You are still the master. 〜revenge2〜  サオトさま作品



You are still the master. 〜revenge2〜


プロローグ

「んっ、あ・・・は、げげし・・・っ」

 突き上げる衝動に身を任せて身体を揺さぶりむさぼる。
 どれだけの時間そうしていたことだろう。
 我に返ったとき、胸の下で震える背中の熱さを感じ、頬にかかる柔らかな髪を感じた。
 貪るあまり、壊さんばかりの力で抱きしめていた。
 小さくため息ついてゆっくり身体を起こす。
 何度出したか分からない体液が卑猥な音をたてて糸を引いた。

 暗闇の中、小さな火を点しゆったりと煙を吸い込んだ。
 激しい情交で身体が疲弊している。
 ヴィラに不釣り合いな安い煙草の香りが身にまとわりつくのを少し不快に感じた。
 男はさっきまで貪った犬の身体にシーツをかけベッドに置いたまま、自分はガウンを肩にかけて上体だけを預けるように床に足を投げ出しベッドに寄りかかった。
 煙草を口にくわえ、サイドテーブルに手を伸ばしブランデーをストレートで口に運ぶ。
 疲労と煙草の酩酊のなか、酒が喉を焼く。
 愚かなことをしているのは自覚していた。
 しかし、それを後悔するにも反省するにも男のパトリキとしての身分、プライドが許さなかった。
 ここは、ヴィラ・カプリ。
 快楽を貪るための楽園。

(秘密の花園と言うのは少しロマンティックが過ぎるな)

 人の欲望がどれだけ底知れないかをまざまざと見せつけられる。
 アダムとイヴの楽園。イヴが蛇の勧めによって手を伸ばした知恵の林檎を食べたとき、追放を余儀なくされた楽園。
 その子孫である我らはその原罪から逃れる術を持たない。
 同じ種の人間を犬に堕とし、何人何頭侍らせても、さらに求めてしまう、罪。
 1年前まではここは確かに彼にとって楽園、だった。しかし、今はまるで追放されることを知ってしまったときの楽園、だ。
 実を得て、知ってしまったが故の、苛立ちや焦燥感。

 彼が勧められて食べた林檎には何が詰まっていたのか。


第1話

 男は1年程前ある犬の調教権を手にした。
 それまでも多頭飼いをしていおり、ヴィラのスタッフの中でもそれなりの腕を認められている主人の一人。だが、それまで手にした犬がすっかり従順になったことに満足して、いっときと思いその犬の調教権を手にした。
 その犬は問題のある犬だった。
 成犬になるまでもずいぶんとヴィラは手を焼かされ、成犬になった後も2度の逃亡を試み、どんな陵辱にも心折れなかった犬。
 調教権を手にし、しばらく犬に踊らされていたかに見えたが調教に成功した。
 だが、問題犬の担当アクトーレスは、男が調教に成功したのを喜んでいたが、通常のような「幸せ」を犬も主人も得られないことを懸念した。
 2度も逃亡した問題犬だったにも関わらず、簡単に処分を下す事ができなかった理由が犬にはあったからだ。

 ―その理由。

 それは、犬の所有権が「パテル」にあること。
 「パトレス・ファミリアス」――幹部スタッフ以外顔も名前も知られていない10人のオーナー。階級と禁忌を規定して自分たちの楽園を会員に開放した、ヴィラの主人。楽園はいまや世界に根を張ってる。
 主人と犬の絶対的関係とともに、ここには主人にも階級が与えられ階級に応じた特権を楽しむことができる。下界の関係に束縛されない代わりに、ヴィラの秩序が、彼らを縛る。
 パテルはなんの気まぐれか、所有犬を他人にも遊ばせることができるようヴィラに提供した。
 だが、所有権を手放していない以上、いくら調教権を買っていても所有することはできず、いつでもそのパテルは犬を手元に戻すことができる。アクトーレスが懸念していたのはまさにそのことだった。
 そして、その懸念は現実化した。
 調教権は年次契約。男と問題犬の契約更新を受け、手続きに入ろうとしたとき男の前から犬は忽然と姿を消した。
 男は絶対の秩序を重んじ、わめくことなく受け入れた。また犬がリストに戻ったら最優先で契約することを家令に申し入れた。
 男ができることはそれしかなかった。
 
