秘密の犬―Parentalia(死者のための祭り) vol.5


 厳密に言うと、私への報酬だけであなたを自由にするわけではないのです。
 ファビアンは難しい顔をして続けた。
「ヴィラの壮大なゲームですよ。あなたを心から思い、解放しようと思い努力するものがあらわれたら、ヴィラはその存続が危うくなるのでない限り、邪魔をしない。今回プラエトルはあなたを贔屓していましたから、基準は甘くなりがちでしたがね。ああ、白馬の騎士として認定されたのは、私ではないですよ。私はボーナスにあなたを望んだだけですから」
 私は少し混乱し、よろめき、ファビアンに抱きとめられて窓辺に座った。ファビアンは私を抱き寄せると、額に口付けた。
「あなたのためにアンリとイアンが動きました」
 私は驚いてファビアンを見た。
アンリはね、とファビアンは言った。
「彼は、実際のところもう犬ではなかったのです。プラエトルに才能を認められ、マギステル候補としてムーセイオンに学び、見習いとしてすでにドムス・ロサエに通っていた。そこでイアンとコンタクトを取った。イアンがアクトーレスの管理業務と並行して、ドムス・ロサエにも出仕しているのは知っていましたっけね?」
 私は驚き、困惑した。アンリがそこまでしてくれる意味がわからなかった。それを告げると、ファビアンはあきれた顔で言った。
「気づいていなかったのですか?あの子は、あなたを愛しているんですよ。あなたに初めて出会った時、そのままに」
 あなたが自分の犬たちの行方を尋ねた時、ヴィラに残されている犬がいる、と言ったでしょう。プラエトルが残したわけじゃなかったんですよ。彼が、あなたを慕って他の主人の下に行くことも、解放されることも嫌がったんです
 アンリ。美しい優しいアンリ。なんてことだ。
 けれども私はどこかでそのことを知っていた。プラエトルに命じられ、私を惨く責める時にも、確かに私はアンリの愛を感じていたから。

 イアンの話はもっと私を驚かせた。
「あなた、イアンにも調教を受けたでしょう?」
犬になったアクトーレス、イアン・エディングスはプラエトルの客として私の前に現れた。プラエトルはイアンを個人的な友人だと私に紹介した。
 美しい数奇な運命のアクトーレスの顔を私は知っていた。私の犬の担当アクトーレスだったこともある。イアンの登場は少なからず私を驚かせた。
 プラエトルはイアンに私への調教を頼んだ。イアンは困惑したが、命じられた通りに私を責めた。鞭は鋭く、容赦がなかった。イアンの訪れはそれからもしばらく続いた。

 イアンに対しては、私は主人に戻ることもあった。

 ある日、プラエトルは私にイアンで遊ぶように命じた。イアンは、目を瞠り、それでもため息をつき、抗わず私の足元に這った。美しいアクトーレスを支配することに、私は喜びに震えた。主人である快楽は私の中から完全に去ってはいなかった。

 イアンはストレートゲイだった。男と女のように、一人の相手と契約し、結婚し、家庭を持つ。彼には夫がいた。家族がいた。
 夫への背信に涙し、脅え、それでも犬としての自分を思い出し、私やプラエトルを受け入れ、慣れた身体は快楽を享受する。そのことに苦悩するイアンは美しく、私の鞭に支配される姿に魅了された。

 アンリはイアンの調教の時にも側にいた。イアンの立場を正確に理解していたとは言いがたいが、アンリには助けが必要だった。ヴィラの恐ろしさを知り、管理職にあり、プラエトルともつながりを持ち、そして秘密の犬を知っているイアンは、相談するにふさわしい人物だったろう。
 イアンに私の状態を教え、ファビアンの行方を尋ねた。元々ファビアンについての不穏な動きを察していたイアンがひそかに動き、最終的にはプラエトルへ直訴した。
プラエトルはそこでゲームの終結を宣言し、ファビアンは解放され、私はファビアンに与えられ、自由市民となったわけだ。

「結局のところ、プラエトルが実際どこまでご存知だったのか私にはわかりません。私が囚われたのは、あなたから遠ざけるためだったのかもしれません」
 もしかしたら、すべてはプラエトル、あるいはパテルの計画の通りだったのかもしれませんね。
 ファビアンの言葉は私を脅えさせた。ヴィラの迷宮にまんまと捕らわれた私はパテルのゲームの駒だったのかもしれない。
 
