犬狩り




 銃声が迫っていた。
 男はころげるように走った。はだかの胸を新緑の枝が打った。揺れるペニスを潅木の茂みが叩いた。

 弾丸の前で、男は素裸だった。
 両腕は背に拘束され、首輪にはばかげた鈴がけたたましく鳴っていた。どこへ逃げても、この鈴が追っ手に居場所を知らせる。

(あいつら、狂っている――)

 男は駆けながら泣き出しそうになった。
 たった今、ひとりの若者が死んだ。はだかで、地面に引き据えられ、蜂の巣にされたのだ。まだ少年と言ってもいい若者が、数秒で赤い袋に変わってしまった。
 爆発音が男の背の後ろではじけた。

(ヒッ)

 男は飛び上がりかけた。
 足指が太い根にとられ、顎から地面に叩きつけられる。
 男は懸命に足を舞わせた。だが、ひざも、腰も痺れあがってしまい、言うことを聞かない。

(――あ、ああ。いやだ。いやだ。かみさま)

 背後から足音が近づいていた。男は歯を食いしばり、立とうとあがいた。
 目から涙があふれた。噛みしめた歯の間から嗚咽がもれる。
 葉を踏んで近づく足音がしていた。
 男は咽喉の奥で悲鳴をつまらせ、もがいた。

「バンビちゃん。もう逃げないのかい」

 からかうような声が言った。「猟師さんがつかまえちまうよ」

 枝の間に敵の赤い帽子が見えた。サングラスをかけた顔が笑っていた。
 男は身を起こそうとあがいた。瘤のような木の根に肘をかけ、尻をあげようとのびあがる。だが、ふりかえった時、男は松の根にへたりこんだ。
 銃口が茂みの間を割って、突き出ていた。

 男は悲鳴のように哀願した。
 ころさないでくれ。なんでもします。ころさないで。
 だが、口はニ三度、ヒクッと鳴っただけだった。

「だらしがない。もう逃げないのか」

 ライフルを手にした中年男が姿を現した。目深にかぶった赤いキャップの下で、品のいい唇がニヤリと笑みを見せた。

「臆病のツケは死だ」

 銃口が鼻先につけられた。武器の暗い穴が目の前にあった。

 ――股を開け。

 サングラスの奥から冷たい目が命じている。だが、恐慌をきたした男には命令がわからなかった。豚のような悲鳴をあげ、キイキイ身悶えた。
 銃口がいきなり、歯の間にねじ込まれる。

「ガッ、アア!」

「股を開けよ。バンビちゃん」

 靴がふたつの膝を乱暴に蹴り分けた。すべらかな太腿が無防備に開かれる。赤い陰毛の下でペニスが情けなく垂れていた。

 男はすすり泣いていた。口に硬い銃口を咥えこまされ、全身がだらりと力をうしなっている。ただ力なく泣くだけだった。

 サングラスの目がじっとそれを見ている。
靴先が太腿を撫でた。男がヒイヒイ泣くと、靴先は白い腿に張りついていた松葉を掻き落とした。そして、ペニスの先に触れた。

「あおむけに」

 銃口に押され、男は倒れた。背後にまわした腕に太い根があたる。松の木が青空に大きく腕をひろげているのが見えた。

 銃が離れ、代わりにサングラスの顔がおおいかぶさった。口にぬめったものが這いまわった。
 男はすすり泣き、蹂躙に耐えた。皮手袋をした手が彼のからだを抱擁していた。ひろげた股間に相手の熟した性器の熱を感じた。指が肛門をいじっている。中にもぐりこもうとしていた。

 男は濡れた目を瞠った。松の葉がきらきらと細く光っていた。空は青く、ばかばかしいほど陽気だった。
 どこかで鈴の音がしていた。短い銃声が数発鳴った。




「ジェフ。ジェフリー、来るんだ」

 木々の間から怒鳴り声が近づいてくる。潅木をかきわけて、肥った男が転げ出た。
 サングラスの男は動じなかった。心地よげに若者の尻に腰を打ちつけながら、

「もう少し楽しませろよ。こいつにとっちゃ、人生最後のお楽しみ――」

 肥った男はその腕をつかみ、無理やり引き剥がした。

「いいから来い!」

「なんだ、いったい」

 肥った男は顔を引き攣らせていた。

「アルが、えらいことになった――」

 ジェフリー・プレスコットは友人にしたがい、森の中を急いだ。
 潅木の陰に白いからだが倒れていた。

 プレスコットはサングラスをはずし、白い体を見つめた。その唇がうっすらと開いた。
 死体は涼やかなカエデの根に痩せた手足をひろげている。胸は赤く濡れ、眼は天を睨んで動かない。その左眉には銃痕があり、そこから血が顔の上を細く流れていた。

 死んでいた男は『犬』ではなかった。

「どういうことだ」

 プレスコットは喘いだ。
 そこに倒れていたのは、『狩る側』の人間だった。
 プレスコットは顔をあげ、呼びにきた友人に説明を求めた。

 ――誤射なのか。

 友人はぎょっとして太い頸を振った。

「わたしじゃない。わたしがアルにこんな真似するか」

 死体は犬と同じように全裸だった。首には本人のものらしい黒いベルトが巻きつけられていた。首綱をつけられた犬のように。

「警察を」

 と友人が言いかけ、プレスコットはわれに返った。

「警察なぞ呼べるか!」

「じゃあ、どうするんだ」

 友人の声もうわずっていた。「犬じゃないんだ。埋めちまうってわけにはいかんぞ」

「――ヴィラだ」

 プレスコットはポケットの葉巻を探した。葉巻がなかなかポケットから出てこない。指がふるえていた。

「とにかくヴィラに連絡しよう」

「おい、あれはなんだ」

 友人が木のそばに歩み寄った。彼らを蔽うようにしてそびえる巨木の腹に生々しいひっかき傷がつけられていた。
 それは文字に似ていた。

「……イス………」

 友人の声に、プレスコットはハッとした。彼は友人の肩を引き剥がし、木の腹につけられた傷を見た。

 真新しい傷痕は、たどたどしくある男の名をかたどっていた。数ヶ月前におかしな手紙を送りつけてきた名だった。

 その手紙は彼を困惑させた。
 差出人は、二年前に死んだ男だったからである。


『親愛なるご主人様がた
  
 あなたがたの犬、イスマエルは審判の日の一足先に復活しました。
 楽しい追いかけっこをしましょう。今度はあなたがたが狩られる番です。ゲームスタート!
                 イスマエル・F』



 


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