犬狩り 第37話 |
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老人はへへっと笑った。 「よくわかったな」 「ああ。二度目の幽霊でだ」 老人は息をつき、首を振った。 「あれはとんだ失敗さ。アクシデントよ。あのバカがすっこんでろって言うのに、油断して出てやがったのさ。偶然、ボンダールとマリアに見つかって、泡食っちまった」 「こっちも惑わされたよ。――ちょうど、この外に死体が倒れてたもんだからな」 「ああ。おいらもあれにはビックリした。なんだったんだい。あれは」 ダンテは笑った。 レフの言葉で、ここから謎が解けたのだ。 レフは七時半にニーヴスの家にいた。リッチーは八時過ぎまで、ダンテのそばにいた。 二人には不可能なはずなのに、猟園にはその時刻、幽霊が出ていた。 べつの人間が動いていたことがはっきりした。 トリスタンも、セリエの秘書ヘイスティングズも、モンタンの甥ローリーも尾行がついていて動けない。 だが、猟園の人間はノーマークだった。 猟園のスタッフは最初の殺しで、全員が一堂に会していたため、容疑から外していたのだ。 だが、ようやく、五人のほかに人間がいるということがわかったのである。 「死んだ子でしょ」 ダンテは言った。「ゲームで死んでなかった子がいたんだね。イスマエルみたいに」 「ああ。あたりだ」 老人は満足げにうなずいた。「よくわかったじゃねえか」 ダンテは死人だと気づいた時、レストランのウェイトレスの言葉を思い出した。 『こんな格好して』 とクロスワードをする姿勢をマネしてみせた時、彼女はからだをぐいと丸めた。 ダンテはその姿勢から、彼がクロスワードに集中してなかったのだろう、と思った。クロスワードの問いを読んでいたなら、あごをあげたはずだった。 そうではなく、替え玉だとようやく気づいた。替え玉は若く、老眼ではなかったため、紙を離して読む必要がなかった。 「そうかい」 老人は惜しそうに笑った。「だが、あの子はよくやってくれた。恨まねえよ」 「あんたは文書詐欺師だった」 ダンテは言った。「手紙の消印は、あんたが偽造したんだね」 老人はウイスキーのボトルをぐいとあおった。 「――おいら、自慢話をしてもいいかい」 「どうぞ」 「そうだ。イスマエルもおいらが助けてやったんだ。かわいい、いい子だったよ。いろいろ話した。怪我を治してやって、逃がしてやった。でも、あの子は殺された。せっかく拾った命だったのによ」 彼は青葉に目をほそめ、また言った。 「たくさんの子どもを埋めたさ。冷たい足をもってな。気の毒な若いやつらをさ。おいら、あの墓場に立ってな。――なんで、殺すやつはひとの痛みがわからねえのか、と思ったのさ。それで、どんな気がするか味わわせてやろうと思ってな。――手紙を書いた」 死んだはずの人間から手紙が来て、三人はおどろいた。だが、いたずらととられ、ゲームは続けられた。 「次の時は飛び入り客があったからダメだった。その時も子どもたちが死んだ。もう待てなかった。その次はうまいこと、三人だけのパーティーだった。おいら、替え玉のあの子につけ髭をつけて、『ホールについたら、風邪だってことにして、しゃべらずに寝てろ』っていいつけた。あの子はなかなか度胸があったよ。おいらの気持ちをわかって、協力してくれた。それで、おいらは森で待ってた。鈴を鳴らして、おびきよせながら、待ってたのさ」 老人はしゃがれた声で続けた。 「セリエさんは一瞬、こっちを見た。一瞬な。ひとことも言わないうちに撃った。――おいら、戦争でも人を殺したことはねえ。きらいなんだ、殺しは。でも、あの時は撃てた。墓場の子どもたちのことを思ったら、ちっとも怖くなかった」 死体に細工した後は、自分の小屋に戻っていた。 警察が来る前に、替え玉が戻ってきた。彼を燻製小屋の地下に隠し、何食わぬ顔で館へ戻った。 「次のモンタンさんの時は、あんたもご存知だ。おいらはあの子にレストランでおいらのフリをさせ、自分は病院に行った。モンタンが入院しているとマリアから聞いていたからね。――マリアは関係ねえよ、あいつはなんも知らんでしゃべっただけだ――おいらは病室に忍びこんで、ネズミをクローゼットに放り込んでおいた。ドアにメッセージを貼ってな。そして、あのひとがトイレに行くのを待った。あのひとは前立腺病みだ。必ずトイレに行くからね。――そして、清掃中の札を出し、トイレで殺った」 殺害した後、彼は病院を出て、スーパーマーケットで待っていた。 一方、マダム・カルボはレストランへ替え玉を迎えにいった。替え玉は、スーパーへ寄るといい、そこで老人と入れ替わった。 「カルボさんは気づかなかったのか」 「ぜんぜん。