独裁者 第2話

 
 ヴィラの動きは早かった。
 二週間待たず、警備の若者はロンドンから消えた。

 わたしは忙しかった。
 ある目的のために競合他社を買収しようと、銀行や投資家の間を飛び回っていた。記者会見やインタビュー、裏工作のための出張にも出なければならない。
 刺激的な体験だったが、ほどなく警備員のことは忘れてしまった。

「このまま公開買付け(TOB)をやるしかないね」

 レストランで、ベネットが鼻息をついた。「サットン会長にカーディフを売る気はまるでない。彼は『アルテミス』が嫌いらしいよ。ボーダフォンに売っても、オレンジに売っても、『アルテミスふぜいの馬の骨』にカーディフ帝国はやらんとさ」

 エビにレモンをしぼり、わたしは、こまったね、と応じた。

「馬の骨は一応、大株主なんだがな」

 わたしの経営する『アルテミス』はここ5年で大きく成長した携帯電話キャリアだ。買収と業務提携でヨーロッパ、中東、アフリカにネットワークを広げている。

 だが、50年続く老舗から見れば、ほんの赤ん坊に見えるのだろう。
 老舗カーディフ・エレクトリック社は、ビジネス電話機で名を成した通信機メーカーだった。

 通信機器の開発には力があったが、会社は衰退期に入っていた。宇宙事業や携帯電話事業に手をひろげたものの、いずれも起爆力にならず、累積赤字14億ポンドを抱えた。経営陣には批判が高まっている。
 わたしはこのカーディフを手に入れるために奔走していた。

「このまま公開買付けに持ち込んでも成功するかわからない」

 わたしはこたえた。「サットン会長は退職金を吊り上げているだけだと思うが、交渉を続けてくれ。カーディフは絶対に必要だ。いざとなったら、監査の連中に金を撒け」

「いっそ、カーディフ・モバイルだけ買うのはどうだ。衛星なんかいらないだろ」

「ダメだ。欲しいのは全部だ」

「なぜ」

「世界制覇のために」

 わたしがまともに答えないと見て、ベネットは口をつぐんだ。
 彼は話柄を変えた。

「フィン・オルグレンをおぼえてるかい?」

「だれ?」

「ひと月前、きみを襲ったセキュリティの男の子」

 エビを噴きそうになった。「――場所を考えろよ」

「成犬審査に合格した」

「もう誰か飼ってるのか」

「おれが」

 わたしは恋人の黒い目を見つめた。「え?」
 彼は笑い出した。

「――おれのためじゃないよ。おれは抱いてない。きみのために買ったんだ」

 わたしは眉をひそめた。わたしは犬を飼ってうれしいサディストではない。

「あの子には特別な訓練を施すように頼んだ。マギステルの手管をね」

 ベネットは愛想のいい笑みを浮かべた。「彼はきみを満足させてくれるよ。おれからのプレゼントだ」

「なぜ」

「きみにはペットが必要だからさ」

 恋人の微笑がプラスチックのように見えた。

――そういうことか。

 ベネットの意図がわかった。やはり、あの警備員は彼の仕業だ。

「忙しいきみの代わりにペットをあてがってくれるというわけだ」

 ノー、と彼は苦笑した。

「そういう意味じゃない。レスリー。きみは魅力的な恋人だ。おれはきみに参ってるよ。でも」

「でも、飽きたんだ」

「ちがうって。きみは激務をこなしてる――」

「退屈してきた。ぼくがきみに逆らわなくなったから。言われるままに、見せなくてもいい姿まで見せるようになったから。きみは食傷した」

「レスリー」

「きみがトイレでやろうと言い出してから、いつかこうなると思ってたよ」

 おい、と彼は声をとがらせた。

「おれが無理やりもてあそんだって言う気じゃないだろうな」

「もちろん言わない。ぼくも楽しんだ。おそらく楽しみすぎた。きみが興ざめるほどにね」

 わたしはナプキンで口をぬぐい、席を立った。「潮時だな。さよなら」

「待てよ」

「仕事はこれまで通り。でも、プレゼントはけっこうだよ。いま、フランスのペンギンどもと順位争いで忙しくてね。ヴィラで犬遊びをしているヒマはないんだ」

 レストランを出て、わたしはタクシーに乗り込んだ。シートに身を投げ、ため息をつく。

(まあ、いいさ)

