2016年 3月1日〜15日
3月1日  ライアン〔犬・未出〕

「ライアン、夕飯できたよ」

 タクが部屋まで声をかけにきた。

 おれは返事をしない。ベッドに伏せ、毛布に丸まって黙っている。おれはタクの仕打ちにショックを受け、拗ねまくっている。

(タクはおれの気持ちなんかどうでもいいんだ)

「ライアン。あの、もう春だからさ」

 タクはぼそぼそいいわけした。

「いつまでもアレあると、部屋がほこりっぽくて」

「……」

 外から帰ってきたら、部屋からコタツが消えていた。おれはアイスの袋とともに床に崩折れた。もう立ち直れない。


3月2日 エリック〔調教ゲーム〕

 最近、フィルにマリカで勝てない。大変胸糞悪い。

「賭けなくてよかったな。じゃなきゃ、きみはむこう三ヶ月奴隷だ」

 いちいちからかう。

「よくがんばった。少しはうまくなったんじゃない?」

「かわいそうに。教えてやろうか?」

「エリックが気の毒だから、新しいゲーム買おう」

 おれは一度たまりかねて言った。

「もうバスルームにカマキリが出ても、とってやらないからな!」

 フィルは口をつぐんだ。
 ちょっとおどろいた。カマキリってすごい。


3月3日  巴〔犬・未出〕

 おっちゃんが日本に帰ってしまい、毎日しまらない気分。
 ネトゲでぼやくと、アルが、

『うちでピザパーティーするから来れば』

 行けるかバカ。こないだ死にかけたわ。

『窯焼きピザ、うまいよ』

『お届けして』

『焼きたてのパリパリがうまいんだよ。トマトがとろけてて、酸味がじゅわ〜。チーズがとろ〜』

『やめろ。おれの味わえない幸せなんか知りたくない』

『オススメはキノコだね。あの歯ごたえと香り』

『うるせー。パリパリの煎餅うまー(涙)』

 窯焼きピザなんか、欲しくないもん。うわああん。


3月4日 巴〔犬・未出〕

「ピザがなければ、チャーハンを食べればいいのよ」

 おれはひとりチャーハンを作って食べた。

(……)

 まずくはない。でも、つまらない。

 おれは陽気な曲をかけた。近所迷惑にならないようサッシを締め切り、大音量をかけて踊った。だんだんノッてきた。

 わーい。ひとりは楽しいなー。

 服を脱ぐ。全裸でもOK。フルチンでバク転しちゃう。歌も歌うよ。リンランラン。ヘイッ!

「……」

 サッシに変なものを見た気がして、ふりかえった。
 兵隊とアルとミハイルが地蔵のように固まっておれを見ていた。


3月5日 巴〔犬・未出〕

「何度呼んでも出ないから」

 アルはいいわけしたが、おれはゆるさない。兵隊のあの鳥みたいな笑い声は一生忘れられるもんじゃない。ミハイルも顔を押えたまま、まだ震えている。

「ま、無事でよかった。ピザ持ってきた……っ」

 ぶはっとまた笑いやがった。うわあああ。おまえら殺して庭に埋める!その上に桜の木を植える!

 ミハイルは目に涙をためて言った。

「あんな特技があるんならCF来いよ。ダンスのクラスもある」

 ノーサンキュー! とにかく早く帰ってくれ。これから切腹するんだから!


3月6日 巴〔犬・未出〕

 ふたりが帰った後、しばらく布団にもぐりこんで頭を抱えていた。そのうち、寝てしまった。

 夜、ハラが減って目が醒めた。ピザをオーブンであっためて食べた。

(うま)

 サクサクでうまかった。

 ――まあ、しょうがない。アルはおれがおちゃらけ者だと知っている。ミハイルにもこの前、過呼吸おこしてみっともないところを見られた。今さらだ。

 ピザに免じて許そうと思った。だが、翌日、ゲームでアルのキャラが話しかけた。

『ミハイルだ。CFに来ないか。今度、ダンスバトルがある』


3月7日  巴〔犬・未出〕

 おれは反射的にお断りの言葉を述べていた。

 門より外に出るつもりはまったくない。マイケル・ジャクソンが生き返っても、観に行くことはない。
 ミハイルはしつこくはなかった。

『そうか。わかった』

 あっさりログアウトした。
 気を悪くしたろうか。

 ミハイルはアルとちがって怖い。大柄で色素が薄くて、整いすぎてる。あのピンク色の目にじろりと見られると、生きているのが申しわけなくなる。

(でも、ダンスバトルは観にいかん)

 そんなの動画でたくさん見た。動画は安全だ。


3月8日 巴〔犬・未出〕

 おれはアル本人がINしている時、ダンスバトルがいつあるのか聞いた。

『明日だよ』

『タダで見られんの?』

『ダンサーも犬だからね。プロもいるみたいだけど』

 アルは宝箱のルーレットを開けていて、この話題にはもう興味がないようだ。おれもあきらめた。

(……まあいい。ひとがたくさんいるだろうし)

