不貞 第11話 |
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暴行事件を起こしたのは、三人のホモ・ノヴス(新入会員)だった。 彼らはなんと、おれが襲われた翌日にはヴィラに拘束されていた。 彼らが襲ったのは、おれだけではなかった。ほかにふたりの被害者がいた。だが、その賢明な犬たちはきちんと主人に報告したため、ヴィラで捜査がなされていたらしい。 暴行犯たちは案の定、首輪なしの犬にイタズラしただけだ、と言い張った。 「その言い分を覆すのに少々手間がかかりました。が、首輪が見つかり、彼らの指紋が出ましたので、結局、処分が決まりました。ホモ・ノヴスということを鑑み、会員資格剥奪にはならなかったのですが」 全員、五年の資格停止処分および、犬一匹に対し各自十億ずつの慰謝料支払いが言い渡された。 「ただし、ロビンの件は、処分に盛り込まれていません。犯行から通報があまりに遅く、ご連絡いただいた時点で、すでに処分も決まり、犯人たちは放逐された後だったので」 おれの件は犯行からあまりに時間がたっていたため、合意とみなされたらしい。 ご主人様もあえて追加処分を要求しなかったという。 「こいつだけヤラレ損じゃないですか」 エリックが憮然と言うと、家令はひとさし指を上げた。 「ところが今朝、不思議なことが。なぜか、三人がアメリカで少年への暴行未遂事件を起こしましてね。なぜか三人そろって。そして、なぜかすかさず現行犯逮捕されまして。なんとも摩訶不思議なことに」 おれたちはいっせいにご主人様を見た。ご主人様は無感動に家令の話を聞いている。 「速報ではなぜかなぜか、カリスマ弁護士が彼らの依頼を断ったようです。あの国には会員が多いですからね。――あの男たちも生半なことじゃ、刑務所行きから逃げられないでしょう。これから地獄です。よかったですね」 家令は言下に、だからもうバカな真似はするなよ、と釘をさしていた。 ご主人様は結局、ミハイルのところへ行ったようだ。 おれは少し残念だったが、うらまなかった。 今回の件、ミハイルは影で苦労していた。フィルに知恵を借りたり、最悪のことにならないよう皆に目を配っていた。 なにかことがあると、問題児にばかり注意がいって、いい子はわりを喰う。ご主人様がミハイルの部屋へ行ってくれたのはよかった。 「キース。起きてるかい?」 おれはキースの部屋をたずねた。キースの部屋は暗かった。 彼はベッドの上にあおむき、こちらを見ない。 「なんだい?」 おれは彼の部屋に入った。 ベッドの端に座り、友を見下ろす。中庭の明かりが彼の輪郭を浮き上がらせていた。 「荒くれ者みたいになっちゃって」 おれは茶化して言い、指の背ですこしその腫れに触れた。 ダイニングで見たキースは目の回りに黒い痣をつけていた。ひたいにまだ瘤がある。口の端も腫れて熱を持っていた。 キースは迷惑そうに顔を振った。 「かまうなよ。おれとエリックの問題だ」 「ちがうだろ」 おれはためいきをついた。やはり言いづらい。 おせっかいかもしれない。だが、友だちだ。友だちは時に迷惑でおせっかいなものだ。 おれは言った。 「おれ、地下でのぞき部屋に出されたよ」 影のなかでキースが目を閉じたのがわかった。 「ショーをやらされた。どんなショーか知ってるだろ。おれ、いろんな恥知らずな」 「言うなよ」 キースは首をそむけた。「忘れろ。地下のことなんか。もう終わったんだ」 そうだね、とおれは言った。 「あんたももう終わらせろよ」 彼の影が止まった。 おれは言った。 「あんたがおれをどう見ているのか、わかった。おれ、地下でいじめられてたんだ。地上の犬はクリーンなのか? 同じだろって。同じだって言うことは、同じじゃないと思ってるからだろ」 おれは彼の影に言った。 「彼らは自分たちが薄汚い淫売だと思ってる。あんたもそうだ。あんたはおれにやさしいけど、おれが自分と違うと思ってるんだ。おれが単純で、子どもみたいな、清潔な人間だと思ってる」 キース、とおれは聞いた。 