロウィンの商品が出始める。

 我が家にも、もう幽霊話をする気の早いヤツがいる。エリックだ。

「怪奇現象が多すぎて、近々、壊されるドムスがあるらしいんだよ」

 フィルが笑い、

「いつか聞いたような話だぞ。新しい切り口でたのむよ」

「いや、これは現実の話だ。アウェンティヌス区の空き家、ついに壊されるらしい」

 おれも聞いた、とキースが言った。

「変なつくりのドムスらしいな。なんか水槽がある――」


9月3日  ロビン〔調教ゲーム〕

 アルが止めた。

「そんなに面白い話なら、ハロウィンまでとっておけば?」

「もう壊されちまうんだぞ? 幽霊物件だぞ。もったいない。ふつうなら入場料払って見るところだ。一度、見に行っておいたほうがよくないか」

「――」

 誰もが思った。

(こいつ、一番怖がりのくせに)

 生きている人間相手なら、勇猛果敢な男だが、相手が半透明になるとからきしだらしがない。そんな男が熱心に見物を勧めていた。

(なにかある)

 おれとフィルは目を見交わした。そして言った。

「せっかくだ。のってやるよ」


9月4日  ロビン〔調教ゲーム〕

 おれたちは懐中電灯を手に、夜の町に繰り出した。
 道々、エリックは「友人から聞いた」屋敷にまつわる怪現象を神妙に話した。

 そこはイルカ御殿と呼ばれていて、ドムスの中に水族館のような巨大な水槽があった。家主はそこに人魚の格好をさせた犬を何匹も回遊させ、それを見ながら食事をするのを好んだ云々。

「ただ泳がせたり、ショーをさせたりしてな。招待客にも見せた。客が気に入ると、人魚を釣り上げて、貸し与えたりした」

「――」

 おれたちは笑いをかみ殺し、彼の話を聞いた。


9月5日 ロビン〔調教ゲーム〕

「水槽はふたつあってな」

 エリックは言った。

「ダイニングを取り囲む巨大水槽。もうひとつは、人ひとり入れるぐらいの円筒形の水槽。この円筒形の水槽はエレベーター式になっていて、客が所望した時に人魚を『釣り上げて』出したり、地下の寝室で眠る時に人魚を鑑賞しながら眠りにつけるようにとの工夫らしい」

 いい趣味だ、とアルが呟いた。

「だが、この円筒形の水槽はしばしば事故を起こした。水が抜けなくなったり、扉が開かなくなったり」


9月6日 ロビン〔調教ゲーム〕

 エリックの声がいっそう低くなった。

「そのたびに、犬が死んだ。だが、調べても故障の原因はわからない。おそらく、主人は故障ではなく、犬を拷問したのだろうと言われている」

「……」

「そんな遊びを続けて数年後、主人は突然、自殺した。洗面器で」

「――」

「洗面器に水をはり、そこに顔をつっこんで死んでいた」

 おう、とおれたちは礼儀正しく感嘆した。

「家は空き家になった。次の買い手は人魚犬遊びはしなかった。水槽に本物の魚を入れて楽しんだだけだが、この男も自殺した。洗面器で」


9月7日  ロビン〔調教ゲーム〕

 エリックは言葉を継いだ。

「三人目はあやうく難を逃れた。だが、いまは精神科通いだ。その男が言うには、屋敷にはヒレで水をたたくピシャピシャという音が聞こえたり、床が濡れていたりしたらしい。特に円筒形の水槽からは『出してくれー、助けてくれー』という声がして、眠れなかったそうだ。彼は首から吊られた人魚を見て――」

 フィルがエリックを止めた。

「あの家か」

 彼の声はこわばっていた。おれたちもその家を見て立ちすくんだ。
 家からもうもうと煙があがっていた。


9月8日 ロビン〔調教ゲーム〕

 近づくと火の手が見えた。

「うそだろ」

 エリックがぼう然とつぶやいた。
 フィルが鋭く聞いた。

「何した?!」

「何もしてない! 燃えるようなことは何もしてない!