 その後の、レガテス(補佐官)と話した面倒な手続きのことなど、私はほとんど覚えていない。私の権利は回復され、財産は返された。
 実際のところ、少なくない額が失われていたが、それは私の今回の遊びに対する当然の対価だと銀髪の紳士はすまして言った。ヴィラはまったく食えないところだ。

 ドムス・レガリスでは家令が私を待っていた。
私に目をあわせようとはせず、義務的に私の犬たちの話をした。私も感情を込めることなく応対した。
 アンリ以外の手放した犬たちについては、調教権を取り戻すよう働きかけることはできます、と彼は言ったが、あまり気はすすまないらしかった。
 私はもう犬を飼うつもりはなかった。すでに落ち着いている犬やあるいは元犬たちに、これ以上何をする必要があるだろう。話はすぐに終わり、私はドムス・レガリスを後にした。
 もう二度と来ることはないだろう、とその時の私は思った。私はすでに主人ではないのだから。


 アンリは私が町のドムスを引き払う日にやってきた。私のためのドムスは一軒だけ残してあった。
 そこに私の荷物は詰め込んであった。アンリのためのピアノもだ。
 アンリはピアノを引き取りにきた、と私に告げた。
 髪を切り、コットンシャツにチノパンをはいた彼は、学生のようだった。出会った時とあまり変わらないように見える。
「家令の馬鹿が、髪を伸ばしてドレスシャツを着て黒いフォーマルスーツを着ろっていうんですよ。外出時は黒いインバネスを羽織れだって。冗談じゃないですよ」
 確かにアンリには似合うだろう。私は笑った。
 アンリはぶつくさ言いながらも片付けを手伝ってくれた。私たちは親しい友人同士のようにジョークを言い合い、くだらない世間話をして笑いあった。不思議な感覚だった。
ふと思い、私はアンリに尋ねた。なんで君はまた、僕を助けてくれたんだい?僕を憎んでいたんだろう?
 アンリはそっぽを向いたまま答えた。
「覚えちゃいないだろうけど、僕が調教の手伝いをすることになって、鞭を取った時、あなたは言ったんですよ。鞭なんか使っちゃいけない、指の形が悪くなるってね!自分が鞭打たれようとしているっていうのに。その時僕は思ったんですよ。ああ、駄目だ。あなたは少しも変わっちゃいなかった。高慢で美しい、僕の愛したアルフレッドそのままだった。それでいて立派な犬だった。嗜虐と被虐、主人にして犬。僕はあなたをもう一度愛した。だからファビアンを失って壊れていくあなたを救いたかったんです」

 アンリのピアノはアンリの家に運ばれた。
 私はアンリに本当にこれで良いのか、と聞いた。アンリの家はヴィラの中にあるのだから。
 アンリは完全に解放されていたが、外に戻ることはなく、ドムス・ロサエのマギステルとして留まることを決めていた。私にはそれが不満だった。
 君は素晴らしい音楽の才能を持っている。私がその才能を無理やりこの町に押し込め、私の虜囚としたのだ。君には君の才能を生かす義務がある。もちろん私は援助を惜しまない。真実無償の援助を。それなのに、君はなぜ。
 アンリは言いつのる私をさえぎった。
「本当にー本当になんてあなたは。僕の才能なんて、才能なんて!マスター・ゴンジャロフは言いましたーああ、あなたが僕につけた教師のロシア犬ですよー君の才能は認めるよ、私の指導の下、君は精進し、進化した。君は良い演奏家になるだろう。小さなリサイタルは開けるだろう。美しい容姿が後押しし、CDを出すことも、テレビに出ることもできるだろう。けれども、君の望みはそうではない。君はミューズにはなりたいのだ。百年先にも残る偉大な音楽家に。しかし、君はギフティングチャイルドではない。君は君の望むものには一生なれないだろうってね」
 けれどもアンリの演奏は素晴らしかった。私は彼のピアノで天上の声を聞いた。それをアンリに告げても彼は否定した。
「それは違う。違うんです。それは、僕が、あなたのために演奏していたからですよ。僕が愛したあなただけのために。愛は時として奇跡を起こすものです。あなたのために弾く一瞬だけ、僕はミューズを手に入れたんです」
 私は絶句した。そこで私はアンリに自分の愛情を告げ、抱きしめるべきだったのかもしれない。私は確かにアンリを愛していたから。
しかし、そうすることはできなかった。ただアンリを見つめていた。アンリは寂しそうに笑うとアデュ、と言った。永遠のさよならだ。
 アンリが私を愛するほど、私はアンリを愛していなかった。私が主人でアンリが犬であった時間も、その反対であった時間も、どちらも捨てがたく濃密な愛の時間であったけれど。


