アポロンの矢〜三日後のミハイル
La Freccia di Apollo
調教部屋のドアを開けると、ピンクの瞳がレーザーのようにまっすぐにわたしを射抜いてきた。
指示した通りにミハイルは両腕を広げた形に鎖で吊られていた。時折、腕の筋肉が苦痛を和らげようとするかのように動いている。
わたしは、黒人のアクトーレスにさらに鎖を引き上げるように伝えた。身体が床から1フィートほど浮き上がったところで止めさせる。
ミハイルの周りを一周して、足の裏まで満遍なく目を走らせた。彼の鍛えられた肉体は、大理石の彫像のようだ。
公衆浴場で負った火傷は跡形もなく消えていた。さすがヴィラの医療スタッフは優秀である。広場でのパドル打ちに続けて、公衆浴場、庭園、レストランと連れ回して遊んだわたしは、三日間ミハイルを休養させていた。
しばらくの間わたしは無表情を装いながら、久しぶりに彼の裸体を鑑賞した。
ふと見上げると、ミハイルの頬が薄く染まっていた。伏し目がちになったプラチナブロンドの睫毛が揺れている。
わたしは、いきなり彼の右側の乳首のピアスをつまみ上げ、勢いよく引っ張ってやった。
「ヒッ・・」
彼の顔が苦痛に歪み、ピンクの瞳が瞬間的な怒りで赤く燃え上がった。
そうだ。その眼だ。こうこなくては面白くない。そう簡単に手なづけられる犬ではないはずである。
わたしは、彼の不服従をとがめた。
「鞭で打ちますか?」
黒人のアクトーレスがたずねてきた。わたしは一本鞭で後ろから打つように伝えた。
アクトーレスが手慣れた動作で鞭を振り上げるのを横目で見ながら、わたしは用意されていたシェリーのグラスに手を伸ばした。
よく冷えたシェリーを口に含んだとき、鞭の音が部屋に響き渡った。鎖がガチャガチャと鳴り、ミハイルの身体が大きく揺れた。彼は目を閉じて眉を寄せたまま、声も立てずに苦痛に耐えていた。
わたしは更にシェリーのグラスを口に運んだ。鞭と鎖の音。
数回続いてグラスが空になりかけた頃、ミハイルから微かなうめき声が聞こえるようになった。
「クッ――あッ――アアッ」
ミハイルは頬を涙で濡らしていた。
わたしは、アクトーレスに鞭打ちをやめてミハイルを下ろすように言った。まだ一日は始まったばかりだし、ミハイルを躾るには鞭だけでは不十分だ。それに、今日は三日間の不在の間にあたためてきた思いつきを試してみたかった。
わたしはアクトーレスに、散歩に行く、と伝えた。首輪にリード、乳首とペニスのピアスに鎖をつけるように指示する。
外に出ると、明るく渇いた大気に包まれた。空には雲一つなく、どこまでも吸い込まれるように青い。絶好の散歩日和だ。
ミハイルにとっては、三日ぶりの戸外だ。彼はまぶしそうに眼を細めて、全身をぶるっと震わせた。陽だまりが嬉しいようだった。石畳にそっと右手を下ろし、朝の日射しに暖められた石の感触を確かめると、古代ローマ時代風の通りへと這い出していった。
わたしは、まずは公衆浴場の方角に進んだ。ミハイルは、リードを引かれるまでもなくおとなしく這っていた。角にさしかかるたびに、何か問いたげな目つきでわたしを見上げる。何をされるか聞きたいにちがいないが、賢明にも発話をこらえていた。
公衆浴場が近づいてきたとき、突然ミハイルが歩みを止めた。
「おや、これは奇遇ですね」
からかうような声が聞こえた。ヤニス・ニオティス。傍らに犬を一匹連れていた。
わたしは、もう一匹の犬はどうしたのか、とたずねた。
「やれやれ。人の犬の心配ですか。彼なら広場に繋いでいますよ。仔犬は最初の躾が肝心ですからね」
ヤニスは片眼をつぶってみせた。彼のウインクには匂い立つような色気がある。
「ところで、聞きましたよ。公衆浴場でミハイルに小遣い稼ぎをさせたんですって?彼のフェラはいけるでしょう?ぼくが仕込んだんですよ」
ミハイルはうなだれて耳まで赤くしていた。拳を関節が白く浮き出るほど強く握り込んでいる。
