キスミー、キミー 第37話 |
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神父はパン屋でバゲットをいくつか買い、シカゴの摩天楼街を歩いた。 (まったくおかしなことになってるな) 自分の活動で使っているスタッフが、仕事のたびに彼の被保護者を預けてくるようになっていた。 この被保護者は元犬で、精神に障害を負っている。 自分で食事の世話をすることができないから、と遠方へ出かけるたびに、なんとなく押し付けられるようになった。 時々、そのスタッフの本業、賞金稼ぎの仕事の時も預けにくる。 たいした手間ではないが、神父は腑に落ちないものを感じている。 ――このごろ、あの男は狎れて、あつかましくなってきたのではないか。 (あ、ラロだ) ビルのエントランスに、二メートル近い大男が立っていた。 皮肉のひとつでも言おうと近づき、神父はおどろいた。 「リコ」 リコは神父を見て、すまなそうに目礼した。 言いわけはしなかった。叱られた小学生のようにじっとうかがっている。 「よく来ましたね」 神父は逃がさぬよう、彼の背にさっと手をまわした。 「一日遅れだが、上出来だ。キミーのほうも遅刻なんだよ」 神父は彼をエレベーターに押し入れ、ビルの最上階にある教会にともなった。 「今日はさっぱりしているじゃないか」 リコは整髪し、髭をきれいに剃り、新しい清潔なハイネックにジャケットを着ていた。手にはあたたかそうなコートを抱えている。 「ピートが買ってくれたのかい」 「いいえ。これは自分の金で。もう口座が使えるようになったので」 神父は苦笑した。 (たいしたやつだ) リコはホームレスをするほど困窮していたが、口座には手をつけなかった。ホームレスのためのシェルターにミッレペダがまわるようになると、シェルターにも近づかなくなった。 このせいで、ピートは探すのに苦労したのである。 (面白い。こういう事情でなければ、『エクソダス』に欲しいような男だ) 神父はそう思ったが、詮無いことだった。 「この間」 聖堂に入った時、リコが重く口を切った。 「死人のことで相談に乗ってくれると」 「さきに食事しないか。わたしはまだ昼前なんだ。うまいサンドイッチを作るよ」 リコはすなおに従った。 神父は彼をダイニングにいれ、キッシュとサンドイッチの昼食をふるまった。長く餓えていたからか、リコは食べ方が早い。あっというまに平らげてしまった。 しょざいなげに待ち、テーブルの端に置かれたキミーの手紙に目をとめた。 手には触れなかった。だが、目を離さない。 神父は、「読める?」と聞いた。 「いいえ」 リコはぼんやり言った。「でも、あいつの字だってことはわかる。カードを一度もらったから」 「あれはマンガのカードだったんだろう?」 「でも、サインがついていた」 リコの目が沈んだ。 神父は紅茶でサンドイッチを流し込み、読もう、と手紙をとった。 「これは、きみがペルツァー氏の邸を襲撃する、少し前ぐらいの手紙かな。 『親愛なるセス 元気? おれは元気だよ。もうすぐハロウィンだね。小さい頃のことを思い出すよ。セスは高いお菓子をくれる家をよく知ってたなあ。あれ、どうしてわかったの? おれたちは今、カボチャ彫りに夢中です。アーニー(ペルツァー)は意外に器用なやつです。一回教えたら、すぐおれより早く彫り上げられるようになっちまった。にくたらしー! 競争してたら、うち中カボチャだらけだよ。これ、あとで困るんじゃないかなあ。 アーニーは今日、おれにクリスマス・プレゼントは何がいいか聞きました。車でもジェット機でもなんでもいい、というバカ父ぶりです。 おれはアマゾン・クルーズに行きたいなあ、とおもったけど、やめました。だって、リコが迎えに来るかもしれないからね。 ポップコーン製造機を買ってもらうことにした。 リコが来たら、どうなるのか、まだ答えが出ないよ。 殺し合いだけはいやだ。 リコが死んだら、おれは生きていけないかもしれない。エルンスト・ペルツァーが死んでも、やはり苦しいだろうな。 それに、リコにはもう絶対、人殺しをさせたくない。 リコのなかには白い死体袋の山があるんだ。おれが死んだら、その袋に詰めて、忘れてしまうって言っていた。そんな袋がたくさんあるんだ』」 神父は一度、言葉をきって、リコを見た。 リコは口をむすび、眉をしかめて聞いていた。 「『最初に会った時、リコはほんとうに遠くにいる気がしたんだ。狼が森の奥でひっそり見つめている感じ。人間の世界には近づかないで、ひとりでトコトコ雪の上を歩いているような。 でも、ほんとうに人間が嫌いなら、たぶん、森のなかに隠れてしまったとおもう。おれのことも放っておいたとおもう。 たぶん、リコは帰りたかったんだけど、ケガだらけで帰れなかったんだ。たくさんのケガを我慢していたんだよ。 おれは人を撃った時、気が狂いそうになった。ああいう痛みが死体袋のなかに入ってる。袋をとじて、感じないようにしているけど、なくなったわけじゃない。 おれはもう絶対リコに人殺しはさせない。 そして、いつか死体袋をひらいてあげようと思う。 あの死体袋のなかには、じつはもう死人はいないんだよ。 おれはそう言ってやるんだ』」 リコの目が大きく瞠いた。 神父はしずかにつづけた。 袋を開けると、きれいな鳥が出てくるんだ。宝石みたいなきれいな小鳥が、ぱっと空に飛んでいくんだ。また開けると、また小鳥が出てくる。しろっぽい羽音をさせて、飛び立っていく。ひとつひとつ違う種類の鳥が入ってるんだ。赤い鳥。青い鳥。ツルみたいなのや、カワセミみたいなのや ペリカンみたいなやつも出てくるかもしれない――。 リコはぼう然とその風景を見ていた。 赤茶けた不毛の大地から、かわいた羽音がかけのぼっていた。 リコの前を、肩のそばを、透明な翼がひらめき、上空へと飛び立つ。 リコのからだの中からも、透明の小鳥が次から次へともがき出て、羽ばたいていった。何十羽、何百羽の鳥が飛び立ち、大気を叩く音がとどろくように響いた。 リコは肌が粟立つのを感じた。 すさまじい数の羽音が、大気を震わせていた。それは万雷の拍手の音に聞こえた。愛情のこもった無数の手がさかんに打っている。透明の男たちがリコに微笑みかけながら、手を打っていた。 リコはうつろにその音を浴びていた。 羽がひらひらと落ちていた。火のような赤い羽根、青光りした黒い羽根。縞模様。ヒマワリの黄色。瑠璃色。 それらは、しおれた白い袋の上に落ち、花のように彩った。 神父はあとは読まなかった。 リコの息がふるえていた。目をつぶり、肩をふるわせ、声をこらえて涙を流していた。 その胸が時折、痙攣をおこしたように跳ねる。さざなみのように息がふるえる。 リコは歯を食いしばり、しずかに、もがくように泣いた。 神父はそっと席を立った。 その時、電話が鳴った。電話をとり、リビングに移動しかけて、彼は立ち止まった。キミーからだった。 |
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