布が取り払われて、まばゆい光がおれの眼を打った。おれのケージはどこかの屋敷のホールに置かれていた。床には赤い絨毯が敷かれ、正面の大階段へとつながっていた。豪奢なシャンデリアが光り輝いていた。タキシードの紳士とイブニングドレスのご婦人がそこかしこで談笑している。フォーマルなパーティーだ。ただ、裸の男達が四つん這いで這っていることを除けば。
「フィル・クロネンバーグだ。パトレ・ファミリアスに返却するそうだ」
アクトーレスが執事らしき男に伝えた。
執事はつまらなそうにおれのケージを見下ろした。
「ふむ。浣腸と小便は済ませていますか」
「ああ。昼過ぎに。今日は朝から何も食わせていないな。」
「それなら、クラップスに使えますね」
おれはケージから出され、手枷と足枷を外されて首輪にリードを取り付けられた。
「こっちだ。ぐずぐずするな。お客様方がお待ちかねだ」
階段の左右の手すりには、それぞれ青年が鎖で縛り付けられていた。
階段の踊り場には、サモトラケのニケの彫像があり、その翼に、両腕を広げた青年が鎖で吊られていた。青年の身体には縦横に赤い鞭の跡が走っていた。
大広間には豪華な料理やフルーツが盛られたテーブルがあったが、その皿はテーブルに縛り付けられた裸の男達だった。
大広間から庭に抜けるガラス戸が開け放たれていて、汐のにおいがする風を運んできた。庭の木立の陰から、青い海の断片が光った。
庭で、椅子に両腕両足をあげて枷で縛り付けられた男が、苦しそうに身を捩っているのが見えた。
おれは大広間の一角に置かれたテーブルに連れていかれた。
「大変お待たせしました、皆さま。ダイスをご用意いたしました」
執事の発表を聞きつけて、正装した紳士淑女たちがテーブルの周りに集まってきた。
だしぬけに、アクトーレスがおれをテーブルの脇にあった高い椅子の上に抱え上げた。椅子の背は十字架のようになっていて、おれは両手両足を腕木に吊り上げられた。ペニスも肛門も周りの客達からまるみえだろう。
「ん、ん、ぐっ」
おれは、恥ずかしさと情けなさに喚いたが、客達の関心を集めただけだった。
「ほう、今晩のダイスは毛がなくて見やすそうだな」
「フィル、いい目出してくれよ」
テーブルの上にはグリーンの布が敷かれていた。線で区分けされた中に数字や文字が書かれているのが分かった。
クラップス――ラスベガスで見たことがある。サイコロ賭博だ。おれがダイスだって?ダイスは参加者が順番に投げるはずだ。
「さあ、わたしからだな」
アラブ系の男がおれに近寄ってきた。タキシードを嫌味なくらい見事に着こなしている。ダイス2つ選んで手に取ると、おれの目の前にかざした。小ぶりのプラムほどの大きさの赤いダイスだった。男は、いぶかしげにダイスと青年を見比べるおれを薄く笑ったかと思うと、やにわにダイスをおれの肛門に突っ込んだ。
「ぐふっ、ぐっ」
痛さに息が止まりそうだった。生理的な涙が流れる。
「紳士淑女諸君、用意はいいかい?カムアウトロールだ。フィル、ダイスを投げろ」
「ああ、あ、ああ、」
おれは拳を握りしめ、いきんだ。1つ転がり落ちた。客達の歓声が上がる。
「3だ。ほら、あと1つ。赤いのが出かかっているのが見えてるぞ」
「このままなら、4だな。パスラインでおれの勝ちだ」
「うあっ」
「5か。ポイント8だ」
おれは肩で息をしていた。大きなセルロースの固まりをひり出す苦労は、ビー玉の比ではなかった。
「さあ、次だ。もっと早くやれよ。夜が明けてしまう」
たった今出したばかりのダイスをまた尻に突っ込まれた。情けなくて泣きわめきたくなる。こんなことをいつまで続けなきゃならない?だが、客はおれを泣き顔を見て興じていた。
「泣くほど感じているみたいだぜ」
「さっそくよがっているのか。調教の成果が上がっているようだな」
ご主人様、助けて。声に出して呼んでみたが、言葉は口枷でくぐもって消えた。
「ペニスが立ち上がってきたぞ。縛っておけ。台に粗相されてはかなわない」
コックリングをはめられた。おれは泣きながらダイスを肛門から出し入れした。ダイス・シューターは順番に変わり、おれの尻にダイスを入れる役を務めた。
客達は次第にギャンブルに夢中になり、ダイスの振り方が遅いだの、目が気に入らないだのと言っては、おれの胸のピアスをつまみ上げた。
何十回とダイスを出し入れするうちに奇妙な感覚に取り憑かれた。前立腺を掠めて上下するダイスの触感が心地よくなってきた。おれは快感に身と心を委ねた。
何も考えるな。おれはダイスだ。ただの道具だ。前からそうだったじゃないか。何も変わらないさ。
会社にいたときだって、誰かの命令で道具みたいに働かされて、誰かのための利益を上げていただけだった。
なぜか、脳裏にとろけそうに優しい笑顔が浮かんだ。涙が流れて止まらなかった。
長い狂乱の宴が終わり、おれは解放された。屋敷の使用人が疲れ切った様子でやってきて、おれを枷から外し階段下のケージに戻した。眠そうに、犬用の皿に水と客の食べ残しの肉を入れると、あくびをしながら奥の部屋の方に出ていった。
腹は空いていた。もう20時間近く何も食べさせてもらえていなかった。だが、何も食べる気になれなかった。おれは這いつくばって水を飲み、皿に頭を突っ込んで、冷めた肉をちょっぴり囓った。誰も見ていないのに、手を使わずに飲み食いしている。おれは嗤った。
もう、見てくれるご主人様はいない。優しくほめてももらえない。パテル・ファミリアスの財産。パテルは匿名の向こうから出てこないだろう。きっとまた次の客に預けられるだけだ。
おれはケージの柵に拳を打ち付けた。カラン、と音がした。振り向くと、ケージの扉が薄く開いていた。
鍵がかけられていなかった?
