第9話 |
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波の音が舷に静かに跳ねている。 船が大きなゆりかごのように揺れている。ねばるように、ちいさくはずむように。おれはあたたかい裸の胸に額をつけ、まどろみのうちにそれを感じていた。 気づくと、喬任の息が眠っていなかった。 首をのばし、その唇の端にキスをする。彼はおれの髪をなで、長い腕のなかに抱いた。 「明日、横浜に帰る」 低い声がもの憂く言った。 「そこで一度解散だ。おれは行くところがある」 少しおどろいた。ひと夏中、この奇怪な暮らしが続くのかとおもっていた。 「モルジブですか」 「いや」 彼はだまった。しばらく沈黙がおり、眠ったのかとおもった。やがて、 「おれを待っている、六匹の愛犬のもとだ」 と言った。 おれは東京の自分のマンションに戻ってきた。 部屋は何も変わりない。熱気がこもっていたが、パソコン。DVD、車の雑誌。ゲーム。服も椅子も出てきた時と同じ場所にある。 おれはクーラーをつけ、シャワーを浴びた。 からだがなじまない。 タイムマシンで過去に戻ったように、部屋が色あせて感じる。 ――おれが、本物の変態になったからか。 おれは変わってしまった。赤の他人と秘密の時間をもった。 その男はおれに飽きると、さっさと自分の愛人たちの元へ去ってしまった。 横浜には、喬任の執事と迎えの車が待っていた。喬任はさっさと車に乗り込んだ。一度も振り返らなかった。 おれは自分の車――執事さんが横浜まで回してくれていた――に乗って、ひとり帰ってきた。 あれで、終わった。 もてあそばれ、捨てられた。 べつに、はげしい感情は湧いてこない。かるい苦笑。やっぱりそうか、といった、あきらめに似た気分があった。 (おかしな男から解放されたんだ。これでまた、もとに戻れる) おれはコンビニで弁当を買い、テレビをつけて、パソコンを立ち上げた。ビールを飲みながら、メールをチェックして、少し動画サイトをのぞいた。 気に入りのサイトを見ても、気に入りのおやつを食べても、しっくりこない。自分の生活をなぞっているようで、少し変な感じだった。 「圭一はまだ、周防さんの若社長のかばん持ちしてるのかい」 スイカにかぶりついていると、祖父がさりげなく聞いた。 「してるよ」 「おまえ、いつまでそんなことやってんだ」 父が横から、 「いいんだよ。あそこはうちとは格が違うんだ。小僧のうちに見習いに入って、顔をつないでおくのは大事なんだよ」 「だって、もう26か? 7か? いいかげんに経営のほうも」 「いいの。三十までは武者修行」 伯父も笑う。 「いいじゃないの。このあと一生、三澤を背負っていくんだからさ。いまのうちにカバン持ちでもタイコ持ちでもしといたほうがいいよ」 盆休みの集まりは口が多い。おれはうるさい親戚どもを離れて縁側に移動した。いとこの絵美がついてくる。 「周防さんて、デジタル? あの喬任社長んとこ?」 「だよ」 「いいなあ! あのひとスゴイ美男だよね。独身だよね」 絵美はいいなあ、いいなあ、と足をばたつかせ、 「エミ、おくさんになりたい。紹介して」 「愛人いるよ」 おれはさりげなく言って、あらま、とおもった。ばらしちゃった。 「うっそん」 「六人」 ついでにホモでスカ好きの変態でござる。 絵美はショックをうけていたが、すぐたちなおった。 「いい! エミが略奪してみせる。全員蹴散らす!」 彼女はこっそり耳打ちした。 「――圭ちゃん。秘書の仕事、ゆずってくんない?」 おれは振り返った。彼女はひそひそ声で、 「今度さ。うちとLコミュで新会社作るじゃない。防犯カメラの。じいじ、そこを圭ちゃんにやらせたいみたいなんだよね。圭ちゃんがやりたいっていったら、まかせてくれるよ」 新会社の話には少し心が動いた。 OA機器ベンダーのLコミュとうちで、合資会社をつくる話がある。