最終話

「いらっしゃいませ。三澤様」

 若いドアマンは微笑んで、おれのためにドアを開けた。

 おれは志摩に帰ってきた。おれのなわばり。秘密基地。愛するホテルはなじみ客をあたたかく迎え、気に入りの部屋に通してくれた。

 はじめから、やりなおす必要がある。
 妄想のおっさんたちに、ご無沙汰をわびて、もう一度お越し願うのだ。かなりシナリオを忘れてしまっているが、この場でやれば、またいろいろ思い出すだろう。

(新バージョンもいいな。触手とかね)

 あわびのステーキを食べながら、おれは設定を考えこんだ。いろんなエロゲのスジをいただいて、ホモバージョンに移し変えるのだ。

 他人からみれば、アホすぎる努力だ。お金持ちのぼっちゃんは、何を考えているやら。

 だが、お金持ちのぼっちゃんだって、失恋すればかなしい。捨てられれば傷つき、たちあがるためになぐさめが必要なのだ。

(宇宙空軍なんだよ。艦隊司令。でも、宇宙海賊に襲われて、部下ごととらわれてしまう。まず海賊のボスにやられ、次が手下の海賊たちに輪姦。さらに部下たちも――。あれ、どこで触手が出てくるんだ?)

 悶々と考えながら、自分の部屋に戻る。あまりに集中していたため、よけいな人間がそこにいたのに気づかなかった。

「こら」

 飛びあがりそうになった。喬任がベッドに腰をおろして、こちらを睨んでいた。
 おれはとっさに入ってきたドアをふりかえった。すっ飛んで逃げたかった。
 対立するにはまだ早い。まだ心の準備が。

「こっち来なさい」

「――」

 おれは踏みとどまった。
 断りなく、辞表を出したのだ。社会人として一応、謝りを入れておかねばならない。

 だが、喬任が立ち上がると、うろたえた。

「来ないでください。そこに! そのまま!」

 喬任に襟をつかまれた時、殴られるとおもった。ちぢみあがってしまった。
 だが、彼はすぐにおれの腕をうしろにねじ上げ、革手錠をかけた。

「!」

 ベルトが手早くはずされる。ズボンを脱がされそうになり、おれはわめいた。

「いやだ! もうやらない! もうあんたとは寝ない!」

「またこんなに道具買いこんで。禁止だって言ったろうが」

 彼はおれのからだをひざに引き倒し、ズボンを剥がし取った。パンツが剥かれ、尻を丸出しにされる。

(!)

 パンと音高く尻を打たれた。重いてのひら。いつかと同じ大きな手がまた尻を叩いていた。

「三澤とは三年の約束のはずだ。どういうことだ」

 おれはわめいた。

「事情が変わったんです。新部門を、ぼくがまかされることになったんです」

「どんな部門だ」

「企業秘密です!」

 喬任は鼻を鳴らし、おれの尻をパンパン叩いた。
 痛かった。打撃に彼の怒気がまじって、皮膚が焼けた。

(叩けばいい。おれは逃げた。気がすむまで叩けよ。でも、もうあんたとはこれきりだ)

 だが、しだいに痛みが堪えきれなくなってきた。いつかのようなお遊びの打ち方じゃない。こっちのからだが弾むほど、重い打撃が降ってくる。皮膚があぶったように燃えている。

「イッ――あく、痛ッ、アアッ」

 膝が浮き、こわばっていた。おれはのけぞり、痛みを逃そうと腰を右に、左によじった。
 咽喉から悲鳴がもれる。腰がくねり、裸の股で陰嚢が揺れている。ペニスが喬任のズボンにこすれて、あたたまっていた。

(いや、だ)

 涙が湧いていた。悲鳴に泣き声がまじっていた。

「なんでだよ!」

 おれは泣きわめいた。

「六人だか十二人だかの愛人のもとにいればいいじゃないか! なんでおれをかまうんだよ! 放っておいてくれ!」

 手がやんだ。
 おれはみじめに嗚咽していた。言ってしまった。言いたくて、一番知られたくないことをさらけだしてしまった。

「やっぱりやきもちか」

 喬任はもの憂い声で言った。

「犬はやきもち禁止だ」

「なにが犬だ!」

 おれは鼻水をたらしてわめいた。

「ひとをバカにしやがって。おもちゃにして、飽きたら捨てて、あとくされなくしろってのか! おれにはこころはないのか! 気をゆるした相手にゴミみたいに捨てられて、平気でいろってのか?」

