第5話 |
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チャンスだ、といわれてもよくわからない。 新しい客がつくことが、なんのチャンスなのか。その男がおれを買い取るとしても、どうせ一時的なことだ。 すぐ売り戻す。地下のクズ犬に期待するほうがバカだ。 おれはだんだんと不機嫌になった。鉄のように厳しい飼育員たちが、売れるという一事に色めき立つのが、腹立たしかった。 「獣姦まであるんですか!」 筋書きを聞いた時、おれは突発的に癇癪を起こした。 「いやだ! できない! 絶対にできない! ほかのやつに代わってくれ!」 もちろん地下のクズ犬に逆らうことなど認められない。 おれは殴られ、指先に電気を通されて、反抗の代償を受けた。それでもおれは泣きながらわめきつづけた。 「なんでほかの犬のために、おれが客を案内してやらなきゃいけないんだ! 全員妨害してやる! 全員失格にしてやるからな!」 ゲーム会場に連れていかれるのは苦痛だ。 いつもの広場の草地が恋しくてたまらない。 おれは草地でお客の靴を舐め、そっとズボンの裾を噛んで、媚を売った。 「お尻をみせてごらん」 尻をあげて見せ、脱腸の癒えない肛門をみせる。 「アナルローズか。いいね」 この子にしよう、とお客が係員を呼ぶとホッとする。係員がおれを抱え上げ、寝室に連れて行ってくれる。 お客がついたら、しばらく寝室から出なくていいのだ。 客のぬめった舌が、尻からはみ出た腸をぴちゃぴちゃと舐める。はらわたの内側を舐められ、足の骨が凍える。不安と興奮がゾクゾクと皮膚を走る。 「アアッ、ん、ヒッ――アアッ」 腰がくねってしまう。身をよじり、シーツを掴んで奇怪な感覚に耐える。 男の汗ばんだ手がおれの腰を押さえる。より深く舌をもぐらせてくる。 「ひっ、イ、――もう、クッ」 「ここで感じろ」 男のあたたかい息が尻の穴にかぶる。 「女の陰唇のように、ここが濡れ、ここで感じるようにしてやる。ペニスなんかとっちまうがいい」 ふたたび腸に濡れた唇が押しつけられる。舌が押し込まれる。嘗め回され、砂糖混じりの感覚が意識を痙攣させていく。 「ヒャッ――アン、も、もう、おねが……!」 ――おれにはここがいい。 思うともなく、感じた。 ここが似合いだ。ここから出ても、いいことない。 飼育長に呼ばれた。 「喰えないようだね」 サリムが入院してから、あいかわらず、飯が咽喉を通らなかった。 「すみません。でも、点滴してもらってるので、はたらけます」 「白髪も増えた」 おれは黙った。 まずいことになったのか、とぼんやりおもった。 ほかの飼育員が恐ろしいといっても、しょせんは暴力のレベルだ。実際に犬の生殺与奪の権限があるのは、この飼育長だった。 彼が不要とみなせば、おれは即薬殺になる。ふれあい広場より下の階層はないのだから。 「買い取られるのが、こわいのか」 飼育長の言葉に、一瞬、脳がしびれた。 急に涙が湧いて、ぼろぼろと落ちた。 からだがふるえだし、おれは泣き出してしまった。 おれはうなずいた。 こわかった。 ここを出て、まともな世界に触れるのがこわい。おれのようなゴミが這い出していって、失望されるのがこわい。また蹴り出されて帰ってくるのがこわい。もう耐えられない。 もう何度も何度も夢を見た。そのたびに泣いて、のたうちまわって、落ち込んで、また夢を見た。 もう疲れた。もういい。もううんざりだ。 「ここに、いたい。ずっとここに、いたいんです」 「ずっとはいられないんだよ。キース」 飼育長は哀れむように言った。 犬の寿命だ。五年たったら廃棄になる。薬殺される。 「それでもいい!」 涙と洟を垂らしながら、おれは訴えた。 「サリムを。サリムをやってくれ。役がついたら、彼は治るから!」 「それはできない」 飼育長は言った。 「サリムは売れた」 何を言ってるか理解するまで二秒ぐらいかかった。 おれはおどろいて見返した。 「サリムの最後の客が買い取って、入院中ずっと面倒をみててくれた。マヒも治ったよ」 だから、今度はおまえの番だ、と飼育長は言った。 おれはふいをつかれて、言葉が出なかった。 サリムが外に出た。身近なところに明るい光がさし、少しぼう然としてしまった。 世界は、少しヒビが入ったのだろうか。 「今度はおまえの番なんだよ」 門の影にはガードがふたりいる。 おれは勇者役のスタッフに、待つように声をかけ、走り出す。 飛びかかり、打ち込み、突く。数合あわせ、追い散らす。 「はい、よし」 演出家が止めた。ガードたちにアクションの手直しを指示する。 それと、と彼はしぶい顔をおれに向けた。 「おまえのその脱腸、なんとかならんの?」 毎日、巨根の客を相手にしているせいで、力むとおれの腸はすぐ飛び出してしまう。 「これから本番まで客はとるな」 「え、でも――」 飼育員が呼ばれた。 ふたりが言い争う間、おれはそっと離れ、飲み物を飲んだ。 従者役で出ることは承知した。 だが、まだハラが決まったわけではない。飼育長の言葉には思い惑ったが、誰かに買われるという覚悟ができたわけじゃない。 ただ、客たちが話しているのを聞いてしまったのだ。 ――今度の賞品、すばらしいね。あれはプラチナ犬といっていい。あれはほしい。 ――つまらん。見てくれだけだろ。 ――おれも参加するぜ。ああいうゴージャスな犬が堕ちて行くのがいい。めちゃくちゃに痛めつけて、従順なペットに変えてやるんだ。 ――なんとかいうクラッシャーの客も出るそうじゃないか。 ――あんなひとりよがりのオタクに扱えるか。おれなら、ここのふれあい広場の連中よりおとなしいイイコに育てられるぜ。 芝生の上で、それを聞いた時、脳に小さな火がついた。 危機がそこにあった。 あの無邪気なアルフォンソはこんな連中のあぎとの前にいるのだ。 そして、おれはやろうと思えば、そんな不埒者を阻止できる立場だった。 おれが買われるとか買われないの問題はひとまず置くことにする。こっちがどう思ったって、自由などないのだから。 おれは従者役につく。勇者に見出され、そのふところに入る。 おれは助けつつ、その男を見さだめるだろう。思いやりのある人間かどうか。アルフォンソの主人になれる男かどうか。 おれは魔王の敵であり、最後の番人だ。 もしも、その男がアルフォンソにふさわしい主人なら、彼を笑顔にしてくれる男なら、おれは門を開いてやるだろう。 ―― 了 ―― |
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