 」アルが言った。

「すぐ消防を」

 おれたちは誰も電話を持たなかったため、キースが近所の家の呼び鈴を鳴らして、救援を頼んだ。
 フィルがいまいましげに言う。

「えらいことしてくれたな」

「おれじゃない!」

「ここに入ったんだろ」

 待て、とアルが言った。

「声が聞こえる」

 その時、かすかに火の燃える音のなかに叫び声が聞こえた。


9月9日 ロビン〔調教ゲーム〕

 おれは耳をうたがった。

 その声は、出してくれ、と言っているように聞こえた。

 にわかに浮き足だった。目の前の火事が地獄の火に変わったように、圧倒してきた。

「バカ、生きてるよ!」

 アルが言った。

「ひとがいる。助けなきゃ。地下は?」

「地下は開いてない」

 エリックが我に返ったように言った。

「あそこだ。何か、はしご。ロープでもいい」

 キースの知らせで、近所の住民が出てきた。エリックが叫んだ。

「長いもの、シーツでもいい。何かないか。あとバケツ一杯の水を」


9月10日 ロビン〔調教ゲーム〕

 フィルが彼を押えた。

「ばかよせ! 煙にまかれて死ぬぞ。消防にまかせろ」

 だが、エリックは彼を突き飛ばしてわめいた。

「ひとが死んだら、おれのせいだろうが!」

 彼は水をかぶるとシーツをつかんで燃える屋敷のなかに飛び込んでしまった。

「だめだ! 連れ戻してくる」

 キースが追う。おれはぞっとした。ふたりの墓石が見えた気がして、罵声をあげた。
 おれも続いて中に駆けこんだ。ポーチに入ると、熱気が顔に襲い掛かった。

「エリック! キース!」


9月11日 ロビン〔調教ゲーム〕

 おれは身を低くして玄関に入った。

 アトリウムには煙がたちこめていたが、まだ火は回っていない。中庭に入った時、エリックの声が聞こえた。

「ここだ。来てくれ」

 庭の奥の広間にふたりはいた。
 広間は火の手で明るかった。おれは夢中で駆け込んだ。顔と手足が熱い。

「何してんだ! 早く出ろ」

「ロビン、おれを支えてくれ」

 エリックがわめく。広間の真ん中には大きな穴が開いていた。彼はそこにシーツを垂らし、何かをひっぱりあげていた。


9月12日 ロビン〔調教ゲーム〕

 穴の下に誰かがいた。そいつはシーツをつかんでいたが、体重を支えられないようだ。

「つかまれ。つかまってろ」

 だが、反応が弱い。エリックは業を煮やした。

「もういい。おれが行く。あとで引き上げてくれ」

 やめろ、と言う間もなかった。エリックは穴の中に飛び降りてしまった。

 と、同時に上から火の塊が落ちてきた。
 
 おれは頭上を見た。ガラスの壁がめぐり、ランプのように照り輝いている。天井に穴が開き、盛んに火の粉が降っていた。

「エリック、早く!」


9月13日 ロビン〔調教ゲーム〕

 エリックが中から叫んだ。

「気絶した。背負うから、シーツをしっかり支えていろ」

 キースがおれに腰を支えているよう言う。おれはキースの腰に抱きつき、足を踏ん張った。

 ひどく熱い。そして息ぐるしい。肺が煮えていくようだ。指に力が入らなくてこまった。目がかすむ。よく見えない。ものが考えられない。

 キースの腰がずれる。穴から悪意の塊がキースを引き摺り下ろそうとしている。

「ッ!」

 キースに何かの塊が当たり、彼がひるんだ。尻が前にずれる。落ちそうだ。

 あれはなんだ。悪霊?


9月14日  ロビン〔調教ゲーム〕

 結局、おれたちは消防に救い出された。

 おれはキースの腰を支えている途中で一酸化炭素中毒にかかってしまい、キースの腹に抱きついておぶさっていただけだった。

 キースは背にはおれ、手では二人分の体重が乗ったシーツを掴んで踏ん張っていたのである。

 そこへ消防隊員が来て、素人たちを救い出してくれた。おれは家のなかにいた人物ともども、救急車でポルタ・アルブスに運ばれた。
 入院は一日だけで済んだ。が、家に帰ると空気がおそろしく険悪になっていた。


9月15日 ロビン〔調教ゲーム〕

 キースに聞いていたが、居残り組は激怒していた。

「無分別!」

 フィルはおれに説教をした。

「燃える家にどれだけの有毒ガスがあふれているか知らないのか。壁材。塗料。元警官のくせに考えがなさすぎる!」

「その、元警官だから、仲間は捨て置けなく」

「だとしたら、ずいぶん無能な警官だな! 応援を待たずに、被害者を増やした。消防のお荷物になった! ぼくが上司なら、きみは資料庫行きだ」

「よかったよ。きみが上司じゃなくて」

「この件はご主人様に報告したからな!」

 な、なにい!?



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