「どうです?どれくらい上達したか、ぼくに味見させてもらえませんか。代金の金貨5枚は払いますよ」
ずっと下を向いていたミハイルが弾けるようにわたしを見上げた。ピンクの瞳を瞠ってまばたきを繰り返し、固唾をのんでわたしの言葉を待っている。
わたしは頭の芯が熱くなったが、努めておだやかにヤニスの申し出をことわった。ヤニスの黒い眸が冷えた。
そのかわり、とわたしは続けた。ミハイルにあなたの犬に挨拶させてくれないか。
ヤニスはつまらなそうな表情を一変させて、爽やかな笑い声を立てた。
「さすがはミハイルの飼い主だ。いいでしょう。挨拶してもらいましょうか。・・・ペドロ」
ヤニスの犬はすぐさまミハイルに近寄ってきて、挨拶を受ける体勢をとった。
ミハイルは固まっていた。わたしが促すと、一呼吸置いてからゆっくりと顔を上げて見つめてきた。ピンクの瞳が暗い陰を宿している。わたしは乱暴に胸のピアスの鎖を引っ張った。
「ヒッ――痛い、や、やめてください」
ミハイルは、ヤニスの犬の方にとぼとぼと這っていった。が、既に立ち上がった長大なペニスを目の当たりにすると、唇をきゅっと引き結んで俯いてしまった。しかし、まもなく観念したように薄く口を開き、そろそろと舌をペニスへと伸ばした。
そのミハイルの頭を、ヤニスの犬がぐっと押さえ込んだ。ミハイルは咽せて苦しそうにもがいた。喉の奥まで犯されてしまったらしい。
挨拶の範囲を超えているが、わたしは止めなかった。ミハイルは根元から先端へと舌を這わせて、吸い上げるように口をすぼめた。プラチナブロンドの頭ががくがくと上下に揺れている。ヤニスの犬はすぐに達した。ミハイルは顔をしかめながらも、かろうじて彼の精を嚥下した。
ヤニスは黒い眸をきらめかせながら、自分の犬がミハイルに奉仕を無理強いするさまを眺めていた。ミハイルが精液で汚れた唇の端を犬らしく肩先で拭うのを見たとき、ヤニスのまなざしが物欲しそうに揺らいだ。
わたしはヤニスに手短に別れの言葉を告げた。まだ苦しそうに喘いでいるミハイルをせき立てて先を急ぐ。数歩進んだところで肩越しに振り返ると、まだヤニスがこちらを眺めているのが見えた。
ヤニスの姿が十分に遠のいたところで、わたしはミハイルを叱りつけた。生まれたての仔犬ではあるまいし、挨拶くらいできてもらわなければ困る。
ミハイルは見るからに元気をなくしていた。地面を見つめたまましょんぽりとしている。突然ポツッと石畳に水滴が落ちてきた。顎を捉えて上を向かせると、ミハイルはピンクの瞳いっぱいに涙を浮かべていた。唇を震わせて懸命に嗚咽をこらえている。
わたしはミハイルのリードを引いて、公衆浴場前にある泉へ連れていった。
勢いよくほとばしる泉の周りには、涼を求めて犬を連れた人々がにぎやかにくつろいでいた。
躍動的な海神たちの石像の前で、ミハイルのブロンド頭を泉の中に突っ込む。驚いて暴れるのをアクトーレスと二人がかりで押さえつけた。
十数えたところで引き上げてやる。ミハイルは酸素を求めて激しく喘いだ。再び泉に突っ込む。
3度目にはミハイルは抵抗をやめた。泳ぎを知る者には溺れるほどではないはずだった。呼吸のリズムを掴むのは難しくないだろうが、多量の水を飲むのは避けられない。
わたしはミハイルの腹が水でふくれるのを確認したところで、手の力を緩めた。
水揚げされたミハイルは頭の先からぐっしょりと濡れていたが、嗚咽は止まっていた。涙も流れていないようだった。 わたしが泉の前のベンチに腰を下ろすと、ミハイルは脇に寄ってきておすわりの姿勢を取った。そっと彼の首を膝に乗せてまだしめっている髪を手で梳いてやると、彼はくったりと目を閉じた。全身にしたたる水滴が光を弾いている。
スズカケが風に揺れて、彼の背中の上に万華鏡のような葉陰を落としていた。
にわかに膝の上のミハイルの頭が重くなった。額を私の膝に押しつけて、膝を交互にもじもじと動かしている。さっきの水責めが効き始めた頃合いだ。わたしは、どうかしたのか、とたずねてやった。
