結局まだ記憶は戻っていないが、怪我が回復したマキシムは家から一歩も外に出ないという条件で退院する事になった。
俺は病院のスタッフから退院の手伝いに呼び出され、一週間ぶりにマキシムに会った。
「ここがリビング、そっちがキッチン、風呂とトイレは出て右だ。部屋は2階の右側」
荷物を運びいれ、簡単に説明をする。
「わかった」
「何かわからない事があったら、この電話を使って俺を呼び出してくれ。番号や方法は紙に書いて貼ってあるから。じゃ」
それだけ伝えると、俺はキッチンの脇を抜け、リビングを出ようと歩く。
「えっ、私達は一緒に住んで居たんだろう?」
「そう・・だけど、今は場所を移してもらったんだ。俺が居ると何かと・・あれかなって」
言葉を濁し、玄関へと向かう。
「でも私1人じゃ」
「明日にはあの人・・上官も来る。今後の事はその時に話してくれ」
「ちょ・・ちょっと待ってくれ」
マキシムは早々に立ち去ろうとした俺の肩を捕まえた。
「いくつか確認したい事があるんだ」
「何?」
俺はそのままマキシムの方を見ず返事をする。
「とにかくリビングに戻ってくれないか?」
俺の同意を得ぬままにマキシムは部屋の中へと俺を連れ戻した。
「それで確認したい事って?」
「とりあえず座ってくれ」
肩を押さえつけられ、無理やりソファーに座らされる。
「これ」
マキシムは今持ち帰ったカバンの中から、旅行雑誌を取り出した。
「あっ、それ」
「上官がしばらく来れないと言っていた日に差し入れてくれたものだ」
あの日以来、俺も成犬館に移っていたので雑誌が持ち出されていた事に気づかなかった。
「それがどうしたのか?」
俺はあえて何でもない風に尋ねる。
「その・・私達は、そういう仲だったんだろうか?」
マキシムは少し恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら聞いた。
「そういう仲って?」
「だから、その・・」
言いにくそうに言葉を探すマキシムに、俺は大きなため息をついた。
目の前に居るマキシムは、姿・形は俺の知ってるマキシムでも中身はやはり違う。
「友人同士でも旅行ぐらい行くだろう」
俺は『友人』の所を強調して言ってやる。
おそらく軍人であった頃のマキシムは、男同士の恋愛やセックスなんて考えもしなかっただろう。
「いや・・でも」
マキシムは俺の答えに納得していないような返事する。
「俺の事は相変わらず思い出してないんだろう?だったらその程度の付き合いだったんだよ」
自分の言葉に打ちひしがれそうになり、俺は今度こそ帰ろうと立ち上がる。
「待ってくれ、ヒロ!! 」
とっさにマキシムが俺の名前を呼んだ。
「マキシム・・・?」
「確かに私はまだ思い出していない。でもこのまま忘れたままじゃいけない気がするんだ」
「どうして?忘れる程度のものだったんだ。必死に思い出す事もないだろう」
俺はもう一度マキシムに背を向ける。
(もうこれ以上は耐えられない)
「でもここには!私の字で書いた、あなたの名前がたくさんある!」
その言葉に振り返ると、マキシムが開いたページに付箋がたくさん貼られていた。
「『ヒロが生まれた国』『ヒロが見たいと言った海』『ヒロと伯爵と一緒に食べたいもの』『ヒロと伯爵とお揃いで買いたいもの』」
付箋の書かれた文字をマキシムが読む。
「伯爵って、あの上官って人ですね?この文字は『ヒロが大好きだ』と書いてあるように私には読める」
その言葉に俺はガクンとその場に崩れ落ちた。
「あなたの事を忘れてしまって、ごめんなさい」
ゆっくりとマキシムが近づき、俺を抱きしめる。
「たぶんとても大好き過ぎて、あなたの事を考え過ぎて、思い出せなくなったんだろうってドクターに言われて、あなたを見るとモヤモヤした気分になる理由がわかった気がしたんです」
