既視感二重奏  第2話

 
「あんた、縛るより縛られる方があってんじゃない?」
抵抗さえ出来なかった。今、いまいましい拘束具が、自由を奪っている。 
ともかく、こいつの逃走を食い止めなければ。ああ一体どう対処しろと教えられてたろう?
「逃げるんだったら無駄だ。」
「知ってるよ。けど俺は手も足も切られない。連れ戻されて打たれるだけだ。」
「そうとは限らない、俺は知ってんだ、最近はもっといろんな方法がある。」
「足にピアスとか? 構わないよ、痛くないし。」
言って、馬鹿にしたように笑った。
調子に乗るんじゃねえよ…。くそ、クソ犬。

「もう行こうか。」
ふと、独り言が聞こえた。見上げると、奴が立ち上がっていた。いよいよ、外へ出ようとしているのだ。
「捕まるだけだ。」
言ってやると、奴がこちらを向いた。目が、笑みを含んでこちらを見ている。思わず、それに呑まれてしまった。
近付いてきた奴の指が首にかかる。…死ぬかも。
が、苦しくなる事はなかった。その代わり耳元でしゅるる、という音。
「この格好ならな。」
ネクタイを握った奴が、また笑い顔を作った。
そこで俺は、奴の真意がわかった。さっきの言葉も独り言じゃない。
この犬、今慌てて出て行っても捕まるとは、重々承知しているのだ。

「じゃあ行こうか、奴隷監督様。」
ギャグが居心地悪い。羞恥でまともに顔が上げれない。四つん這い、ってこんなに気持ち悪い体勢だったのか。
畜生、なんだって俺が…。
犬の格好に、と思っただけで吐き気がこみ上げた。これじゃあ何時かのあのパトリキじゃねぇか。
俺の持っていた鞭を腰に挿している。さわんじゃねえ、お前の持っていいものじゃねえんだよそれは!
もごもごと口を動かすと、やんわりと笑われた。対称的に首輪の鎖が乱暴に引かれる。
扉が開いた。

・・・・

「…何で皆気づかない。」
「あ、取替えっこキャンペーンの事か? そりゃあ、あの犬は有名ってわけでもないしなぁ。 平には。」
「…助けないのか。」
「あいつ、お得意さま盛り沢山のとこ行ってやがる。あんま大事にしたくない訳よ。
犬が本格的に逃げるなら行くけどな。お前は?」
「…ああ、忙しい。」
「まあ、後10分くらい様子見るよ。あ。あーあ。…コンタクト取りやがったあの犬。」
「あ? 客と?」
「…あーあーうるさい!」
「……。」
「(あー…、うけなかった…)」
「……。」
どげしっ、ぺっ

・・・・

 広場で堂々と客と話す奴を見ていると、もう何が現実なのかわからなくなってきた。
話の内容も、俺の主人はどうしたとかこうしたとか。そんな感じだから聞く気がしない。
今、目の前で、南方系の犬がまじまじとこちらを見ている。見知らぬ犬に興味を示しているのか、とにかくこっちを見るな。
ぐい、と鎖が引かれた。
「きなさい。」
犬のくせにアクトーレス面で命令してくる。畜生畜生死んじまえ。本当は俺がそこなんだ。調子に乗るな。ちょうしに、
「ゥぐ!?」
信じられないくらいの激痛が走った。喉の奥で息が詰まる。鞭で打たれたんだ。
「来い。」
言われてもすぐに動けなかった。『最初から悲鳴をあげる犬のほうが生命力が強い』
誰が言った言葉だったろうか。今なら声を大にして肯定できるだろう。本当に痛いと声を出す余裕もない。
もう一度、鎖が引かれた。ふらふらと身体を動かす。客が苦笑しているのが見えた。
ああ滑稽だろうさこんな弱い犬、笑うなら笑いやがれ。

「ここで待ってるんだよ。今この方と、お前についてお話があるから。」
お話は、買い取りとか、そんなところだろう。俺なんかに興味を示して頂いて恐悦至極です畜生。買えもしない犬の話なんかして、そっちが滑稽だ。馬鹿な客共、いい加減俺に気づけよ。アクトーレスの顔くらい考えて見やがれ、そんな顔のアクトーレスなんていねぇよ。

というか。
犬が一人でいるってのは結構やばい状態じゃあないだろうか。…まさか、まさかそれを見越しての放置か? 背筋がぞわっとした。慌てて周りを見渡しても、犬はとっくに消えている。