 身代わりには傷ついたが、動揺してはいなかった。情欲で結びついた男の仲だ。
 誠実さなど期待していない。




「あいかわらずきれいなケツしてんだなあ。マシュマロみてえだ」

 尻のうしろで、男がうれしそうに言う。
 自分の秘所に男の生あたたかい視線を感じる。好色なブルーの目がじんわりと笑いながら、肛門、会陰をなぞっている。肛門をすぼめてしまい、わたしは頬を熱く火照らせた。

(もういいだろ)

 わたしは恥ずかしさと期待に身もだえた。わたしは首輪を短い鎖で床につながれ、両手で自分の尻たぶを開いていた。
 革棒の間からよだれをたらして、哀願する。

(――早く、早くきみのを入れてくれ)

「ハハ。そんな興奮すんなって。先におやつをやる」

「ッ!」

 肛門にぬめったゴムの頭が無理やりめりこんでくる。

「あんた、これ大好きだもんな」

 ディルドだ。ラバーの頭がぬるりと突き入れられる。引き抜かれ、またもぐりこみ、からかうように直腸をえぐる。甘い、もどかしい刺激にわたしは身をよじった。

「ん? うまいか。うまかったら鳴きな。大好きなんだろ」

 男の声に耳が灼けた。ぬめった道具がペニスのように腸を出入りする。出入りする度にローションの潰れる屈辱的な音がはじけた。

(ああ、……もう、いいだろ)

 ディルドの丸い頭がからかうように腸のなかをなめまわす。淫らな音をさせ、突き上げ、舐めとり、ポンプのように甘い蜜をかきだした。
 ぬるい刺激だったが、次第に追いつめられてくる。ペニスがせつなく疼き、よだれをしたたらせている。

(ヒッ)

 ディルドがいきなり振動した。バイブだったらしい。
 わたしは首をふって抗議した。わたしは機械の振動によわい。すぐにイってしまう。

(だ――だめ)

 彼の熱いペニスが欲しかった。重くて熱いペニスであの日のように押しひしぎ、圧倒的な力で破壊してほしい。

「ンンッ、――ンーッ!」

 容赦ない振動が敏感な粘膜を叩いている。わたしは身をそらし、淫らな責めから逃げようと足掻いた。すぐに彼が抑え、わらった。
 股の間から大きな手がさしこまれ、わたしのペニスをわしづかみにする。

(ッ!)

 ペニスははや濡れ、かたく張り詰めていた。太い指がそろりとさする。出すなよ、といいながら、荒々しく愛撫する。ぞっとするような快感にたまらず胴がふるえた。

(ああ――フィン。ゆるして――)

 筋肉が開いてしまった。快楽の濁流がどっと彼の手に吐き出される。骨組みがいっせいに踊り、糸を引きちぎって四散する。わたしは光の雨となって彼の手のなかに墜落した。

「ばか犬」

 警備員フィン・オルグレンはわたしのふやけたペニスをぎゅっとつかんだ。「覚悟はできてんだろうな」
 



 これはどういう仕組みの男だろう。
 わたしを襲ったセキュリティの若者は、ヴィラでわたしのペットとなっていた。ペットでありながら、主人。彼はその複雑な身分をしなやかに受け入れた。
 心から愉しそうにわたしをいじめる。

「そら。鳴きな」

 彼はわたしを宙に吊った『鳥かご』に括りつけた。『鳥かご』といっても、アーチに渡した一本の止まり木だけだ。
細い止まり木に跨り、足に錘をつけられる。体重は股間の一点に集まる。両手はアーチに括られ、股間の痛みを軽減することもできない。