 なぜか、ちょっとさびしかった。別にヒップホップに興味があるわけではない。むしろ本場はこわい。
 でも、気になる。なぜか心がうわずる。

(……あきらめよう。いつものことだ)


3月9日 巴〔犬・未出〕

 その日は朝飯を食うと、もうやることがなかった。マンガ雑誌を読んで、のたのたしていた。

 どのマンガも子どもばかり戦っている。やたら美少女にからまれる無能主人公。おせっかいな仲間たち。
 何を見てもうすっぺらい。面白くない。

 退屈だった。ゲームにINしても、この時間はみんなCFに行っているからいないのだ。CFでダンスバトルを観て楽しんでいることだろう。

(……)

 現実にはおせっかいな仲間などいない。無能主人公はひとり放っておかれる。

 と、その時、ドアホンが鳴った。


3月10日 巴〔犬・未出〕

 ミハイルが来ていた。

「アルからだ。今朝焼いた」

 彼は紙袋をよこした。
 パンだ。まだあたたかい。ふいにおれは切なくなった。

「……ありがと」

 ミハイルは言った。

「おまえ、ヒマなんだろ。CF来いよ」

「――いまから?」

 言ってしまって、あわてた。なんで行く前提で聞いているんだ。

「ああ、今だ」

 無理、と言おうとして、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 いつもここで真っ先に無理と言ってしまう。飛び退いてしまう。そして何も変わらない。

 おれは今回、下駄箱の戸をあけた。靴を出して履いた。


3月11日 巴〔犬・未出〕

 ミハイルは地下道におり、バス停に立った。

「1番がカニス・フォルム行きだ」

 バスがくると、彼はさっさと乗り込んだ。おれはバス代を持っていないことを思い出した。

「あの」

 ブルドッグみたいな運転手が見ている。
 まずい。まずいこの間。また挙動不審だ。

「あ、あ――」

「乗らねえのか」

 プシューとドアが閉まった。

(……早い)

 外人さんは気が短い。
 しかたなく離れようとすると、またドアが開いた。ミハイルが飛び出てきて、おれの手をつかんだ。

「ちゃんとついてこい」


3月12日 巴〔犬・未出〕

 運賃は必要なかった。

 おれはひとのいない窓際の席に隠れるように座った。ミハイルは通路をはさんだ席に座った。

「よう、新顔だな」

 前から声がしてぎょっとした。座席の上から黒い顔が見下ろしていた。

「チャイナか? 中華街でおまえみたいなやつを見たぜ。チャイナ・マフィアか」

 え、え? どう答えろと? 粋なジョークを求めてる? 
 
 おれはうつむいてしまった。寝たふりしたいが、今からじゃさすがに失礼。
 ミハイルが言った。

「日本の子だ。英語がよくわからない。放っておいてやれ」


3月13日 巴〔犬・未出〕

 おれはじっと自分のひざを見ていた。

 前席の黒人にはきっと軽蔑されたことだろう。ミハイルももう後悔しているかもしれない。そう思うといたたまれなかった。

(なんで出てきたんだ)

 玄関先でなぜ自分が血迷ったのか、もう思い出せない。
 ミハイルが隣の席に移ってきた。

「このバスは犬専用だ」

 彼は言った。

「客が乗ってくることはないが、犬にもいろいろいる。別に相手にしなくていい。からまれたくなかったら、運転席のそばに座れ」

(……)

 おれはちょっと落ち着いた。ミハイルは怒ってない。


3月14日 巴〔犬・未出〕

 CFのゲートに入る時、またおれは軽くパニックに陥った。入管証のようなものが要るのだ。

(む、無駄足!!)

 ミハイルを見ると、彼は動じた風もなく言った。

「窓口に自分の名前を言って来い」

 窓口にはまたブルドッグのようなこわい親父が座っていた。
 どうしてこの町にはブルドッグばかり詰めているのだ。こんな時だが、『チャーリーとチョコレート工場』を思い出す。あっちもこっちも同じ顔の小人族。踊り歌う小人族。
 バスをおりたら、パスがな〜い♪

 いや、それどころじゃなかった。


3月15日 巴〔犬・未出〕

 おれは一応、ミハイルを見た。
 ミハイルは少し離れた場所で背をむけて待っていた。

 そういえばこの人は大統領を守るSSだったのだ。たぶん、いまテロリストがおれを狙っていても、カバーしてくれそうだ。でも、窓口のブルドッグからおれを守ってくれる気はないんだね。

 しかたなく、おれは窓口で名前を言った。

「あ?」

 親父は険悪に眉をつりあげた。ふええ。ごめんなさい。もう来ませんからゆるしてください。

「聞こえねえ。なんか用なのか?」

 おれは声をふりしぼった。

「ミハイルー!」


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