犬狩り  第36話

 病院の待合室で待つ間、オフィスからダンテに連絡があった。
 マービン・チャンがニーヴス殺しを自供したという。

『痴話喧嘩です』

 スタッフが疲れた声で教えた。

『ニーヴスがコリンとよりを戻したんじゃないかって。マービンが疑って、詰め寄ったんです。ニーヴスは相手にせず、――その時、銃が暴発したんだそうです。撃つ気はなかった、と』

「そうか」

『ニーヴスの家から血液反応が出たそうです』

「うん」

『マービンはニーヴスに夢中だったんですよ』

「……」

『コリンはどうです』

「……まだ手術室だ」

 リッチーは監房内で首に細紐を巻いた状態で発見された。
 まだ息はあったが、人々は自殺未遂と見て浮き足立ってしまった。運びだそうとした途端、リッチーは跳ね上がって逃走した。

 逃走した際、背に二発、右ふくらはぎに一発撃たれた。リッチーはそれでも走り、町に隠れた。

 発見されたのは、スーパーマーケットだった。買い物袋に食料品をいっぱいに詰め、駐車場で倒れていた。

「買い物はキノコでしたか」

 待合室でダンテはオプティオに言った。何か話していないとやりきれなかった。

「ああ」

 オプティオも肩を落としていた。「ブラウンマッシュルームだの、シイタケだのがたくさん入ってたそうだ」

 店のフロアのいたるところに点々と血が落ちていたという。

「白ワイン買って、止血もしないで、なに考えてんだか――」

(半分、夢を見ていたんだろう)

 ダンテは床に目を落とした。白い頬をして、スーパーで野菜を選ぶリッチーの姿が浮かんだ。もはや、痛みなどなかったに違いない。

「彼は、金は?」

「掏ったんだろうな。――子どもの頃、苦労したんだ。あいつは」

「親は死んだんでしたっけ」

「殺されたんだ」

 オプティオは物憂く言った。「ふた親とも。父親が政治活動にかかわってたらしい。どこだったか、南の、バナナ共和国のひとつさ。コリンはひとりで国境を越えて、合衆国に来た。七つの時にな」

 手術は長くかかった。ダンテは廊下に出て、うろうろ歩いた。
 手術室の前にはレフが置き物のようにじっと座っている。ダンテがそばにいっても、手術室を凝然と見つめたまま、気づかずにいた。

 レフの肘にも猫の毛がついていた。

(こいつはニーヴスの死体に触ったんだ)

 ダンテは思った。
 ニーヴスは何か脅しのネタを持っていた。レフはそれを探して、死体に猫の毛をつけてしまった。

 そのあと、リッチーが来た。彼もニーヴスを殺すつもりで忍んで来た。
 だが、ニーヴスはすでに死に、死体には猫の毛がついていた。リッチーはそれを見て、レフが殺した、と思い込んだのだ。

 リッチーはイスマエルのしわざに見せかけるために、ニーヴスの死体を運び出した。裸に剥き、死骸の弾を取り除いた。その作業をすませて、ダンテのベッドに戻ってきた。

(阿呆どもめ)

 ダンテはレフを見て、せつなくおもった。レフは手術室を見つめている。主人を待つ愚かな犬のように、扉が開くのをひたすら待っていた。

 手術室からストレッチャーが出てきた。
 レフがすぐに飛びつく。リッチーはまぶたをかたく閉じ、シーツの下に沈み込むように小さくおさまっていた。

 医者がすぐ後から現れた。

「弾は残らず摘出しました」

 マスクをはずして、「やることはやりましたが、すでにかなり出血していたので、あとは」

 天を指して、運だ、と言った。
 



 レフはリッチーのベッドに貝のように貼りついている。
 ダンテはすこし離れて立ち、リッチーの薄いまぶたを見つめた。

 集中治療室に移されて、リッチーの心臓は一度、停まった。
 すぐにスタッフが群がり、蘇生措置をとった。電気ショックで小柄なからだが何度も宙に放り上げられた。

(リッチーは死なない)

 ダンテは灰のように血の気のない寝顔を見つめた。
 レフの家で見た彼の幽霊は晴れやかだった。ダンテにあやまるように、ニッとわらった。

(あんなのはいたずらだろ)

 ダンテはリッチーに問いかけた。

(おまえは生きるんだろ)

 リッチーは石のように押し黙っている。その傍にレフが長い背を丸め、じっと恋人が目を覚ますのを待っている。ふたりは時が止まったように動かなかった。

 だが、ダンテには幻が見えた。
 レフがスケッチブックを見せて、なにか自慢している。スケッチブックにはリッチーズ・レストランのロゴマークや、店の看板のデザインが描かれている。

 リッチーはそれを見てはしゃいでいた。目をきらめかせてスケッチブックを見つめている。レフの首に飛びついて笑っている。

(だから、おまえは助かるんだろ)

 ダンテは頼むように、小さなリッチーの顔を見つめた。

 ――もういちど、笑ってみせてくれ。

 ひとなつこい黒い目をしていた。笑うと眉が下がって、砂糖でいっぱいの笑顔になった。
 太陽をふくんだような強い、いきいきとした目をしていた。愛したくて、愛したくてたまらない、はずむ体をしていた。腕いっぱいに愛を抱えて生まれてきたやさしい仔猫だった。

 ――なにが、情にほだされるな、だ。

 ダンテはリッチーの寝顔に微笑みかけた。

(おまえはミッレペダ、クビだよ)




 ゆたかな緑が風にゆらぎ、木漏れ日がひらひらと揺れていた。
 木々のざわめきにまじり、せつないハーモニカの音が聞こえてくる。

 ログハウスの前に木のベンチがあった。そこに小型のサンタクロースのような老人が身をかがめ、小さなハーモニカを吹いていた。

「やあ、じいさん」

 ダンテは坂をあがり、森番のじいさんに声をかけた。

「よお」

 じいさんは手をあげ、立ち上がった。
 ダンテは老人を散歩に誘った。「少し歩かないか。話しながら」

「へっ、おいらとデートかい?」

「そうだ」

 老人は目を丸くした。

「ちょっと待ってくんな。ハイキングなら飲み物がいる」

 じいさんは小屋に入り、携帯用ウイスキーボトルを持ってきた。

 ふたりはざわめく木々の下を歩いた。日は強かったが、風が涼しい。
 ダンテは陽だまりに倒れている丸太を指した。

「少し座ろうか」

「なんだい。もう休みかい。もうちょっと歩かねえか」

「いや。ここでいい」

 ダンテは座った。老人もとなりに腰をおろす。

「飲むかい?」

「いや、いい」

 ダンテは言った。

「じいさんだな。イスマエルは」

 老人は帽子をとり、あおいでいた。

「まあな」

 と、言った。


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