「マキシム・・」
「あなたは私が枕にタオルを巻く事を知っていた。家族や恋人でもない限り知ってるはずがない事です。でも私はあなたの事を何も知らない・・知っていたはずなのに分からないんです。ごめんなさい」
マキシムの言葉に、俺はただ首を振る事しか出来ない。
「あなたの事が大好きだった私を消してしまってすいません」
「マキシム!!」
俺は我慢できずにマキシムに抱きついた。
「ごめん・・男同士でこんな、気持ち悪いって思うだろうけど、ちょっとだけ・・5分だけ俺にマキシムを貸してくれ」
マキシムは何も言わずに、じっと俺に抱きしめられていた。
「もう一度、あなたを好きになってもいいですか?あなたが好きだった私じゃありませんが、これからも傍に居て欲しいと思うのはズルイでしょうか?」
そう言った後、マキシムは俺に深く口付けをし、服に手をかけた。
「えっ・・マキシム?」
「私達は恋人同士だったんでしょう? つまりセックスもしてたんですよね?」
「いや・・あの・・そうなんだけど」
いつもより大胆なマキシムに俺はかなり動揺する。
これはいつもの逆だ。マキシムは俺を抱くつもりなんだ。別に抱かれるのが嫌な訳じゃないが、これはどうしたものか・・・
俺は少し困った状況になりつつあると思いながらも、流れに身を任せてみる事にした。
「ヒロ・・」
マキシムは軽くキスを繰り返しながら、俺の服を脱がしにかかる。
(まぁ・・これもアリかな)
新しいマキシムと新しい関係を作るなら、逆もまたアリかと身を委ねると、ふとマキシムの動きが止まった。
「これは・・・?」
俺のジーンズをずらした所で現れた大きな傷痕に、マキシムが息を呑む。
「あぁ、手術の痕だよ」
「手術・・」
そう言ってマキシムは傷痕に手を当てると、ギュっと目を瞑った。
「マキシム?」
「痛い?」
マキシムはきつく目を閉じたまま、何か記憶を探るように言葉を選ぶ。
「いや・・もう痛くない・・・けど?」
「辛いなら・・」
「平気だって」
「そんなに無理しなくても」
「別に無理なんか・・」
「・・・ヒロ !!」
突然マキシムが大声で俺を呼び、力一杯抱きしめてきた。
「マキシム?」
「リハビリ辛かったね・・でもヒロはすごく頑張った」
「えっ・・・思い出した・・・のか?」
さっきの会話がリハビリ中に何度もマキシムと交わしたやり取りだと思い出す。
「足も治ったし、沖縄に行ったら泳げるね!私はシュノーケリングがしたいんだ」
「マキシム!!」
俺もマキシムの背中に回した手に力を込める。
「ねぇヒロ。あのまま私に抱かれるつもりだった?」
「えっ・・・まぁ」
嬉しそうに俺の顔を覗き込むマキシムの背を叩く。
「それって、私に抱かれていいって思えるくらい好きだって事だよね」
「調子に乗るなよ」
いつまでもニヤケ顔のマキシムを組み敷く。
「わ〜ぉ。相変わらずヒロは強い」
マキシムは嬉しそうに下から俺に抱きついた。
「お帰り」
「ただいま・・・って、ヒロ検査の結果は?あっ足捻挫してたよね!」
「って、そこかよ(笑)今は俺よりお前だろう。頭の怪我は大丈夫なのかよ」
「あぁ、そうか。うん、大丈夫みたいだ」
マキシムの記憶が戻った事で犯人が捕まり、事件は無事に解決。
そして俺達は幻となりかけた沖縄旅行に行く事が出来た。
記憶が戻ってからのマキシムは、以前にも増して甘えが酷くなり、家の中でもずっと俺の後を追いかけて歩いている。
「だからマキシムは洗濯干して来いよ」
「ヒロの掃除が終わったら、一緒にしよう♪」
「あのな〜」
時々ふと、軍人マキシムも凛々しくて良かったかな・・なんて思う事もあるが、でもやっぱり今の俺はダメダメなマキシムが可愛くて仕方がない。
―― 了 ――
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