そこは、砂漠だった。
荒廃している。
砂漠だ。
第一印象だった。
今も、やはりそこは、「砂漠」だった。
狂気 ― にぎやかな戦場にて ―
ごくごく普通の中流家庭、生まれきたのはそこだった。
皆々、自然に彼を迎えた。
しかし、赤ん坊ははにかんだように目を、きつく瞑っている。
上から見下ろす家族が、とんだ異形のものに思えるのだろう。
母が、彼の名を呼ぶ。
優しく、でもなく、きつく、でもなく、彼を迎えた時のように、自然に。
そこここに来て、彼はようやっと、瞼の力を緩めた。
感嘆か驚きか、家族の中から、やはり、自然と声が漏れる。
真っ白な瞼に、さっきよりきつく皺がよった。
エリック・フォスター、彼がはじめて笑い声というモノを聞いた瞬間である。
――――ー…[コドモ アソビ]
わぁ、と歓声にも似た叫びと共に、数人の子供らが彼から逃げるように散らばる。
彼が追いつこうと前進すればするほど、子供らは、その分後退する。
「弱虫ィ!!」
誰かが言った、途端、それは瞬時に子供らに伝染していく。
「弱虫! 弱虫! 弱虫ィ!!」
狂った重奏に絶えるように、彼は前進、そして子供らもその分後退。
…いたちごっこだ。
分かってはいても、「弱虫」の言葉が、勝手に彼の足を進める。
そして、前進すればする程、言葉がぶつかるその度、彼の意固地な表情が壊されていく。
「ちがうもん!!」
とうとう、耐えかねたかのように、彼の口から絶叫にも似た叫びが迸った。
「弱虫!! 弱虫!! 弱虫!!」
そのささやかな抵抗が、子供らを煽った。弱虫のコールにも熱が入る。
「ちがうもん!!!」
彼から、既に意固地の表情は消えていた。
あるのは、不遜な輩に対する憤りと、悔しさだけだ。
子供らのコールは、さらに嘲笑ともあいまって、耳障りなオーケストラへと変貌している。
「ちがうっていってるだろ!!!」
「ぼくだってころせるよ!!!!」
騒ぎを聞きつけたのか、大人が慌てた顔とは裏腹、怠慢な動きで出てきた。
「・・・・かあさん。」
「何?」
「ぼく、よわむし?」
「…聞いたよ、お隣りから」
「…ぼくがね、クモみつけたの。」
「…。」
「殺せなくて…」
「(溜息)…そんなだから」
「ぼく、どうしたらからかわれないかな…」
「…いい男になりな。」
――――ー…[コクミン ツウチ ジュヨ]
それは、高校卒業後、待ちかねたかのように届けられた。
ぼくの軍隊への入隊が、否応なく決められた時である。
通知によると、近隣と危ないから先制っということらしい。
もっと危ないことになるってば…
お偉いさんでもそんな事は分かっているに決まっているのだが。
思って、無駄な言い訳で埋め尽くされた紙をダストシュートへ投げ込む。
意に反し、それは縁にぶつかっただけだったが。
その後、母は突如として転移性のガンを再発させた。
――――ー…[ハハサマ]
母が、逝ってしまう。
それは突然で、ある意味必然であったことで。
母は、清潔なベットに身を任せ、目を閉じていた。
ふと、死んでいるのではないかと言う憶測に駆られ、言い様もない感情が湧いてきた。
「…母さん」
返事はない。
「母さん。」
返事はない。
「母さん!!」
「…なに?」
ゆっくりとこちらを向く。
母を見て、悲しくなったのは初めてだった。
強かったあの人は、見る影もなく衰えていた。
母と言う人物は、こんなに唇がかさかさであったろうか、シーツを掴む指も、こんなに節くれ立っていなかったはずだ、
頬もこんなにこけていなかった、白髪も一本たりとてなかったし、…なにより、こんなにも弱弱しくなかったろうに。
その姿は、容易に「死」を連想させた。
耳も遠くなったのか、それとも反応する気力もないのか。
スパゲッティーのような、沢山の管を受け入れ、灯火を守ろうとしている。
痛々しい、光景だった。
「…エリック。」
母は初めてこちらを見た。
震える手が、こちらに伸ばされていく。
「『エリック』。」
ぼくは、その手を、何故か受け取らなかった。
捨てられた母の手は、名残惜しそうに、シーツへと沈み込んでいく。
虚脱感、切なさ、それらが胸へと蓄積されていく。息苦しい。
電子音が、遠くに聞こえる。
母のあの、唇のようにかさかさの目をぎょろりとうごめかせ、やっと、それを直視したのである。
そこで初めて、泣いている実感が湧いた。
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