「トイレに、行かせて、ください」
わたしはやさしく、おまえは犬なのだからここでしていいのだ、と言った。ミハイルがうつむく。
「でも、人が・・・」
人に手伝って欲しいのか、三日前のように。ピアスを使うか?ここには顔見知りの犬もいるようだ、とわたしは続けた。泉の向こうにいた知り合いに手を振るのを見て、ミハイルはあとずさった。
「い、嫌だ。やめてくれ。」
アクトーレスがリードを引いて叱りつけた。
「こら、ご主人様の言いつけには、「アい、ご主人様」とエんじするんだ、バカ犬」
ミハイルは真っ青になって、身をかがめている。アラブ犬を連れた知り合いが近づいてきた。
「やあ、またトイレトレーニングか」
わたしは、外で排泄させるのはあれ以来初めてなのだ、と告げた。
「おお。いい時に会ったな。見せてくれよ」
わたしは、アクトーレスにミハイルを後ろから抱きかかえるように命じた。
「や、やめてくれ。さわるな」
ミハイル、とわたしは叱りつけた。
昼食は特製スパゲティを食べに行くか?尻にネックレスを垂らしたまま広場に繋いでやれば、おまえも聞き分けるようになるだろうか、と言ってやる。
ミハイルは真っ青になって、抵抗を止めた。
「わ、分かった。分かりました。だから、もう言わないでください」
ミハイルは、おとなしくされるがままにしていた。アクトーレスは、ミハイルの背後から両膝の下に手を入れて抱きかかえた。明るい日射しの中にペニスがさらされた。
いつの間にか、わたしたちの周りには見物人で人垣ができていた。人々はミハイルを指さしてくすくすと笑いながら、様子を見守っていた。
ミハイルはぎゅっと目を閉じている。引き結んだ口元が震えていた。首筋まで真っ赤だ。
「ミアイル、しっこだ。しい――、しい――、しい――」
アクトーレスの言葉に誘われて、ペニスがふるっと震えたかと思うと、ほどなく勢いよく小便がほとばしった。人々は歓声を上げてはやしたてた。
「えらいぞ、仔犬。上手におしっこできたな」
「いっぱい出るな。さすが大型犬だ」
朝から我慢していただけに放尿は長く続いた。ミハイルはすすり泣きながら人々の視線に耐えていた。やがて水音が止まると、見物人たちは満足そうにわたしに礼を言って、離れていった。
わたしは、アクトーレスにミハイルを泉で洗わせた。日射しが強く、石畳に濃い影を落としている。昼をだいぶ過ぎていた。泉から少し離れたところに屋台が出ているのを見つけて、ピザ一切れとよく冷えたビールとミネラルウォーターを買った。
木陰のベンチにミハイルを呼び寄せて、石畳の上にピザを置いた。ミハイルはピザを見つめてじっとしている。朝から何も食べさせていないのだから、空腹でないはずはない。
わたしは、普通のピザだ、と言ってやった。わたしが、ちぎって自分の口に放り込むと、ミハイルはほっと顔をほころばせた。嬉しそうにピザに手を伸ばしたところを、アクトーレスに踏みつけられた。
「ノン。犬は手は使わない」
ミハイルは、びくっとして顔を上げたが、黙って四つん這いのままピザに口を近づけた。足下でミハイルが食べる姿を見下ろしながら、わたしはビールのプルトップを開けた。冷えたビールが喉に心地よい。
皿を出して、ミネラルウォーターを注いでやった。ミハイルはおとなしく舌を伸ばして、ぴちゃぴちゃと水を飲んだ。トマトソースで赤く汚れた顔が可愛らしい。わたしは彼の顎を引き寄せて紙ナプキンで拭ってやった。
軽い食事を済ませると、わたしたちは散歩を再開した。
広場に近づくにつれて、ミハイルの足取りが重くなった。元気がない。どうやらパドルのお仕置きを思い出しておびえているようだった。わたしはリードを引いて、あのときの架台の方にミハイルを引っ張っていった。
今日は先客がいた。綺麗な犬が首と両手首を固定されて繋がれている。ヤニスのもう一匹の犬にちがいない。首輪を見て確認する。ミハイルは悲しそうに犬を見つめた。
