キスミー、キミー  最終話

「遅い連絡だな」

 受話器から興奮したキミーの声が聞こえてくる。

『大変だったんだよ! 地雷があってさ。釘が飛び散ってさ』

「なに?」

『地雷だよ! ケガ人が出て大変だったんだ』

「地雷ってなんだ。なに言ってるんだ。おまえ」

 リコが見ていた。神父はダイニングに戻り、電話の拡声ボタンを押した。
 キミーの声が室内に響き渡った。

『それがさ。おれたちが昨日通ってきた道にあったんだよ。信じられる? あと1フィート隣走ってたら、おれたちがボカンだよ。そこけっこう地雷が撤去されたところでさ』

「キミー」

 神父は声をしずめて聞いた。

「おまえどこにいるんだ」

『いま? カブール』

「え?」

 リコが目を剥く。

『アフガニスタンのカブールだよ』

 神父はおどろき、ついリコと目を見合わせた。

「なぜ?」

『リコがこっちにいるって言われてさ。昨日、テレビの取材の人たちと来たんだ』

 リコは口をあいた。

『おれ、最初、イラクに行こうと思ってたの。あの番組に映ってたとこ。そしたら、こっちの人が、こいつはアフガニスタンにいる、って言うからさ』

「いつの話だ」

 リコは叫んでいた。「十年前だ、それは」

 電話にもその叫びは聞こえたようだった。

『セス、誰かいるの?』

「ああ。いるよ」

 代わろう、と彼はリコに受話器を渡した。リコは受話器をひったくるなりわめいた。

「どこにいるんだ、おまえは! 戦場だぞ。何しているんだ」

 電話の声は答えなかった。長く沈黙した。
 リコ? とおそるおそる聞いた。

「ああ」

 リコは目をとじた。「そうだよ」

 電話から悲鳴のような奇声があがった。

『リコ、そこどこ?』

「――シカゴ」

『な、なんで、そんなとこにいるんだよ! おれこんな遠いとこ来ちゃったじゃないか。もう――なんで』

 興奮して、言葉にならないようだった。
 リコは聞きながら目を被っていた。手首から滴がしたたって落ちた。

『誰かさんの迎えが遅すぎるからだぞ! おれは心配してたんだ。何してたんだよ!』

「……」

『どうせ、おれのことなんか忘れてたんだろ! あなたはすぐ逃げるんだ。何度も何度も逃げるんだ。おれのことも袋に詰めてたんだろ。ひどいよ! こっちは生きてるのに!』

 リコは言えず、かぶりをふった。
 キミーは袋になどいなかった。詰めようとしても、できなかった。
 最初から、それができなくて、砂漠へ飛び出したのだ。

『じゃ、今から帰るからね。そこで待っててくれよ』

「バカ、やめろ」

 リコは手の甲で目をぬぐった。

「うかつに動くな。そこは山賊が多いんだ」

「でも」

「おれが行くから、待ってろ」

 電話の声は少し沈黙した。

『でも、また待ちぼうけはいやなんだ』

「かならず行く」

 リコは肩をふるわせて泣いた。

「待たせてすまなかった。キミー」

 やっと口にできた。長く押し込められてきた言葉が、やっと飛び立った。
 キミーは洟をすすっていた。小さい声で、

『うん』

 と言った。

『迎えにきて。はやく、はやく会いたい』




 ピートが薪ストーブに火を入れていると、ノリーが届いたばかりの封書を渡した。

 ノリーの足元には二匹の仔犬がくるくると走り回っている。一匹はほどけるようにピートに近づき、足首にかじりついた。

「これ」

 ピートは封書を受け取りながら、足から仔犬を引き剥がした。

「ケージに入れておけよ。スリッパがメチャクチャだ」

「きみにもなつかせなきゃ」

「認めないぞ。明日は返せよ!」

 ノリーは笑ってとりあわない。姉から預かったと言ったが、なしくずしに飼う気でいるのはあきらかだった。

(馬はともかく、犬なんかいたら、旅行にもオチオチいけないじゃないか)

 ピートはソファに尻をおろし、差出人を見た。
 グリーンウッド神父からだった。封を切ると、電話ではご迷惑と思い、として、リコがパキスタン経由でキミーのもとに向かったことが書いてあった。

「カブールかよ」

 ピートは吹き出し、テレビでよく見る中央アジアの赤い大地を想像した。

 赤茶色の岩に座り、キミーが口笛を吹いて、恋人を待っている。
 パキスタンからのバスを降り、リコが赤い土を踏みしめる。

 リコは乾いた風にまじる小鳥のさえずりを聞く。
 さえずりのほうへと踏み出していく。時に、口笛を返すだろう。

 キミーは走り出す。
 いつかの砂漠のように、リコ、と愛情いっぱいのバカ声をあげるかもしれない。

「イタタ。リコ、やめろ」

 ピートは自分の足を夢中でかかえこんでいるボーダーコリーの仔を抱え上げた。鼻筋に白い線の入った仔犬がきょとんとピートを見る。

「あー。おまえは獰猛だから、『リコ』だ」

 とすると、と今一匹がストーブ用の薪を引きずり出そうとしているのを見て、それをつかみとる。

「おまえは、必然的に『キミー』だな」

「名前つけたな」

 ノリーがふたり分のコーヒーカップを手に、ニヤニヤ笑って現れた。ひとつを渡し、

「ふたりのニュースかい?」

 と微笑んだ。
 ピートは熱いコーヒーを一口味わい、片手でノリーの腰を抱いた。

「犬、飼っていいよ」

 彼のひざの上には『リコ』と『キミー』が新しい家を得て、きらきらと目を輝かせていた。


                   ―― 了 ――




 ←第37話へ        2010.3.10




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