「本当に一緒には行かないのかい?」
 私はファビアンにプロポーズした。
 愚かなことだ。私はストレートゲイではない。ファビアンもだろう。
けれども、私は彼なしには生きることはできない。私の心臓はファビアンに囚われている。
 ヴィラに契約があるなら、違約金は私が払おう、と私は言った。けれどもファビアンはうんとは言わなかった。
「私の職場はここですからね」
 ファビアンの意思は固かった。美しい横顔は迷いを見せなかった。
ならば、私の言うことは決まっていた。
「じゃあ、私の家もここだよー君のいるところが私の家だ」
 ファビアンは驚いた顔で私を見て、厳しい顔になった。
「構わないのですか。また犬に落とされるかもしれませんよ」
 私は乙女のようにファビアンの胸に飛び込み、顔をうずめて頷いた。私の決意も固かった。
 ファビアンはため息をついた。
「あなた、私の仔犬。初めて見た時から私はあなたに夢中でしたよ。どのような形でも手に入れたかった。あなたがゲームの勝利者となってドムス・ロサエかシナジーの調教を望んでくれれば良いと思った。けれども、あなたはゲームに負けてプラエトルに所有されてしまったーけれども私はあなたを手に入れた。どれほどの喜びだったか!」
 ファビアンは私を抱きしめ、額に口付けた。
「あなたはわかっていなかったけれど、ゲームはまだ続いていました。私はこのゲームにあなたが勝利すれば、あなたをあきらめようと思っていました。あなたがここに残るのなら、私はあなたを解放しませんーあなたがそれを望んだとしても」
 ファビアンの目は冷たく私を見た。初めて見る支配者の目だった。私は震えたが、主人の腰にまわした手をふりほどくことはなかった。


 私は時々外界に出てまっとうな人間のフリをした。以前よりも財産やその運営に興味を持ち、関わった。慈善事業には特に熱心に取り組んだ。けれども時間ができるとすぐにヴィラに舞い戻った。

 ファビアンは私を一人で所有することはなかった。
 他の人間に私を与え、時間さえあればその場にいて泣く私を見ながらワインを飲んだ。時々は一緒に楽しむこともあった。
 ファビアンは正しいサディストだった。しかし私は正しいマゾヒストにはなりきれず、その差が常に私を苦しめたが、その差が私をファビアンに執着させ、おそらくファビアンを私に執着させていた。

 アンリは永遠の別れの言葉など忘れたように当然の顔でやってきた。
 私は時々アンリの上になることもあった。すでにアンリは私にとって、私の犬ではなく主人だったから、倒錯した快感が私を夢中にさせた。
 ファビアンやアンリとは外で遊ぶこともあった。私の所有する島で、私は二人の奴隷となり、奉仕した。

 ドムス・ロサエのマギステルたちの相手をすることもあったし、ドムス・レガリスのアクトーレスがやってくることもあった。彼らは新しい責めを私で試すこともあった。私は泣いて許しを請うたが、ほとんどの場合その願いはかなえられることはなかった。私の身体には生傷が絶えなかった。
 また、腸はいつも傷つき、女のようにそこから血を流し、タンポンを入れられていた。
私のつかの間の主人になる彼らは、パトリキのこともあった。ファビアンがいったいどういう基準で選んでいたのかはわからないが、遊びに慣れた彼らはプロの調教師とは違う残酷さで私を弄んだ。
 例の緑の目の男は時々やってきて、ファビアンと共に私を使って遊んだ。
どうやら二人は知り合いらしい。責めはひどく執拗で、彼らと遊んだ後は何日も寝込んだ。
 時々はプラエトルに呼ばれた。彼の手は相変わらず私を心地よく支配した。焼きこまれたプラエトルの印は消されなかったが、ファビアンの印が追加されていた。プラエトルはそこを愛しそうに舐め、私はのけぞった。
 これが私だった。主人たちに仕える淫らな犬。自らとらわれた愚かな犬。