「鳴くんだよ。小鳥ちゃん」

 胸のそばに小さな頭が見上げていた。
 頸の太い大男だったが、頭は小さい。不精髭を散らした顔もすべらかで幼かった。

 フィンは未開の野蛮人に似ていた。
 肩がいかつく、エクスカリバーでも振り回せそうな逞しい腕をさげ、歩くと風が起きた。アスリートの計算された筋肉ではなく、大地と肉体労働で作られた体だ。

 その見事な体躯の上に、素直な若い顔が乗っている。ハンサムだったが、なまりのせいだろうか、どこかひなびて滑稽味があった。愛嬌といってもいい。

 ヴィラを訪れるまで、わたしは彼が自分の所有物になっていることを知らなかった。家令から聞いた時は、思い出してむかっ腹をたてた。

 オークションで叩き売ってもよかった。
 だが、わたしは彼を飼った。

 ベネットが身代わりにわたしにあてがったペット。そんなペット相手に放蕩するのも、わたしらしく、だらしなくていい。

「んふ、ンンッ!」

 わたしは『鳥かご』に十秒で音をあげた。止まり木は角の鋭い角材になっている。股間に止まり木の角が食い込み、骨が割れそうだった。首を振り、身もがき、鼻を鳴らして許しを乞うた。

「かわいい声」

 フィンは笑いながら、さらにひとの足に砂袋をくくりつけた。「あんた、かわいいなあ。本当に小鳥みてえだ。レスリー」

 縛られた両足に重石が下がる。会陰に突き刺さる痛みに気が遠くなった。

(フィン、もう――)

「もっと鳴け」

 フィンが笑いながら尻たぶをつかみ、止まり木に押しつける。一瞬、睾丸に止まり木の角が突き刺さり、わたしは目を剥いた。さらに足の錘が揺れる。止まり木が股間にぐいぐい食い込み、やわらかい皮膚がちぎれそうになった。

(やめてくれ! もうだめだ)

 後頭部から火が出そうだ。わたしは革棒を噛み締め、身をのけぞらせた。苦痛に涙がにじむ。

「鳴かねえな。楽しくねえか」

 いきなり、フィンは大きく止まり木を揺らした。鋭角の上をすべりそうになり、わたしは恐怖に悲鳴をあげた。刃物の上をすべるようだ。必死にアーチにつかまり、身を浮かせようとするが、足の重みが下半身を止まり木から離さない。

「ンンッ!ンンーッ!」

 わたしは悲鳴をあげ、必死に懇願した。フィンはきかない。声をたてて笑い、さらに揺する。

「必死だな。あの日みてえだ」

 痛みはもはやすっ飛んでいた。股がぱっくりとふたつに分かれる恐怖でわたしは恐慌をおこしかけていた。

「あの日のあんたはホントにかわいかったなあ。あんな雲の上の人が、あんな格好して、おれにつかまっちまって。手がふるえたよ。巣から落ちたヒナでも拾ったみてえだった。哀れで、かわいくて、夢でも見てるみてえだった。――あんときゃ、まさかあのヒナにとっつかまって、囲われちまうとは思わなかったしな」

 唐突に揺れが止まった。反動でからだが前にのめる。その時、睾丸に鋭い痛みが走った。

 切れた、と思った。わたしは絶叫した。
 血は出ていなかったが、痛みと恐怖にパニックを起こしかけた。

 フィンは騒ぐわたしをようやく鳥かごから下ろした。わたしは床にへたりこんで股間を抱え、泣きじゃくった。
 すぐにフィンの足が肩を蹴る。

「あいさつは?」

 赤い毛脛が圧するようにそびえていた。
 わたしはへなへなと首をたれた。手を床につき、あごをさしのばす。息はまだ涙でふるえていた。ギャグを咥えた唇で、わたしは毛の生えた足指に触れた。

(牝犬を調教してくださってありがとうございます)

 目の底に熱い涙があふれた。服従の言葉は甘美な酸のように脳に沁みていった。
 わたしはいとしい主人の足に頬をすり寄せ、尻をくねらせた。

(ああ、すてきだ)

 アナルが熱く疼いている。骨が透けて腰がたたない。みじめな牝犬の姿勢に、わたしは眩んでいた。
 敗北はなぜ、こんなにもここちよいのだろう。



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