その代わり、南方系の、あの犬がいた。じっと見てる。じー…っと。何でいる、そして何で見る。居た堪れなくなって目をそらす。ぺたぺたと石畳を歩く音がして、また、そいつが視界に入って来た。なんだよ、ウザイよお前。
睨みつけてやると、得心がいったように頷いた。
「やっぱり。お前、アクトーレスだろう。」
心臓が飛び跳ねた。なんで、…なんでこう言う奴にだけばれるんだよ!
「前僕をぶったじゃんか。覚えてない?」
言われても全く覚えがなかった。その気色が相手にも伝わったのだろう。むうと頬を膨らます。これほどにウザイ存在があるか。
「え、なんだって? アクトーレス?」
ぎょ、とすると共にまた心臓が飛び跳ねた。声のほうを見ると案の定、違う犬がいる。嫌な感じがした。ちら、と周りを見ると好奇そうな目線で、犬共がこちらを見ている。服を着ている奴らは鈍いのかなんなのか、こちらを見ようともしていない。忘れていたのに、再び吐き気がしてきた。

「…勘弁してくれよ…。」
「わがまま言うなよ。犬はわがまま言えないんだろ?」
呟いたつもりだったのに聞こえたらしい。いや、それより犬というフレーズがまた吐き気をもよおした。
「それ以上い」
ぬと言ってみろ、と言おうとしてまた気持ち悪くなってきた。なんなんだよ、これ。

「…今度会ったら殺す。」
「犬としてかい? それとも」
アクトーレスとしてかい、と言おうとでもしたのだろう。
言葉を飲み込み、犬は目を真ん丸くしてこっちを見た。
…そりゃそうだな。俺だって会話してるやつがいきなり吐いたら驚くよ。

。。。

「え? なにこれある種フィーバー?」
「こっち方面の見解からすると、過度のストレスで自律神経の興奮がおこって嘔吐、ってところか。図Tのように、脳の一番下に位置する延髄には嘔吐中枢なるモノがあり」
「それは良いけど、これモザイク必要?」
「モザイク版とそうじゃない版を作ればいい。」
「それだぁ。」

。。。


 朝はええと、サンドイッチとカフェオレだった。
程よく消化された炭水化物とカフェインとカルシウム。あっという間に石畳へと落下した。急いで手を口にあてがっても、勢いのついた水は止まらない。その内胃液しか出てこなくなって、胃液が無くなってきても吐き気はおさまらない。吐く度に喉が痛くなった。口内の粘膜が溶けて薄皮が捲くれかえる。…こんな拷問あったら、気も狂うんじゃないか。

ようやくそれがおさまったのは何秒後か何分後か。
頭はくらくらして、何か寝ぼけたみたいになって、視界はこれ異常ないほどぼやけてた。それよりも、呆然としているのは周りだろう。何度も瞬きをして、ようやく視界が開けた。
…ああ、違った。呆然となんてしてない。ただ好奇心と、嫌悪感とが大きくなっただけだ。

 なにこいつ。なんではいたの?さあ?

ああくそ、耳がきんきんしやがる気持ちわりい。

 きっと体がおかしいんだよ。自律神経ってのが崩れると体が変になるんだよね。
 胸が膨らんじゃったりするんだって。ご主人様が言ってた。

ならねぇよ、馬鹿。群れてねえでとっとと散れ。
…ぁ、南方犬。
口元を拭われた気がした。真っ白い目が近付いてきて、止まった。
…何やってんだこの馬鹿犬は。

 ああ、げろ吐いた口にキスしてる! 不味いでしょ? ぺっ、しちゃいな。
 …うんとねぇ、酸っぱくてちょっといいにおいがする。ええうそ。
 
また他の犬の顔が近付く。目を見てると気持ち悪いから明後日を向いた。石畳が見える。

 ほんとだ、香水かな。ぼくだって買ってもらったことないのに。当たり前だよ、こいつアクトーレスなんだから。ええうそ。

今の会話を、犬以外が聞いてくれたことを願うばかりだ。

 でも変だね、香水なんて。おしゃれなんていらないのにね。キスする相手もいないだろう し。わかんないよ。
 わかるよ、こいつ欲求不満そうだもん。

大きなお世話だクソ犬共。喋ってたらしい。何匹かが、鼻白んだようにこっちを見た。
調子に乗った舌は止まらない。意思が喋ってるのか確認もしてないのに回る。
大体お前等が生きられるように、いっしょおけんめえ育ててやったのは誰だと思ってんだよ。それを考えもしない、馬鹿は困るよまったく。その上調子乗ると馬鹿さ加減に拍車がかかりすぎると言うかなんと言うか。だいたいっ