 問題犬の名前は、フィリップ・クロネンバーグ。



「新しい仔犬が入っています。如何でしょうか?」

 ファウヌスの間で重厚なデスクを挟み、布張りのアンティークチェアに深く腰掛けている客人に家令が愛想良く勧める。
 身を焼く青白い炎に流されるまま飼い犬を蹂躙することに疲れている男は、デスクに肘を載せ気怠く手に頬を乗せながら流れていくリストをぼんやりと眺めた。
 その憂いを帯びた表情に家令は心中表情を曇らせていた。
 リストを眺めながら、家令が炒れてくれた紅茶を口に含む。アールグレイの香りが口腔内に広がる。香りは脳を刺激し、記憶の棚からフィルを引き出した。


***


『ご主人様は紅茶がお好きなのですか?』

 冷めきってしまったフィルの紅茶を入れ直すよう執事に言いつけた主人に、フィルは手元の本を置いて尋ねた。
 とうの昔に読んだかさばる本を飼い犬の暇つぶしにとドムスの書棚に並べた本。最近、フィルは蔵書に興味を持ったらしく本を読みたいと、ここに来ることをねだる。
 その変化をかわいらしく思い飼い犬でもないのにヴィラ内の住居へ連れる主人に釘をさしつつ、今日もフィルの担当アクトーレスは複雑な憂いの表情を浮かべた。

『コーヒーも好きだが、ヴィラにある紅茶はとても美味い』

 よく分からないと言いたげな困った顔。
 あの調教以来、フィルは少しずつ感情を表情に出すようになった。否、感情を隠せなくなったのかもしれない。
 30を過ぎそれまで確立していた自分の脆弱性を指摘され、価値観を壊されたにも関わらず、生を否定することなく新しい自分を確立しようとしている犬がとても愛らしかった。

『紅茶の美味さがわからないか?』

 困惑を浮かべた顔を隠すかのように、また文字に集中しようとしているフィルは、男がくつろいでいたチェアから立ち上がったのを感じて身体を震わせた。
 男は全裸でラグに座り込んでいたフィルから本を取り上げ、デスクに置くと片膝をついてフィルに目線を合わせた。

『疑問に思ったり、興味を持ったならちゃんと言いなさい』

 男は調教の一環として、新しい自分を確立しようとしているフィルの所作いちいちを気にとめ、感じたことを口に出させていた。
 他人からの評価のみで満足を得ていたフィルは、自分の内面に呆れる程関心を持っていなかった。だからこそ、自分が何を感じているのか一つ一つ話させ確認させる中、男の存在を少しずつ摺り込ませる。

『あ、の・・・』

 フィルは思惑抜きに何かを伝えようとするとき、普段からは思いもかけない程ぎこちなく話す。それを遮らないよう、泳ぐ視線を固定させるように頬に手をあて先を促す。

『紅茶と、コーヒーの区別はさすがにつきます、し、美味しくないとは思いません、が、・・・紅茶の種類とか味の区別がよく、わからなくて・・・』

『そうか』

 フィルは破顔した男にほっとした表情を浮かべる。
 男は褒めるようにフィルの髪をなで、「少し待っていなさい」と取り上げた本を渡し部屋を出た。
 読み差しのページを探し、目で追うが何か失敗しなかったかとフィルは文章に集中できない。
 本をセルに持ち帰ることはアクトーレスに禁じられているから、ここでしか読めないのに。なかなか帰ってこない主人に不安の芽が伸びそうになったところで、サイドテーブルに載った主人のティーカップに目がいく。
 閉まった扉に目をやって、そろりとサイドテーブルの元にいくと、まるでいたずらを始める子供のように静かに手を伸ばす。手にしたカップはほんの少しを残しているだけだったが、顔を近づけ香りを嗅ぐ。しかし、すっかり冷めていることもありほとんど香りを感じなかった。
 また、音をたてないようにそっとカップを戻したところで男が戻ってきた。
 いたずらが見つかった子供のようにその場に硬直したフィルをみて、男は笑う。

