キスミー、キミー |
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(上玉じゃないか) のぞき穴を見つめ、客は自分の瞳孔がひらくのを感じた。 ステージの犬は、美しかった。 海兵の白い制服を着ている。シャンパンブロンドのゆるい巻き毛がセーラーカラーによく似合った。 同じく海兵の制服を着た大男のひざにのせられ、ズボンに手を入れられている。その手が股間で大ぶりに蠢くたびに、きれいな眉をしかめ、うすく開いた唇から甘いためいきをついた。時々、楽しそうにキスを返す。 (これは格がちがうぞ) 客は唾を飲んだ。 犬は地下の犬にありがちな、荒んだにおいがない。 澄み切った若者らしい面差しに、夢見るような甘いグリーンの目をしている。細身のからだには、健康な透明感があった。 (二十歳か。これは掘り出し物だ) おそらく、地下に来てまだ日が浅い新品だと思った。少し値が安いのが気になったが、客はオーダーボタンを押した。 落札のランプが点灯する。 客はいそいそとフロアに出て、偶然、顔見知りと会った。 「やあ、いい犬はいたかい?」 「ああ、掘り出し物をみつけたよ」 客がパンフレットを見せると、知り合いは複雑な顔をした。 「こいつはやめたほうがいいな」 「なぜだね」 「邪視だって噂だ。主人を三人死なせてる」 キャンセルの知らせを聞き、キミーはとぼとぼ控え室に戻った。 「やっぱ売れなかったのか、悪魔のワン公」 地下の犬たちは口が悪い。 だが、この日はキミーをからかってはいなかった。彼らの顔は硬かった。 「うん。しょうがないね」 キミーはへらっと笑い、飲み物をとった。 「まあいいさ。くさいおっさんと寝なくてすんでよかった」 「おめえ、よくないだろうがよ」 キミーは地下にきて、一度も客のオーダーが入らない。 妙な噂のせいだった。 キミーのひとり目の主人は、彼をきびしくしつけ、買い取る直前に心臓発作で死んだ。二人目の主人は調教権をとってほどなく、交通事故に遭って死んだ。三人目の男は、ためしに彼を抱いた翌日、ひどい食中毒をおこして、一週間入院する羽目になった。 その男が売り戻すと、 ――あれは邪視ではないか。 という、うわさがたった。 質のいい犬であり、ヴィラは懸命に噂を否定したが、富裕な客は運に吝嗇だった。 以来、三年の間、買い手がつかない。値を落として、地下の歓楽街に置いても、誰も触れない。 売れない犬は薬殺処分になる。彼の担当アクトーレスはここに置く時に、 「一度でも客をとれれば、五年は猶予ができる。だが、一年誰も触らなかったら、おまえは価値がない。処分だ」 と言い渡した。 その一年目が今日だった。 「逃げちまえよ」 犬たちは心配した。 「おまえが逃げるんなら、手を貸すぜ」 人の好いキミーは、彼らに愛されていた。 「アホ、いいよ」 キミーは明るく笑った。 「おまえらに迷惑かけてまで生きのびたくないよ。おれはべつにいい。ハゲ親父のペットになりたくもなかったし、注射されるまで、テレビでも見て楽しく過ごすよ」 キミーはセルから出された。 (いよいよか) この日が来るのは覚悟していた。しかたなかった。騒がず、警備のウエリテス兵についていく。 彼らは成犬館を出ていった。そのまま、ヴィラのにぎやかなローマ風の町にあるレストランに連れてこられた。 キミーは目をしばたいた。 今日から、ここでエプロンをつけて給仕しろ、という。 「キム・ブラッドリーか」 レストランの亭主は、頬の垂れたふてぶてしい悪人面の男だった。短い足を踏ん張って 立ちはだかり、 「おまえは呪われたワン公か」 「はい」 「ヴィラから出たいか」 「はい」 「よし、働け!」 亭主は鬼教官のように言った。 「ここじゃ、お客さまがクソ犬を見初めて、外に出してくれるなんてことはない。そんな甘い考えは捨てろ。クソ犬は働き、自分の稼ぎで、身代金を稼ぐんだ」 死刑は中止らしい。キミーはよろこびかけたが、 「給料はいくらなんですか」 「月十五万だ。あとはチップで稼げ」 地下でのキミーの値段は七億セスである。キミーは暗算が得意ではなかったが、それでも、八十歳より前には出られないような気がした。 よろこびがみるみるしぼんでいく。 「ばかめ。じじいのボーイにいつかれてたまるか!」 亭主はがなった。 「おまえの今の値段はたった1000万セスだ。月十五万の給料だけを積み立てると六十六ヶ月――五年半かかる。五年半後、クソ犬はここを出られる! もっと早く出たければ、チップを稼げ。ただし、いいかげんな仕事ぶりなら、容赦なく地下に戻す。おまえの場合は、そこでおしまいだ。わかったな」 これは、レストランや公衆浴場の犬たちに適用される特別な制度だった。 これらの施設で働く犬たちは客の目に止まりにくいため、ヴィラの外に出る機会がない。そこで、労働に賃金を支払い、ペクリウム(奴隷財産)を貯めさせ、それでわが身を贖わせるという方法がとられていた。 (買われなくてすむなんて、すごいじゃないか!) キミーは幸運に感謝し、レストラン『トリマルキオ』で働きはじめた。労働時間は長く、慣れないためによく叱られたが、キミーははりきっていた。 働いて三日目、フロアでひとりの男と出会った。 キミーはその見知らぬ男を見て、動けなくなった。 ふしぎなよろこびのために、呆けてしまった。細胞に光をまぜたように、全身がよろこびでふるえた。 キミーのはじめての恋だった。 その男はアクトーレスであったため、キミーの恋は禁忌であった。 |
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