 殴ったりして平気なのかよ。顔じゃないよ。それにこいつわっけわかんねえもん。

 
そう言うとまた腹にくれた。
まずいな。この場合の暴力は、結構伝染しやすい。鞭打たれる奴が、人を鞭で打たないとはいえない。アクトーレスと言う職業が、彼等の行為を彼等の中で正当化させるだろう。殴られるだけの奴らにとって、何時ぶりかの暴力はさらに興奮する。始末に終えない。
自分でも驚くくらい冷たいところが警告する。
案の定、手を出してきている奴が多くなってきた。

 あはははは、なにこれイイかも。ご主人様もこんな感じだったのかなぁ…
 今度やってみれば。ご主人様に? あ。あ。あ。
 おい、見ろよ、こいつ起ってる。うん本当だね。ほらやっぱり欲求不満だった。
 あ、おい 汚いって。汚くないよお、みんな付いてるじゃん。性格黒い奴のは汚いの。
 でも喘いでる。可哀想だな、アクトーレスはこういう事してもらえないんだろ。
 ええうそ。可哀想。かわいそお―――。…大きなお世話って言わないのほらあ。
 だめだ、ちょっと飛んだ目してる。苛めてやるなよ。
 …ああほら泣いちゃった。泣いちゃったよ。泣くなよおい―…。

畜生畜生畜生、何なんだよこれ、なんで俺がこんな事になるんだよ。俺に触るんじゃねえ。
もういやだ、やめてくれよ!

ぐち、と卑猥な音が内で聞こえた。誰のだろう、指が芋虫のように内を這って蠢いて、それが気持ち悪くて空恐ろしくて。そのくせ口が変な声を上げたりするから、とてつもなく恥ずかしくなってしまう。いやだいやだ、畜生、助けてくれよ誰か! もういやだ! だれか!だれか!
…?

 気持ちいいんだね。いい子だよ、おとなしくして。口調変だぞ。ご主人様はこう言ってく れるの! 指代われよ。いーやーでーすー。

…ちゃんと、驚いた顔になってるのか。指は相変わらずわけわからない快感を引き起
こしている。ただ、目はもう、犬も石畳も見ていなかった。…いる。確かに、いる。


イアン。

なんか、別世界に感じた、否、別世界なんだろう。犬共の表情や、周りの犬が感化されたのか、他の犬とやってる事さえも見えるのだけど。ちょうど、そこだけ切り取られたような所にイアンは位置していた。こちらを見ている。幻? 可笑しいな、薬中でもないのに。
イアン。呼べたのだと思う。口が開いたようには感じなかったけど。イアンはわずかに反応した。
たすけて。その途端、イアンは困ったように形いい眉を下げた。ああ駄目か、そうかよ、あんたも駄目なのかよ、くそ。言ってやろうとすると遮るように、声が聞こえた。

 「ティム。お前は喋りすぎだ。そんなふうに素直なら、誰も何もしなかった。」

突然、イアンが鞭を振るって、石畳がピシッと鳴って、犬共がイアンを振り向いた。
あれおかしいな見えるの俺だけじゃないんだ。イアンが口を開く。おれには「ち」と「れ」の形に見えた。その姿が、すっごく綺麗で。ああ俺はこの人のこんなところが「  」なんだな、と変な事を思って、そのまま、ずるずる…
気絶したんだと思う。だっせぇことに。


何で、助けたんだろう。
途中まではいい薬と思っていたのに。以前の自分とダブったのかもわからない。
なんなんだろう、この気持ちは。
・・・・(まさか)それはおかしい、破滅的におかしい。何であいつ相手に、そんな事を思わないといけないのか。
・・・・(でも)…確かに、そうとしか思いようがない、この気持ちは。
…そうなのかも、しれない。


目を覚ます。
俺はベッドに腰掛けていた。ベッドには俺が寝ていた。横にはイアンがいた。
「ティム。」
なんだろう、何が言いたいのだろう。
「お前を、何で助けたのかわからない。」
俺も分からない。
「かんがえてた、けど…」
…なんだ、このながれは。
「多分、俺は」
何か、すごくすごい事を聞いてる気がした。今すぐ逃げたいような、でも聞きたいような。
まさか、まさか…
「俺は、お前みたいな」
微笑まれた途端、逆転ホームランを打ったような気分になった。
まさか!

