独裁者

 

 独裁者


 バカなことをした。
 わたしは夜の会議室で恋人を待っていた。素裸だった。

(飛びつきたくなるような、とびきりセクシーな格好で待っててくれ)

 恋人はわたしにそう命じた。
 わたしはサービスした。全裸になり、ゼリーをたっぷり塗ったディルドをみずから尻穴に差し入れた。おもちゃをはさんだ足を閉じ、太腿をレザーの枷で閉じる。さらに、両足首を枷で止めた。

 恋人はきっとからかうだろう。
 ディルドでいたずらしてくれるだろう。

 恥ずかしいいいわけをしなくてもいいように、わたしはギャグをくわえて頭のうしろで留めた。最後に、せなかで自分の手に手枷をかけ、鍵をテーブルの上に置いた。
 リノリウムの床にぺたりと座り、捕らわれた人魚姫のように恋人を待つ。

 慣れた遊びだ。わたしたちは時々、スーツのぼんくらたちの目を盗んで、こうしたスリリングなゲームを楽しんでいた。
 窓の外はカナリーワーフ。
 レンガの過去を払拭するように、真新しいビルが毎日ツクシのように生まれる、新興のビジネス街だ。世界を動かす大金融がひしめいている。
 そのど真ん中で男に抱かれるのは、落書するような子どもっぽい快感があった。

(遅いな。小便したくなってきた)

 恋人は遅かった。放置プレイにも飽きてきた時、いきなり会議室のドアが開いた。
 突然の光に目をつぶる。途端に相手が飛び上がる気配がした。

「マクスウェルさん!」

 別人の声だった。
 警備スタッフの制服を着た大男が立っていた。
 わたしたちは互いに仰天し、凍りついた。

――やった。

 ついにしくじった。やってしまった。
 若い警備員は口をあんぐり開いて、棒立ちになっている。
 CEOが全裸。強盗のせい? だが、ケツから飛び出ているモノはなんだ?
 いいわけしようもなかった。物理的にもできない。

「……!」

 若い警備員はこらえきれず噴き出した。「なに……なにやってんですか」
 たまらなかった。頭の芯から火がつき、全身が蒸発していくようだ。
 窓から飛び降りてでも逃げたい。だが、自分で芋虫のように拘束しては、歩くことさえできなかった。

「えらいさんて、こんなことして遊んでんのか」

 若者は笑いながら、わたしに近寄った。彼は屈み、口枷をはずそうと手をのばし、わざとわたしをのぞきこんだ。
 わたしはたまらず眼をそむけた。

 何か言わなければならない。あからさまな嘘でも何か説明しなければならない。しかし、いったいこんな時に人はなんと言うのだ? 裸で、尻におもちゃを差して、なんと言うのだ?

 気づくと、顎が大きな手につかまれている。ブルーの目が正面にあった。
 目は笑っていなかった。青く、みょうに光った。そのふっくらした唇が濡れていた。

(え?)

 男の手がわたしの腰に触れていた。その指が骨盤のうちをなぞっていた。
 わたしはぎょっとして身もがき、男の手を振り放した。

(なんだ、こいつ)

 見返すと、警備の若い大男は立ち上がった。帽子を軽く跳ね落とし、ニヤリと見下ろす。

 男、がそこにいた。その目は熱をおび、うつろに笑っていた。制服の間から不穏な熱気がたちのぼっていた。
 彼はおもむろにベルトをはずしだした。

(ばかな)

 わたしはあわてた。思わず後ろへ引きかけるが、拘束した体が動かない。動転し、助けを呼ぼうと、むなしく壁を見回した。

(冗談じゃない)

 来るな、と若い男を牽制する。かかとと尻で尺取り虫のように懸命に後ずさった。

 いやだ。本物のレイプはいやだ。

 あとずさり、首を振って、男に訴えた。だが、若い男は猫のように見つめ、その手をのばした。

「ンーッ!」

 わたしは身を跳ね、足を蹴り上げた。なにかを打つ。強い手に掴まれる。死にもの狂いで暴れた。
 動物同士の戦いだった。恐怖のままにもがいた。身をよじり、怒号し、足掻く。だが、わたしはしだいに力をうしなった。腹に力が入らない。

(どうして)

 枷のせいではない。背骨から力が抜けてしまっている。大きな手に腰をつかまれ、関節がくらげのようにゆるんでしまっている。

(!)

 背後から男がのしかかっていた。しりたぶが開かれ、肛門が空気にさらされる。ディルドはすでに吹っ飛んでいた。

(ヒ)

 熱いものが押し付けられる。広げられた粘膜に巨大な生きものがもぐりこんできた。
 目の前で白い火花がはじけた。

(あ……あ……)

 生きものは重く、ひどく熱い。腸をかきわけ、内臓をつきとばし、どこまでもつきすすんでくる。
 彼はわたしのからだの中心にずっしりと居座った。わたしは薄っぺらい鞘となった。

(――そんな……――)

 わたしははじめて恋人のことをおもった。自分にうろたえていた。
 なぜかわたしのからだは抗わない。骨という骨がわななきながら征服者の鉄槌を待っていた。




 恋人のベネットは話を聞き、爆笑した。
 ことの翌朝、わたしはオフィスに、恋人で取締役副社長のマリウス・ベネットを呼び出した。彼ははじめ神妙に聞き、やがて吹き出し、長身をのたうたせて大笑いした。

「友だちがレイプされたという話をしているんだ。つつしめよ」

 すまん、とあやまりつつ、ベネットはソファに身を丸め、打ち震えている。

「きみのせいだぞ。何してたんだ」

「娘が熱出したんだよ。携帯に入れておいたんだがな」

 わたしは目に涙をためてふるえている恋人の顔を見つめた。

 携帯電話にメッセージはなかった。
 この色男はうそをつく。彼にとって「愛人の」わたしは重要事項ではない。

「とにかく、後始末をたのむ。マスコミ沙汰にはならないと思うが、カーディフ社との交渉中に騒がれたくない」

「写真を撮られたのかい?」

「わからない」

「わからない?」

「気づいたら、もういなかったんだよ」

 彼はまた噴き出した。「気絶するほどよかったのかい――」

 わたしはさすがにうんざりしてドアを指し示そうとした。
 ベネットはヒクヒクのたうっていたが、笑いおさめ、

「レスリー」

 と呼んだ。
 近づくと腰を抱き、膝の上へ乗せる。ひとの眼鏡をはずしながら笑いをふくんだ声でささやいた。「よかったんだろ?」

「――きみ、失礼だろ」

「言えよ」

 長い指がわたしのズボンの股間を蓋う。

「また、小便もらしたんだろ」

 カッと頬が灼けた。
 突き放そうとすると、彼は手首を掴み、唇の端にキスした。機嫌をとるように何度もやさしく口づける。わたしは降参し、唇を開いて彼に身を預けた。
 ベネットは言った。

「恐喝のことは心配するな」

「どうする? 殺したりするなよ」

 殺しゃしないよ、と彼は陽気に笑った。

「悪い子をひきとってくれるところがあるじゃないか」


 


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