 明かりがついて、家の主の声が近づいてきた。
 ファビアンは、床に転がっている私を見て笑った。私の腹は妊婦のように膨れ、腸の内容物がすぐそこまで降りてきて、アナルプラグを圧迫していた。亀頭のピアスは相変わらず入れられており、屹立した中心できらめいていた。
 ファビアンは支柱にぶらさがるイルリガートルを確認すると、私の腹を軽く踏んだ。
 ぎゃ、と叫んで私は白目をむいた。
「何リットル入れてもらったんです?高圧浣腸は久しぶりですね」

 今回私を責めたのは新人のマギステルだった。黒い髪に黒い目の大人なしそうなスラブ人の少年は、男娼だったという。複数の奴隷を所有する客に買われ、そこでマギステルの才能に目覚めたらしい。
 少年の主人はヴィラの住人ではなかったが、パトリキの友人を持っていた。少年の話を聞いたパトリキがヴィラに紹介したのだ。
 連れてこられた少年はおどおどと私を見て、ファビアンを見た。
「こいつは腸の反応が悪くなっているが、浣腸にグリセリンは使うな。粘膜が傷ついているから、体内に吸収されて内臓や血液がやられることがある。気長にやれ」
 ファビアンは他にも二、三注意を与えるとそのまま出ていってしまった。少年は不安そうに私を見たが、しばらく考えた後に責め具を手に取った。
 一度責めが始まると、少年は容赦がなかった。そして、優雅だった。
 快楽と苦痛をオーケストラのように奏で、私はコンダクターの指示のもと踊った。少年の才能は確かだった。
 しかし、まだ経験が足りなかった。たとえば高圧浣腸は腹が破裂するほどではなかったが、量が多すぎた。苦痛は私のファンタジーを軽減させた。

 ファビアンは私の様子を見て嘆息した。
「あの子に責めさせる時は他の人間にも見てもらいましょう。悪かったですね、さ、出してしまいなさい」
 プラグを抜かれ、私は歓喜の声をあげて漏らし、達した。ピアスの隙間を通って細く精を吹き上げた。主人、恋人、どのような呼び名でも構わない、私の愛する人は満足そうに笑った。
 私はなんて幸せなのだろう。私はファビアンの下、すべての主人に仕える奴隷であり、同時に主人であった。私は私の恋人を確かに自分のものにしたことを知った。


 私はヴィラの町を歩いていた。
 幾人もの主人と犬とにすれ違った。ついこの間までの惨めな私を覚えているものもいただろうが、首輪をはずし、服を着た私に彼らは慎ましく目をそらし、主人たちは会釈をして通り過ぎた。私は目を伏せやりすごした。
 ふと、視線を感じて顔を上げると、この街に不釣合いな人影が目に入った。黒いフロックコート、黒い山高帽、黒いステッキ。顎にたくわえた髭は白く、眼光は鋭く、どこまでも青かった。どこかで見たことのある老人は、私を強い目で見据えてから、さっと身を翻して去った。私は慌てて後を追った。
 不意に道が開けて、見たことのない建物が姿をあらわした。老人がその中に入っていくのが見え、私は走り出した。建物は、ヴィラには珍しくないローマ風だったが、どこか様子が違っていた。

「どうぞ、お入りください」
 振り向くと、黒い髪の青年が黒い衣を纏って立っていた。
 青年は、そのまま建物の中に入っていった。私はひきよせられるように後に続いた。
中は静かだった。さらに奥に進むと小さな小部屋があるようだった。時々遠くで人の声がした。
 ここは、と私が問うと、青年は微笑んだ。
「神殿です。死者を迎えるための。ここでは、毎月少なくない死者がある」
私は目を伏せた。
 ヴィラから合法的に出る犬たちは決して少なくはない。古代ローマの開放奴隷のように。
 けれども、理不尽に命をとられる犬たちもまた、少なくはない。
主人の惨い責めに命を落とすこともあるだろうが、なにより、ここにいる犬たちは非合法に連れてこられている。むやみな開放はヴィラの存続を危うくする。容姿の衰えた犬、主 人に飽きられた犬。彼らは何の落ち度もないのに死へ誘われる。