あのひとは、息子の治療法が見つかったってんで興奮してたからな」 「プレスコットはどうやって呼び出した」 簡単よ、とじいさんは眠そうに言った。 「『ミッレペダの者ですが、そちらのボディガードに不審な者がまぎれていることが判明しました。ボディガードに気づかれないように出てきてください』――向こうはパニック寸前だったからな。火がついたみたいに飛び出てきたよ」 彼はニューヨークのアッパーウェストのカフェで、ミッレペダのスタッフが接触するからといって、呼び出した。 「セントラル・パークに入る予定はなかったんだが、音楽が鳴り出した時、プレスコットさんがふらふらと公園のなかに入って行った。どういう気持ちだったんだかな」 じいさんは背後をつけ、そして、拍手にまぎれて射殺した。 「こういうことはみんな刑務所で学んだよ」 「彼には犬の格好をさせなかったな」 「このゲームは、あの連中のためのものだからよ。いっつも人を縛って、ライフルもって追い掛け回していた連中に、追われる気分を教えるためのものだ。サインもベルトも、そのための小細工さ。ほかのお客さんを喜ばすためじゃないのさ」 じいさんはまたボトルをあおった。 「おいら、残酷なことはしたが、悔いちゃいねえ。このことは神様にも胸張っていえる。ここの殺しを止めたことはよかった。もっと早くやればよかったが、だが、やらねえよりやったがよかった」 おいらが、若い頃はよ、とじいさんは声をにごらせた。 「むちゃくちゃやったもんだ。喧嘩もした。詐欺もやった。が、いいこともあった。いい女とたくさんめぐりあってよ。恋をしたよ。結婚はしなかったが、たぶんどっかにおいらのガキがいると思うよ。まあ、いばれた暮らしじゃないが、それなりに楽しいことがいろいろあったんだ。――だがよ。あの若い連中はそれをなーんにも味わわないうちに、殺されちまった。金持ちの道楽でだ。刑務所から出ておどろいたよ。なんちゅう世の中になっちまったんだい?」 酔いが老人の舌にからんでいた。ひでえもんだ、と言った。 「あとひとつ、ひでえのは、あんたらだな」、と、ダンテを見た。 「あいつらはやっつけたが、あんたらは生きている。ヴィラだ。イスマエルを手にかけたのは、あんたらだ」 「そのことだが」 ダンテは内ポケットのレコーダーのスイッチを切った。一枚の写真をとり出し、 「イスマエルは生きているんだ」 彼は写真を老人に見せた。 「イスマエルの子どもたちだよ」 じいさんの目が丸くなった。ぐいと眉を上に引っ張って、写真をのぞく。 ダンテは言った。 「イスマエルはミッレペダに捕まったんだ。だが、リッチー――ミッレペダのスタッフがどうしようもないやつで、彼を殺せなかった。火葬場に運ぶ前に、棺の中身を取り替えて、イスマエルを逃がしたんだ」 リッチーは捕えたイスマエルから猟園の話を聞き、彼を帰すことができなかった。 帰せば、かならず殺される。リッチーは目の前の若者を、どうしても死地にやることができなかった。 そこでジャーナリストに接触したとでっちあげ、処分の担当者となった。薬殺したふりをして棺に納め、火葬場への移動途中で、墓穴から掘り出した死骸とすりかえた。彼はイスマエルをしばらく保護し、後日、顔を整形させ、金を渡し、南米に逃がしたのである。 「イスマエルは南米の牧場で働いていた。牧場主の娘と結婚し、双子の赤ん坊にもめぐまれた。そこで、気がゆるんだんだな。どうしてもカナダのお母さんが心配だったんだ」 イスマエルはからだの悪い母親に、無事でいることを知らせたかった。ついに、リッチーとの約束を破り、彼女に金を送った。金に自分のふたごの赤ん坊たちの写真を添え、無事を知らせた。 母親は息子のくれた金で車を替え、屋根を修理した。それをイスマエルを調べに来ていたニーヴスに嗅ぎつけられた。 「そのことで、あのチビのかわいこちゃんはえらい目にあったんだよ」 老人はそうかい、と写真を見つめた。その目に涙が光っていた。 「イスマエル、ガキが生まれたのかい。よかったなあ」 あいつだ、と老人はうれしげに笑った。 「あの子の青い目そっくりだ。ふたりも」 老人はのめるようにダンテにもたれた。 「よかった――」 目をとじている。その息がだんだんゆるくなった。 「あんたな」 老人はダンテにもたれて、つぶやくように言った。 「あの、燻製小屋の、地下に……ガキが一匹隠れている。……責めちゃいけねえ。あの子の手はきれいなままだ。……おいら、殺しは、前途ある若者には、させなかったよ……」 ああ、とダンテはその背を支えた。老人のからだはずしりと重くなっていた。 「……ステファンてんだ……」 それが老人の最後の言葉だった。しわぶかい手に写真がひっかかっていた。写真のなかで、ふたごの赤ん坊がそろいの帽子をかぶって、きょとんと見ていた。 ダンテは明るい木々を見上げた。 突然の強い風がうねり、葉を騒がせた。