どっと身体中に血がかけめぐった。逃げられる!
おれは肉を手で鷲づかみにし、皿を傾けて水で流し込んだ。そして、音をたてないようにそっとケージの扉を開け、暗いホールへ忍び出て、立ち上がった。
辺りは静寂に包まれていた。主人も客も使用人もみな浮かれ騒ぎに疲れて、丸太のように眠っているのだろう。犬はケージに入れたと油断しているのか、見張りの姿もなかった。
屋敷の重い扉を開けて外に出る。並木道が白く霧で煙っていた。朝露に濡れた地面が裸足の足に冷たい。
おれは走った。光る海が見たかった。この屋敷のある丘の麓の海を目指して、おれは走り続けた。
ゲートだ。おれが高い鉄柵をよじ登ろうと身構えたとき、ゲートの向こう側でゆらりと人影が動いた。
「フィル?」
「ご主人様!」
「おまえ、こんなところで何をしている?いや、いい。そこにいろ」
ご主人様は身軽に鉄柵を乗り越えると、おれの傍らに降り立った。
「おまえ、また逃げたのか。馬鹿な奴だ。パテル・ファミリアスといえどもそう何度も庇いきれないぞ」
「ご主人様。ぼくを捕まえてください。捕まえて、もう放さないで。ぼくは、もう耐えられない」
おれは泣きじゃくって、ご主人様の胸を拳で叩き続けていた。
ご主人様は、おれを連れて屋敷に向かった。おれはまた四つん這いになって、脇を歩いた。
再び、ご主人様と一緒に歩けることが嬉しくて仕方なかった。不思議と罰のことは気にならなかった。
並木道を中程まで進んだとき、屋敷の方からばらばらと使用人達が走り出てきた。
「いたぞ。こっちだ」
「フィル、動くなよ」
「調子づきやがって、どんな罰が下るか、覚悟しろよ」
殺気だった使用人達の様子に、おれはおびえて、ご主人様の陰に隠れた。
「やあ、諸君、おはよう。朝早くからご苦労さま」
朗らかにご主人様が人々に挨拶をした。
「あなたは、フィルの――あなたが捕まえてくださったんですか?」
「捕まえる?いやあ、これはすまなかった。」
ご主人様は頭をかいて見せた。一体何を言い出すんだろう。
「散歩だよ。あんまり気持ちがいい朝なんで、フィルと散歩したいと思ったら、我慢できなくなった。勝手なことをしたせいで、騒ぎになってとんだ面倒をかけてしまった。まったく申し訳ない。」
ご主人様は、財布から札を取り出して、中心にいた男に握らせた。
「ご覧のように、今屋敷に戻そうとしていたところだ。わたしの悪ふざけを大目に見てくれないか」
「そういうことでしたか。承知いたしました」
ご主人様の説明は滑稽だったが、もとより、従順に従っているおれと思いがけない多額のチップを見れば、不服が起ころうはずもなかった。
「では、フィルをこちらに」
おれは、ご主人様の足下で蹲った。ご主人様はおれの肩を優しく叩いた。
「いや、こいつはわたしが連れていくよ。部屋を用意してくれ。それからアクトーレスに話がある」
屋敷に戻ると、ご主人様は用意された客室のベッドにおれを寝かせた。枕元にそっと口を寄せて囁いてきた
「フィル。いけない子だ。私に嘘をつかせたね。罰だ。ここでじっとしていなさい」
ご主人様は、おれにベッドに付いた長い手枷をかけると、ふとんをかぶせた。そうして部屋の外に出て行った。
おれは、少し寝てしまったらしい。
気が付くと、ご主人様がベッドのおれの横にもぐりこんで、おれの髪をなでていた。
「大丈夫だよ。フィル。みんな納得してくれた。わたしもこれで、いかれたパトリキとして有名になるな、そのうえ――」
おれはたまらず、ご主人様に抱きついた。そして驚いているご主人様に、そっと口づけた。
はじめはついばむように、やがて薄く開いたご主人様の歯列に舌を差し入れて、口腔をまさぐる。
初めての日とは違う、心を込めたキス。ご主人様には伝わっただろうか?