 鼻水がたれ、糸がおどった。

「あんたは最初から、男じゃないって言ったさ! 男じゃない! ご主人様だ。便利だな! ご主人様! おれは踏みにじってもOKのマゾ奴隷! 好き放題だ」

 彼のからだが少し浮き、すぐにティッシュが鼻におしつけられた。鼻水をふきとり、

「仔犬め」

 と、ため息混じりにいった。
 おれは肩をふるわせて泣いた。

 腰がぬけるほど、彼のひざが好きだった。恥部をさらけだし、甘えられるこの特等席が好きだった。
 最初から、この男に惹かれていた。一目惚れで苦しかった。だから、近寄りたくなかったのだ。
 こんな男がおれを好きになるはずがないから。生涯、おれの手に入らない相手だから。

「……ひとりがいいんです」

 おれは泣きじゃくって言った。
 おれはひとりでしかいられない。おっさんたちはおれを裏切らない。こんなみじめな思いはさせない。

 喬任は言った。

「おれはおまえの恋人にはならない」

 また鼻水が垂れてきた。

「ほかに犬も飼う。これからも増やす」

 ふわりとあたたかい手が背中に触れた。

「おれはどの犬も捨てたりしない。恋がおわって、ほかの子に惹かれるようになっても、忘れ、捨て去るようなことはしない。おれは支配者であり、守護者だ。たとえ、この先、彼らが解放され、仕事をもち、家庭をもつようになっても、そのつながりは消えない。終生、おれは彼らを守りつづけるだろう」

 おれのいう主人というのは、そういうものだ、といった。
 洟がまた床に垂れていた。

 それを見つめながら、おれはぼんやりと甘い敗北感にひたった。彼のひざは心地よかった。安らぎ、涙がわいた。

「虫のいい」

 鼻声でせめて言い返す。

「勝手にひとの主人になりやがって。愛人もみとめさせて。――おれに拒否権はないのかよ」

「ない」

 やさしい手が尻に触れた。

「おまえはおれの七匹目の犬だ」




 祖父にあやまらねばならなかった。
 帰りの車で頭をなやませていると、喬任がぼそっと言った。

「Lコミュはやめたほうがいいぞ」

 おれはぎょっとして見返した。

「――なんで知ってるんです」

「知らなくて、この業界で生きていけるか」

 喬任はその会社が不正会計問題をかかえており、まもなく大きな事件になるから、三澤は手を引いたほうがいいといった。

 おれはその場で祖父に電話した。喬任の情報だというと、祖父もまじめに取り、調べさせるといった。

「なんでわかったんです」

「――だから、そういうのがわかるように、お父さんはおまえをおれのところに送り込んだんじゃないか」

 ちゃんとひとを見ていなさい、と言った。
 おれも言い返した。

「エロいこと教わるために、やられたのかとおもいました」

「ハハ」

 喬任は笑った。

「今度、おもしろいところに連れてってやるよ。外国の秘密クラブ。警察沙汰にならずに、露出が楽しめる」

「露出はもういいですって」

「そのために、訓練したんじゃないか。大丈夫、おまえの資格審査は済んだ。やっと申請できる」

 おれはふりかえった。

「何勝手にやってくれてんですか」

「町中で、おまえを地面に這わせるんだ。首輪ひとつの素裸で。たくさんの男たちがおまえを見る。女性はいない。男だけの町だ」

 つきあいきれない、と一蹴し、おれは明るい高速道に注意を戻した。
 喬任はまだしゃべっている。楽しげな声を聞きながら、おれはこっそり白昼夢を見ていた。

 明るい異国の陽の下、燃えるような石畳のうえに手をつき、おれは尻の穴をさらけだしている。
 男たちの視線、失笑のざわめきが取り囲む。おれの痴態、おれの性器をあざわらっている。

 首輪が引かれ、見上げると、主人の黒い目がやさしく見下ろしている。
 リードを引かれ、おれは恥らいつつ、そっと歩き出すのだ。



                      〔了〕





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