『そんな冷めた紅茶じゃなにも分からないぞ。ほら、今準備をするからそこに座りなさい』

 いつもは許されないソファにそろりと腰掛ける。隣に男が座り、男に続いてきた執事がワゴンを押す。
 ワゴンの上にはいくつものポットとカップ、その脇に缶がならんでいた。
 執事が缶を開け、色の違う小皿に茶葉を1つずつ取り分ける。

『こちら、アッサム、ダージリン、ウバです』

 小皿ひとつひとつを指し執事が流暢に説明する。
 会話したことのない執事が説明するのに驚きながら、少量取り分けられた小皿を手にし匂いを嗅いだり指先でつまんでみたり。
 その様子に男は嬉しそうに目尻を下げた。

『アッサムはインド最大の紅茶産地の銘柄で、当家では最良品であるセカンドフラッシュを入れています』

『セカンドフラッシュとは、夏摘みの茶葉のことだ。茶葉がとれる樹からは一年に何度も摘むことができる。その一年の内最も香りも色も良いと言われるのがアッサムやダージリンではセカンドフラッシュだ』

 説明に横やりを入れられ、わずかに執事の眉が上がったこと、会話そのものにフィルは楽しさを感じた。
 ひとしきり各茶葉について蘊蓄を聞いた後、目の前で執事は紅茶をいれた。
 その手間暇によくこの手順を考えついたものだと思って、そのことを躊躇しながらもできるだけ率直に口にしたら男はさらに喜んだ。
 その日は結局アクトーレスが迎えに来たのを巻き込んでティーパーティだった。
 紅茶を楽しんだ昼下がり。

 その後、セックスの前にはアッサム、セックス後にはウバやキャンディといったセイロンを楽しんだりした。。


***


 どこかぼんやりとリストを眺めながら勧められる犬のプロフィールを聞いていた男が、リスト中のある犬に目がとまった。

「この犬は?」

 C−00001857とナンバーが振られた写真のない犬。

「恐れ入りますが、ご主人さま。こちらの犬は、ほかの犬と少々毛色がちがいます。遊ぶのに危険がともないます」

 表情を曇らせた家令が声色を変えた。

「この犬に関しては、あまりお話できないのですが、お怒りになられる方もいます。また、一度遊んでしまえば、後戻りできなくなるほど魅力をそなえた犬でもあります」

「・・・そこまで言われては遊ばないわけにはいかないな」

 男は苦笑した。問題があると忠告されたフィルのときのようだ。もっとも【後戻りできなくなるほどの魅力】があるとは言われなかったが。今は生まれたばかりの仔犬か問題のある犬のほうがいい。

「お覚悟はよろしいですね。この先、後戻りは不可能ですよ」

「構わない」

 さきほどまで疲れが現れていた顔に少し気力が戻ったのを見て、家令は毅然とした態度に戻し手続きを進める。

「すぐにご用意できますが、このままお待ちになりますか?」

 うなずき紅茶を楽しんでいると、ほどなく賢そうな黒い瞳をもつアクトーレスが迎えに来た。

「Cナンバーですね。どうぞ仔犬館へ」

 いざなわれるまま、腰をあげて彼の後につく。
 ファウヌスの間を出る間際、神妙に家令が小声でつぶやく。

「・・・忠告いたしましたよ」

 その声は男に聞こえただろうか。
 扉が閉まり部屋が沈黙して数瞬後、家令は受話器をとり電話をかけた。


         
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