広場から立ち去ろうとしたとき、ブロンズの女神像の陰から鈴の音が聞こえた。
近寄ってみると、気を失った男がくくりつけられていた。どこかで見た顔である。
女神の両腕に固定された足の甲には、見るも怖ろしい金串が突き刺さっていた。足首とペニスに取り付けられた鈴が、風に揺れて音を立てた。首から白いプラカードが下がっている。わたしは、犬になったアクトーレスの噂を思い出した。 黒人のアクトーレスが鼻を鳴らすのが聞こえた。知り合いか、とわたしはたずねた。
「知っていますよ。他班ですが、第5デクリアのオプティオでした。」
男の額にブラウンの髪が汗で貼り付いていた。身体じゅうが血と精液にまみれている。アヌスが裂けて血だらけだった。下腹が奇妙に膨れている。何か詰められているのだろうか。
「ミアイル、おまえもこんなピアスをつけたいか?戦闘能力の高い犬専用だからな。おまえにも資格があるぞ」
アクトーレスのからかう声に、ミハイルは真っ青になってがたがたと震えた。
男が身じろいで、うっすらと目を開けた。ヘイゼルの瞳がきらりと光を弾く。綺麗な男だ。わたしは聖セバスチャンの絵を思い出した。
アクトーレスがわたしにたずねた。
「首輪が外されていますね。遊んでいきますか。」
いや、そろそろレストランに食事に行きたい、とわたしは言った。
第一、逃亡犬の光景はミハイルには刺激が強すぎるようだった。
アクトーレスはちょっとつまらなそうな顔をした。
「分かりました。行きましょう。・・・・・・じゃあな、オプティオ」
言いざま、アクトーレスは金串を引っ張り上げた。
「アアッ――ッ」
男は絶叫してのけぞった。鈴がうるさいくらいに鳴り響く。
ミハイルは顔を背けて男を見ないようにしていた。わたしは、行こう、と声をかけた。ミハイルはほっとした顔で、這い始めた。
「ウ、ウッ――クッ――」
わたしたちの背後で男のうめき声が風に消えていった。
お気に入りのレストランに入ると、給仕が駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ。おや、ミハイル、この間はごくろうさま」
ミハイルは首を引っ込めた。わたしは機嫌良く、給仕にあいさつした。ずっとここでの食事を楽しみにしていたのだ。支配人を呼ぶように頼む。
いそいそと顔なじみの支配人がやってきた。
「ようこそお越しくださいました。先日はありがとうございました。おかげさまでお客様に大好評でございました」
支配人は慇懃に礼を言った。わたしは、今日のお薦め料理をたずねた。
「今日は鴨がおすすめですよ」
前菜、鴨料理、チーズとワインを注文した。
「かしこまりました。ご注文は以上でよろしゅうございますか」
いや、とわたしは笑みを浮かべた。
メインの鴨料理にはわたしが持ってきた皿を使ってくれないか。それから、先日の礼にその皿でこの店の客に料理を振る舞いたい、と伝える。支配人の顔がぱっと輝いた。
「ありがとうございます。シェフも張り切って腕を振るうことでございましょう」
わたしは彼にミハイルのリードを渡した。
ミハイルは怪訝そうな面持ちをしていたが、ようやく会話の意味に気づいたようだった。
「嫌だ。やめてください。ぼくは今日ずっと言いつけを聞いてきたのに、どうして・・・」
支配人がペニスのピアスの鎖を引っ張ると、ミハイルは火がついたような悲鳴をを上げた。
「ヒッ、アッア――ッ」
支配人がにらみつけると、ミハイルは大きな背中を丸めてうずくまった。
「店でさわぐな。こっちだ。おとなしくしなかったら口に接着剤を練り込むぞ」
ミハイルの身体が硬直した。わたしは、用意していた箱を取り出して支配人に手渡し、料理について細かな指示を与えた。支配人はにんまりとうなずくと、ミハイルのリードを取って厨房に姿を消した。
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