「抱いて。おねがいです。ご主人様。ぼくを抱いてください」
正直に自分の気持ちを伝えた。頬が赤らむのが分かった。
しかし、その代償におれはほしかった物を与えられた。
「ああっ! あっ!」
ご主人様の大きなペニスがおれの尻を貫いていた。
「可愛い声だな。フィル。気持ちいいか?」
「あっ!はい、ご主人様、気持ち、いい、です、あああっ!」
一段と深いところをえぐられた。おれは快楽の波に翻弄されていた。
「あっ、――あっ」
ご主人様の手が乳首をなでさすった。気持ちよくて脳が焼き切れそうだ。
「あ――っ!」
おれは痙攣しながら、達してしまった。おれの肛門がご主人様のペニスを締め付けると同時に、ご主人様の精がおれの中に放たれていた。
「ぼくをパテルに返すのはやめてください。そばに置いてほしいんです」
「どうして?わたしがじじいで逃げやすいからか?」
「そんな、違います!」
おれが前に、「仔犬館はパトリキしか来ない。じじいが多くて逃げやすい」と言ったことを覚えていてからかっているのだ。
ご主人様の年は分からないが、おれとあまり変わらないように見える。けっしてじじいなどという年ではない。さっきだって、曲芸師顔負けの身軽さでゲートを乗り越えたばかりじゃないか。
「パテル・ファミリアスの財産、というのは、ずっとぼくの重荷でした。誰か名前も顔も分からない。でも、今までぼくを抱いた誰かなのでしょう。昨日のパーティーにも出ていたに違いない」
おれは、ため息をついた。
「他の犬たちは、ご主人様に気に入ってもらえれば、買い取ってもらえる。ヴィラの中の自分の家に住めたり、ひょっとしたら野外奴隷にしてもらえるかもしれない。自由になれるチャンスがある。
「でも、パテル・ファミリアスの財産であるぼくには、その可能性はない。自由になるには逃げるしかないんです」
「わたしはおまえを逃がさないよ」
おれは吹き出した。
「そうですね。ご主人様にはまったく隙がない。お手上げです。でもね」
おれはご主人様の眼を見つめて言った。
「逃げる気持ちが失せました。
1年半逃げようとしてきたけど、逃げたらどこで何をするかまで考えていなかった。
逃げること自体が、ぼくの目標だっただけでした」
「ぼくは、ここに連れてこられるまで仕事ばかりしていた。
データを収集して検討し、弾きだしたぼくのアイディアで会社の利益が革新的に上がる。
面白くて仕方なかった。製薬会社での勤務実績が認められて、ヘッドハンティングされた。
破格の待遇にみあうだけの業績をあげようと、懸命に働きました。
収益は倍増した。株価も上げた。経済誌で取り上げられた。
ライバルはいませんでしたが、恋人も親しい友人もいませんでした。
外では誰もぼくを待っていない。会社に帰るわけにもいかない。逃げたってどうしようもないんです」
「S製薬会社ワシントン支社のマネジャーをしていたころのぼくと、ヴィラでご主人様といっしょのぼく、どちらがほんとのぼくでいられるんだろう?
どちらが自由なんでしょう?」
ここで、おれは息をついた。頬が紅潮してくる。でも、言わなければ。うそをつかずに、正直に。
おれはまっすぐにご主人様の眼を見た。
「愛しています。そばに置いてください。ぼくのご主人様でいてほしいんです」
ご主人様は何も言わずにおれの目を見つめた。おれも見つめ返した。ご主人様はいきなりおれを抱きしめた。
「いい子だ。フィル。そばにいてくれ。ずっと一緒でいよう」
「もう一度、パテル・ファミリアスにおねがいしてくれますか?」
「ああ、そのことなら、もう話は済んだ。おまえはわたしの犬だよ」
「え、今なんて」
ご主人様は、おれから視線をそらして、窓の方をみた。
「さっき言いかけたのに、おまえがキスしてくるから――
おまえを手放そうと決意していたのだけどね、昨晩一人になってみたら、取り返したくなったんだ。
それで、明るくなるとすぐに屋敷にやってきたんだよ。
おれは唖然とした。並木道で使用人達に話した言い訳は、あながち真っ赤な嘘というわけでもなかったのだ。
「ヴィラの説明では、パテルはわたしの調教の成果を認めてくれたようだよ。
逃亡癖のある犬をここまで調教してくれたなら、譲ってもいいと言ってくれたそうだ。
フィル、逃げたりして、おまえは何もかも台無しにするところだったんだぞ」
「逃げたのはこの屋敷からです。ご主人様からは逃げたりしません」
おれは嬉しくて有頂天になっていた。ほんとにしっぽがあったら振って見せられるのに。
「二度と逃げるなよ。今度おまえが逃げたら、どんな目に遭わされるか。想像しただけでぞっとするよ」
おれは、ちょっと考えた。逃げないとは、もう言った。信じてもらうしかない。
誓いの言葉のかわりにおれは言った。
「ぼくに鈴をつけておきますか?女王様」
ご主人様は朗らかに笑った。
「家を買おう、フィル。海の見えるところがいい」
−了−
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