飼い犬


「それで」

 エスプレッソの皿の傍らには、写真が数枚投げ出されていた。

 うつりの悪い写真にはズボンを下ろした裸の尻がうつっている。
 裸の尻に男が組み敷かれていた。髪を乱し、ワイシャツの胸をはだけ、顔をそむけて愛撫に耐えている。

 若いプレジデントは灰色の目をあげた。

「それで?」

「それで――?」

 ファビオは苦笑した。

「もう少し驚いていただけませんか。オフィスで繰り広げられる男同士の乱痴気騒ぎ。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』。こっちは『大統領とモニカ・ルインスキー』こっちはなんでしょうな。『101匹わんちゃん大行進』――正直、おどろきでしたよ。あなたが――まじめな方と思っていたのに」

 ファビオは手ごたえのなさに焦っていた。虚勢だろうか。灰色の目にはなんの感情も見出せない。

 プレジデントは紙焼きをそろえると、ファビオに返した。

「そろそろ社に戻りたいんだが」

「条件に従うなら、こいつを公表するのは差し控えましょう」

「興味ないな」

 プレジデントは立ち上がった。ファビオは声を荒げ、

「これがニューヨーク・ポストのページ・シックスに載ったら、あなたは破滅ですよ」

 プレジデントはブリーフケースをとると、面倒くさそうに写真の男を指差した。

「これが誰か知っているか」

「ジャック・ルイス。イギリスの保険屋の大物」

「そのとおり。金ならこの男にあたれ」




 モニターの中で、ふたりの男がもみあっている。

 首の太い中年男が、金髪の男を机に押し付け、首筋を吸っている。その手はせわしく男のワイシャツを脱がせ、裸の肌をまさぐった。

 金髪の男が眉をしかめる。その唇がうすく開く。押しのけようとする手を中年男が掴みとり、デスクに押しつける。

 男はしだいに首をのけぞらせ、痛むように眉をしかめる。灰色の目が陶然とうるみ、苦しげにあえぐ。

 ファビオはビールのボトルをあおいだ。

「くそっ――」

 空瓶をゴミ箱に放り投げる。

 大金がころがりこむはずだった。いやな上司を飛び越えて出世するはずだった。クレアとふたりで四十前にフロリダに住もうと決めていた。

 ホモで、行儀の悪いボスがそれを実現してくれるはずだったのだ。
 が、何を間違ったのか、ボスはなんのショックも受けず、立ち去った。きみはクビだ、とさえ言わなかった。

 ファビオは不快な気分で、モニターの中のプレジデントを見た。
 彼はすっかりズボンを脱がされ、男の愛撫に身をのけぞらせていた。

――こんな顔をしてよがってるくせに。

 歯がたたない。乞食のようにあしらわれた。
 COO(最高執行責任者)、フランシス・クロフォードは二年前、英国大手スーパーマーケット、ケリー・ショップス北米部門のボスに据えられた。

 もの静かな貴公子だったが、やることは荒っぽい。
 就任するや経営陣を総入れ替えして、不採算部門をシュレッダーにかけた。敵対企業の買収を短期間になしとげ、店舗を拡大。ターゲット客層も低所得者層から中流に変える。

 その暴挙のせいか、ようやくこの二年で、ケリー・ショップスの在庫は減り、業績はV字復活を果たした。
 切れ者には違いなかった。

 だが、恋人のクレアは彼のおかしな性癖を打ち明けた。

「あの男、ゲイのエスコートなのよ」

 月にニ三度、各界のVIPをオフィスに招いては、裸になってサービスしているという。

「客が必ず言う言葉があるの、ヴィラ・カプリって」

 ファビオにはなんのことかわからなかった。だが、それを聞くとプレジデントはいそいそと尻を差し出すらしい。




 夜十時半、地下駐車場にようやくプレジデントが降りてきた。
 ファビオは車の陰から出て、手をあげた。

「クロフォードさん」

 プレジデントはかすかに眉をひそめ、やあ、といって通り過ぎようとした。

「クロフォードさん。ごいっしょさせていただけませんか」

「悪いが」

 プレジデントはあっさり言って、自分の車のドアを掴んだ。スマート・キーに反応してロックが解除される。

「ヴィラ・カプリについてお話したいんです」

 グレーの目が一瞬止まる。彼ははじめてファビオを見た。

「ハッタリで言っているんなら、それ以上進むのはやめることだ」

「ぼくには新聞社に友人がいるんですよ。少し話しませんか」

 ファビオはわざとプレジデントの肘をとった。

 プレジデントはかすかに眉をひそめ、すぐに鼻息をついた。向こう側へまわるよう手をふる。
 ファビオは助手席にまわった。

 車が駐車場を出る間、ふたりとも黙っていた。

(おれ、クロフォードの車に乗ってるよ)

 ファビオは高級車レクサスの静かな走りに苦笑しかけた。
 クロフォードといえば、社では神同然だ。57階から降りてくることはあまりない。オリンポスに住む機械仕掛けの神と呼ばれていた。

「どこへ」

 ミッドタウンのオフィス街へ出ると、クロフォードはぶっきらぼうに聞いた。どこの地下鉄の駅におろすのか。

「あなたの家へ」

「招待はしない」

「ぼくはヴィラの客ですよ」

「きみの給料でヴィラの客にはなれない」

「やはり、あなたはヴィラの犬なんですね」

 ファビオはクロフォードの鼻筋の通った横顔を見た。その目には何も表れない。

「そうだ」

「ヴィラの命令で会社で客をとっているというわけですか」

「そのとおり」

「誰かに飼われている?」

「イエス」

「会長ですか」

「ノーコメント」

 クロフォードは前を見ながら言った。

「調べたならわかるだろう。ヴィラに近づくことは危険だ。わたしやルイスを脅すぐらいなら、べつに誰も動かないが、深入りすれば消される。忘れることだ」

 彼は地下鉄駅の入り口で車を止めた。ブルックリン橋が近い。

「もう降りたまえ」

「いいえ」

 ファビオは自分でも思ってもみなかった行動に出た。クロフォードの顎をとって口づけていた。

 唇を離すと、クロフォードはいぶかしげに見つめた。

「きみは――ゲイではないだろう」

「ぼくは客だ」

 ファビオはうわずりながら言った。

「ヴィラの犬なら、客をもてなせ」
 




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