光を撒き散らし、雨のようにダンテの額を打った。 (帰ろう) 老人の体を横たえ、ダンテはふと、――こいつをバラスコに聞かせてやろう、とおもった。 事件は表に出せない。バラスコ部長刑事にはなんの役にも立たないが、あのクソマジメな男に聞かせたいとおもった。なぜか、そんな気になった。 レフは不意に異変に気づき、顔をあげた。 リッチーの睫毛が震えている。ゆっくりとその目が開いた。 「リッチー」 レフの声はかすれた。 リッチーが黒い眸をむけた。まだ眠たげにとろりと笑った。 「天国の夢をみたよ」 レフは息を忘れて、その顔を見つめた。 リッチーはすこし身じろぎした。とたんに眉をきつくしかめる。 「ああ」 と残念そうにうめいた。からだにはいくつかのチューブがからみついていた。 レフはうろたえ、手を浮かせた。「い、痛いのか」 リッチーは微笑み、 「レフ、天国にもハワイがあったよ」 と言った。 「え」 「ホノルルもあったし、火山もあった。ひとがいっぱいいたよ」 惜しそうに目をほそめる。 「すごく素敵なとこだった。みんなビーチで楽しんでた」 リッチーは天国の高級ホテルや、夢のようなご馳走のならぶビュッフェ、ゴージャスなスパの話をした。 レフは阿呆のようにリッチーを見つめた。なにか言うのはこわかった。騒いだら、奇跡が霧のように消えてしまうのではないか。 リッチーは夢の風景を眺めながら、 「毎日、すっごく楽しくてさ。いろんなことして遊んでた。海で泳いだり、ウインドサーフィンしたり、ビールを飲みながら夕日を見たりしてね。そしたらさ」 レフを見て、ニヤリと笑った。 「野良犬がビーチにやってきた。痩せこけたチョコレート色の野良犬。おれのとこにきて、服をひっぱるんだ。帰れって」 レフはわずかにうなずいた。鼻から涙が垂れた。 「その犬、羽があんのさ。天使みたいな白い大きな羽が。ぱたぱた飛びながら、襟をひっぱるんだよ。おれ浮いちゃってさ。魂なもんだから、軽いの。どんどんビーチから離れちゃって。海の上をずっと飛んでた。犬に咥えられてね。ずっと――」 リッチーは夢の大海原を見つめ、すこし黙った。長い旅を思い、その顔が物憂げに曇る。 「その犬がさ、飛びながら、ふらつくの。ずっと飯抜きなんだ。だから、痩せちゃって、力が出ないんだ。ふわふわよろよろ飛んでた」 おれ、帰って飯作らなくちゃと思って、と言った。 レフは上を向き、目を見開いた。うん、と答えた声がのどにひっかかる。鼻のなかを水っぽいものがたらたら滴った。 リッチーは微笑った。 「でもさ。――せっかく帰ってきても、あんたはあっちにいっちゃうんだろ」 もうすぐ、と小さな声で言う。 凪のように沈黙が落ちた。黒い目がしずかにレフを見つめていた。 「いかない」 レフは誓った。 「いかないよ」 石に刻み込むように誓った。 うそつけ、とリッチーがやさしくなじる。 「検査の結果、よくなかったんだろ。だから、おれに隠れて、漫画描いてたんだろ。『ウェイター・リッチーへの遺言』」 レフは微笑い、わずかに首をふった。 「描けなかったよ」 そんな漫画、描けなかった、と言った。 「さびしくて、泣けて、ばかばかしくて、描けなかったよ」 レフはまた目を赤くし、 「阿呆。死ぬかよ」 と笑った。 「やっと夢がかなったんだぜ。おれはずっと、おまえといっしょになりたくて、ジタバタしてきたんだ。ハワイでプロポーズして、断られて。おまえに逃げられて。病気になって。ミッレペダなんて恐ろしい組織を探し回って。やっとおまえはOKした。やっと、おまえの首根っこ捕まえておけるんだ」 レフは声をひきつらせた。 「これから、おまえはレストランを開き、おれはその看板を描く。たまには床掃除もする。店がひけたら、ふたりで飯を食う。砂浜で夕日を見て、風に吹かれて」 レフは洟をすすって、笑った。 「おまえといっしょなら生きるよ」 リッチーはうすく唇を開いた。チューブのついた手をのばし、確かめるように男の顔に触れた。 レフの顔は不精ひげによごれ、洟で濡れていた。また痩せてしまった。だが、顔のどこもかしこも、あかあかといのちに輝いている。 リッチーは眼をみはった。 (まだ、夢かな。まだ天国の夢を見ているのかな) はらぺこの野良犬天使がいた。じゃれつくのを我慢して、ふるえるように喘いでいる。細く鼻を鳴らし、振りちぎらんばかりに尻尾を振っていた。 リッチーは不意に目から礫のように涙が落ちるのを感じた。 「レフ。触らせてくれ」 ――どうせ、夢だろ。 だが、突き放すことはできない。その首を抱き、頬を寄せた。 無精ひげが擦れ、あたたかかった。ほんのりインクのにおいがした。 ―― 了 ―― |
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