防犯サービスの会社だ。スタッフも半分ずつ出し合う。 取締役社長はうちから出すが、インターネットをつかうサービスなので、祖父は若者――おれが適任と思ったらしい。 (社長か――) まだちょっと早い気もするが、新会社のたちあげというのはそそられる。 ――それに。 また、喬任と顔を合わせるのが億劫でもあった。 いちおう、こちらはもて遊ばれた身だ。変態行為も見られた。これ以後、何もなくても気まずいというものだ。 (行っちゃおうかな) だが、少しもやもやしていた。絵美がおれの代わりに喬任の秘書になるというのは、なぜだか面白くない気がしていた。 喬任が日本に帰る一週間前、おれは辞表を書き、社に持って行った。 副社長は当惑していた。社長は留守だったし、おれの雇用は三澤との取り決めだからだ。 とんでもない無礼だ。 親父にはまだ言っていない。だが、祖父に先に話して、なしくずしに決めてしまおうとおもった。 祖父に電話して、新会社の話を聞かせて欲しいというと、ひどくよろこんだ。 「日曜にでも、うちにおいで。――で、和弘は、うん、っていったのか」 「まだなんだ。でも、もうデジタルには辞表だしたから」 「――おまえ、はやいな」 祖父は少しうなった。それでも彼は日曜日に時間を作ってくれることになった。 (やっちゃった) 喬任と縁を切った。あのただれた十日間も、おれの人生から切り離した。 そう思ったら、急に開放感でからだが軽くなった。ついでに催した。 おれはズボンをおろし、わがものをせっせとしごいた。 (――) エロいぬくみが腰をひたしているが、なかなか頂点に届かない。破裂しようとしない。 おれはうすく唇を開いて、あえいだ。肛門が疼いている。尻の中があたたまり、じれったく蠢いている。 おれはベッドに倒れ、ペニスをにぎったまま、尻穴に指をつっこんだ。 「ん、ンッ――」 突然、海のあざやかな青がよみがえった。太陽の強烈な輝き。熱気のたちのぼるデッキ。ベッドが揺れているように感じた。ゆたかな波のうねりを感じた。 (ア、や) おれはついにペニスを離し、自分の胸をさすった。喬任の熱いからだ。濡れた唇をおもった。おれの胸に張りつき、しつこく吸っていた感覚。甘い疼きに腰がおどる感覚。 「アア、は、アアッ」 おれはシーツに倒れたまま、腰を振った。乳首をつまみ、尻穴に指を突っ込んだまま、のたうち、腰をくねらす。 肉体は反応しない。強烈な餓えだけが黒煙をあげて、噴き上げている。 (ああ。そんな――そんな!) おれはぼう然とした。喬任の指が欲しかった。あの熱いペニス。えらの張った、楔のようなペニスを打ち込まれたかった。 むこうはもうおれに用はないというのに! 性欲は雲のようにからだを覆っていた。 テレビを見ていても、ゲームをしていても、絶えず下半身が疼いていた。 腕は抱きしめられたく、足はひらかれたがっている。尻の穴はぱくぱくとむなしく蠢く。 おれは思い余って、またオモチャを仕入れた。電動の刺激はたしかに射精をうながした。 だが、別物だった。ご馳走を食べた後に、ジャンクで腹を見たすようなものだ。 (これでいいんだ。これに慣れるんだ) だが、プラスチックの丸いゴミ箱を見た時、おれはふらふらとズボンをぬいでいた。 固いプラスチックのふちにまたがる。うつむき、あえいだ。 ――ご主人様! ご主人様。おしっこ。ちゃんと、いいつけどおりに。 放尿すると、かたい水音がたった。ポリバケツよりも軽い、わびしい音が長くつづいた。 おれはバケツを降り、となりに犬座りした。ペニスをさらしたまま、顔をあげる。 涙があふれでた。物音ひとつしない、おれの部屋。一生、物音ひとつしない。 頬をぬらし、虚空を見つめたまま、おれはずっと座っていた。 |
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