「もう、おれにがっかりした? 泥だらけになったから」 キースは黙っていた。やがて、湿った声で呻くように言った。 「はじめて、あの方をうらんだよ」 彼は顔を腕で覆い、苦しげに息を吐いた。 「がっかりとか、なんとか――おれにはわからない。ただ、あんな思いはさせたくなかった。きみには」 声にはまだ怒りがまじっていた。息づかいに、無念さとみじめさがにじんでいる。痛みと血のにおいがする。 (あんたは神様に怒ってる。神様はまたあんたを助けてくれなかったから) 「ちがうよ」 おれは彼の影にやさしく言った。 「地下であんな思いをしちゃいけないのは、あんただったんだ。だれかに守って欲しかったのは、あんただったんだ」 キースが目を大きくひらいたのがわかった。 部屋のなかに沈黙がおりた。 キースの影が引き攣れるように時々、揺れた。 おれは開いている窓を見上げた。空には宝石をばらまいたように星が散っていた。 「おれね」 まばゆい星を見つめ、おれは告白した。 「最初にレイプされた時、犯られながら、具合よくなってたんだ。腰振ってた。――薬とかじゃないとおもう」 おれ有罪だったんだ、と言った。 ふりかえって、キースの影を見つめた。影はじっと沈黙している。 「だから、ご主人様にはとても言えなかった。そんな不純な犬だと気づかれたくなかった。おれは地味なワン公だ。競争から落ちてしまうと思って、必死だった」 だが、おれが失くしたと思って苦しんでいたものなど、そもそもたいした価値はなかった。 清潔さだと思っていたものは、ただの無知だった。傲慢でもあった。 ご主人様はあえておれを泥のなかに漬けた。おれの勘違いを金槌で徹底的に打ち砕いた。 ばかな犬がこれ以上、自分の尻尾を追いまわさないように。 「おれってこんなやつだよ」 おれは言った。 「あんたはおれが純白だと思いたがってる。でも、いろんな色がある。いっとき白く見えるかもしれないが、でも、やっぱり、プリズムを通せば七色あるんだよ」 それでいい、とおもった。 いやだと言っても、おれは雑多なものの集まりだ。だが、雑多な光はあつまると白くなる。地下の犬の目に哀れみが光るように、それらは不可分だ。 (だから、キース) もううらむなよ。 いつまでも地下のことで苦しむなよ。神様をゆるしなよ。 おれは言った。 「あんたもきれいな白い光なんだよ」 だが、キースの殻がまた音もなく閉じるのがわかった。 彼はくぐもった声で言った。 「おれだって、無垢がいいとは思ってない。こんなとこで、ばかげたこだわりだよ。だけど、おれは――」 彼はしばらく黙った。言葉はついに出てこなかった。かわりに、 「ロビンはやっぱりいいよ。きれいだよ」 と言った。 おれは苦笑した。 いまはまだ無理だ。彼の傷は深い。他人が触れられるほど乾いてはいない。新しい細胞が生えるまで、まだ時間がかかるだろう。 おれはあきらめ、明るく言った。 「じゃ、ハグさせてくれよ」 「?」 「帰って来て、まともに顔も見ないじゃないか。きれいだって言うなら、ちゃんと迎えてくれ」 よせよ、とキースは気味悪がった。かたくなに腕を抱えたままこちらを向かない。 「なんで。おれが押し倒すと思ってんの?」 「そうじゃない」 「じゃ、やっぱり、おれがきらいになったんだ」 おれは泣きまねして、ベッドから立ち上がった。 「キースのバカ。クソして寝ちまえ」 ドアに行きかけた時、キースがからだを起こす気配がした。 「ロビン」 おれはふりむき、彼を抱きしめた。 キースの広い背。広い肩。その肩に頬をのせ、おれは包むように彼を抱きしめた。 キースの腕は少しこわばっていた。すぐ放そうとしたが、おれが放さなかった。やがて彼はおずおずとおれを抱きしめた。 (キース) おれは腕に力をこめ、誓った。 ――今度はおれがあんたを助ける。 アルフォンソがおれの手をつかんでいてくれたように、今度はおれがあんたを陽の下に連れ戻す。 ――了―― |
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