 古代ローマでは死は厳かに祭られるべきものだった。埋葬されない死者はこの世を百年さ迷うと言われていた。パテルの死に対する畏敬の念からしても、ヴィラにこういった施設が作られているのは当然のことだ。

 私は長く主人として遊んだが、このような場所は初めて来た。
それを告げると青年は言った。
 それはあなたが一度死んだからです。一度は人として死に、犬となって生まれ、そして再び人として復活した。秘密の犬のパトリキ、あなたはヴィラの多くを知ることができる。
私は驚き、うろたえた。私は秘密の犬だったが、ヴィラで時として私は他の犬と代わりなく扱われたから、その秘密は公然のものだった。けれども、私の本当の立場を知っている人間はヴィラでもそう多くはない。

 ではこの青年は誰だろう?

「私はポンティフェクス。神官ですよ。犬にも主人にもなれない、哀れな存在です」
青年の答えは、答えになっているようでなっていなかった。しかし、象牙の肌を持つ青年の、黒曜石の瞳に見つめられるとそれ以上の問いは憚られた。
よく見ると、すんなりとのびた白い首に赤い線が見えた。細いリボンだろうか?見極めようと目を細めた時、遠くに聞こえ始めた音楽に気づいた。歌声だろうか?詠唱のような‥
 青年もその音に気づいたらしい。
「祭りが行われるのですよ。今日からパレンタリア、死者のための祭りです。父祖の霊を迎え、慰撫し、そして再び死者の世界へと送るのです。死者は死者の世界で、私たちを見守っているのですよ。日本では、お盆と言われる行事にあたりますね」
 御存知ないでしょうけど、と青年は笑った。彼は日本人なのかもしれない。
 訛りのない美しいイギリス英語や、彫りの深い整った顔立ちはその血を明らかにはしなかった。

 あなたも父祖の霊を迎えるとよい、と青年は言った。
 そしてヴィラで生涯を終えた死者のために祈ってください。彼らは死を持って解放され、人として再び祭られるのです。
 私は青年の静かな言葉に誘われ、跪いた。
 すべてはヴィラの仕組んだことだったのか、それともいかなる奇跡が私をここに立たせているのか。祖先の霊は私のために何かを尽くしてくれたのだろうか。
 私はもっとも罪深いヴィラの申し子だった。支配し、支配され、狂った町でしか生きられない。
 私は祈った。神ではなく、祖先たちに。新大陸で理想を夢見た開拓者に。澱んだ高貴な血に。彼らの中に、私と同じ暗い欲望は潜んでいたのだろうか。受け継がれたその血が私をこの場所へ誘ったのだろうか。


 祈りが終わり、立ち去ろうとした私を呼びとめ、青年は言った。
 ヴィラの申し子たるあなたに伝えます。ここは夢の場所。美しい男たちが紡ぐ叙情詩。 複雑な意匠を凝らしたタペストリーを織るようなものです。私たちはその不安定な芸術品を護らなくてはなりません。
 タペストリーを紡ぐ糸はあまりにも愚かな犯罪によるものではいけないのです。紳士らしからぬ残虐さと軽薄さでなされてはいけないのです。
 ここは死者の集う場所。私たちは死者を迎え、彼らの犬としての生活を知り、その死の意味を考えます。もしそれらがあまりに醜いものであれば、私たちは‥

 その後の言葉を青年は続けることはなかった。そして、青年の目は笑っていなかった。私は冷やりとしたものを背中に感じ、早々とその場を後にした。そして振り返ると、神殿は跡形もなく消え去っていた。青年もまた。

 FIN




〔フミウスより〕
これでもかと萌え責めを投入された贅沢な秘密の犬超大作。全編をとおして独特のめまいのような浮遊感がありますね。秘密の犬好きのご主人様にはファビアンあり、イアンありのご馳走三昧でございます! ヾ(=^▽^=)ノ
ご主人様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ひと言、ご感想をいただけると鬼のようにうれしいです♪ 
(メアドはaa@aa.aaをいれておけば書かなくても大丈夫です)

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