「お前みたいな、手のかかる弟が欲しかったのかもな。」

ライトフライ

魂が一気に帰還したのを感じた。

・・・・

「いやーやっと犬捕まったよ。」
「職場に戻れ。」
「…それにしても、弟宣言が出るとはおもわなんだ。」
「職場に戻れ。」
「レオポルドといい、ああ言う子供子供した奴がお好みで?」
「落とすぞ。」
「冷静に迫力あるな。…もしかして、弟宣言に照れてるのか…告白よりは平気とおも」
「覗き見するなと言ってるんだ。」
ぽいっ、どしゃ

「…窓から落とすか、普通。…おーい、最後に一つ。もしかして、あの犬調教させたのは、弟君の調教のため?」
ばんっ
「今、なんて言った。」
「気に触ったなら謝ります。」
「…俺は調教なんて頼んだ覚えはない。」
「……。え。だって紙、上から、イアンからって。」
「只でさえ忙しいんだ、そんなことしてる暇ある訳ないだろ!!」
「え、だからあんなのだったんじゃ、」
「〜〜〜っ!!! DVDといい、もういやだこんな職場!!!」
「落ち着け!! …いいDVDだったよ。あ、いや、その花瓶はたっかい」
「……。」
ひゅ――…ごしっ

・・・・

「間違ってもストーカーにはならないでくれよ。」
一応の検査を終えた彼に言うと、ティモシーはギロリとこちらを睨んだ。泣いていたのか、大分くたびれた顔をしていた。
「大きなお世話だ。」
「おこちゃま。」
莨をふって、いる?といってやると、にこりともせず受け取った。ほんとは禁煙なんだけどなぁ…病院だし、それくらい分別着く大人になろうね。
「なあ、外科部長。大きくなる薬とかないかな。」
何を言い出すかと思えば。
「無理だね。」
切り捨てると、そこまで馬鹿じゃないのか、そっか、と落胆も見せず言った。弟呼ばわりがよっぽどショックだったようで。
「ビンゴは作れるのに。」
「ああ、あれはわたしの中でも一番の傑作とも」
「解説はいい。」
そうかと言って紫煙を吸う。ティモシーはぼんやりと、紫煙を見つめている。…そろそろか。
「ティモシー。」
呼びかけて、振り返ったその口を塞いだ。驚いたのか、体が跳ねる。わたしにしては、これ以上ないほど優しくかつ、ゆっくり丁寧なキスのはずなのだが。なぜか彼は、腕に爪を立ててくる。やれやれ。世話のやける。

始まりのように、唐突にキスを終わらせる。
莨が落ちて、床を焦がしていた。あーあ、後で清掃代請求してやる。
ティモシーを見ると、散々だ、と涙目が語っていた。苦笑し、わたしはさっさと踵を返す。本人は何がなんだかわかってないだろう。思わず笑いがでた。…こんなに愉快な事はない。
おとこのこはこうして、大きくなるんだよー、ってそこまで小さくないか。
…小さくなる薬、今度作ってみようかな。

。。。

「おかえりー外科部長、後の編集お願い…もうだめねむい」
「ただいま。残業手当は出るんだろうな。」
「副収入からも搾取するの…」
「題名ぐらいは決まってるのか。」
「はいはいおやすみ。」
「おい、………ぅん、さめざめくんと…」
「めちゃな題名考えるな! 一番上に書いてある!」
「あ、ほんとだ。あ、わたしに美白トーンかけていいか?」
「何でも…おやすみ。」

「(あ、そうだ)…フミウス。」
「何。」
「さっきラスト出演中いいアイディアを」
「却下。おやすみ。」
「上告。……おやすみー。」

。。。                           


                        ――THANKS!






〔フミウスより〕
ティムついにここまでされてしまいましたか。イアン意外とやさしいですね。
ところで、フミウスが出てくるとは思いませんでした。しかも、マッドなドクターと同じ部屋に住んでいるんですか? 危険で寝られませんて。 
ご主人様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ひと言、ご感想をいただけると鬼のようにうれしいです♪ 
(メアドはaa@aa.aaをいれておけば書かなくても大丈夫です)

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