2010年11月1日〜15日
11月1日 マシュー 〔犬・未出〕

 わたしは以前、泥棒を生業としておりました。

 裏社会に身をおいて数十年、そろそろ引退を考えていた時、ヴィラに来ることにあいなりました。

 なじんでみると、べつだん悪いこともございません。

 ご主人様は若いし、美男で、やさしくしてくださいます。絵の趣味も素晴らしい。

 地中海気候もけっこうですし、立派なお邸で、おいしいものをいただいて、かわいがっていただけるのですから、監獄で過ごす老後を思えば、ありがたいめぐりあわせ。

 と思っていたのです。やつが来るまでは。


11月2日 マシュー 〔犬・未出〕

 ご主人様が遠慮がちに、新しい犬の話をした時、わたしは憤慨しました。それこそ古女房のようにむくれたものです。

 しかし、ご主人様はしきりと機嫌をとり、

「ふだんはきみのおもちゃにしてくれていいんだ。あのコは、ティツィアーノのヴィーナスによく似ているよ」

 あの蟲惑的なヴィーナスの顔はわたしも好きです。それに腰がぬけるほど、ご主人様が可愛がってくださったので、あきらめたのです。

 しかし、やってきた小僧は似つかないチンピラでした。


11月3日 マシュー 〔犬・未出〕

 やってきた若造を見て、わたしはひと目でダメだ、と思いました。

 無知、無教養が顔に出ています。甘ったれた、若いヤンキーそのものです。

 就労経験があるんだろうか、とたずねてみると、得意げに「名うての自動車ドロ」だと言うではありませんか。

 いよいよイヤになってしまいました。こんなやつと同列に見られていたのか、とご主人様さえ疑う気持ちになりました。

 しかし、ご主人様は「ギャビー、マシューにくっついて学べ。からだ張ってでも、気に入られるんだぞ」


11月4日 マシュー 〔犬・未出〕

「親父さん、おれは老け専じゃねえんだ。かわいいのが好みなのよ。悪いけど、あんたとは勘弁な」

 ご主人様が帰るや、ギャビーが言った言葉です。

「安心しろ。こっちもおまえはタイプじゃない」

「そらけっこう。あんた絵画ドロだったんだって? 儲かりそうだな。今度」

 あわよくば、いっしょにやろうとさえ言い出しかねません。

「絵は駐車場にほっぽってあるわけじゃないんだ。低脳には無理だ」

「おれが低脳だってのかい。ごあいさつだねえ」

 こうして奴との暮らしがはじまったのです。


11月5日 マシュー 〔犬・未出〕

 ギャビーが来てから家の中が騒がしくてかないません。

 ちらかす、大音量で音楽をかける、地下倉庫からワインを盗むぐらいは目をつぶっていたのですが、メイドを殴ってレイプしようとした時にはたまりかねました。

 わたしが叱ると、「お年寄りは黙ってろ」

 遅まきながら、躾が必要だと痛感しました。わたしは彼を殴り倒しました。まさに犬が若い犬に優位を教えるようなものです。

 ギャビーは逆らわなくなりましたが、今度はCFで男を口説くようになりました。


11月6日 マシュー 〔犬・未出〕

 ご主人様はわたしに気を使って下さいます。

 夜ギャビーを抱く日は、昼は彼を無視して、わたしの相手をしてくれます。

 高い美術書をおみやげにもってきて、お尻を撫でられると、そうそう愚痴も言えないものです。

 それでも、「ギャビーにボーイフレンドができたようで」と言おうとすると、ご主人様は「若いから」と受け流し、巧みにオークションや絵画批評の話に持っていってしまいます。

 そぶりは見せませんが、やはりあのアホに惚れているのでしょう。悩ましいことです。


11月7日 マシュー 〔犬・未出〕

 最近、CFに行くのが恥ずかしくてなりません。

 カフェにいると知らない犬が寄ってきて

「言いにくいんだが、お宅のギャビーのことで――」

 と苦情を言われます。

 ギャビーはカツアゲ同然にひとの運動靴や時計を巻き上げたり、勝手によそのドムスに入り込んだりしているようです。

 わたしには関係ありませんが、係争ごとになれば、ご主人様の恥になります。

 しかも、ただならぬことを耳にしました。

「若いのとつるんで、逃亡の計画をたててるらしいぜ」


11月8日 マシュー 〔犬・未出〕

「ギャビー、ヴィラからは逃げられんぞ」

 昨晩、わたしは彼に言いました。彼はテレビを見たまま、ふりむきもしません。

「ギャビー、やってみなきゃわからん、ってのはバカの考えることだ。ここを出たいなら、ご主人様を口説くほうが早い。あのひとは話のわかる方だ」

「何言ってんだ? 誰も逃げるなんて言ってねえだろ」

 結局、話にならず、やつはうるさがって部屋に引っ込んでしまいました。

 そして、今日、CFに行ったまま帰ってきません。


11月9日 マシュー 〔犬・未出〕

 ギャビーが帰ってきません。

 わたしは,迷いました。
 本来なら、すぐ通報すべきですが、ギャビーのことですから、どこか若い犬のところに泊り込んでいるだけかもしれません。

 うかつに通報すればその犬もトラブルに巻き込んでしまいます。

 もしギャビーが逃亡したとしたら、やつが遠くにいくまで、通報を待ってやりたいのです。

 いやなやつですが、犬仲間には違いない。トルソーにされるのは気の毒ですから。


11月10日 マシュー 〔犬・未出〕

 昨日もギャビーはとうとう帰ってきませんでした。執事とメイドは怪しんでいます。

「いい子ができたようなんだよ」といいわけしましたが、ハスターティが来るのは時間の問題です。

 ご主人様もわたしの義理立てに腹をたてることでしょう。まったく厄介な犬を連れてきてくれたものです。

 しかし、妙なのです。
 CFに行った時、彼の気に入りの男の子はスカッシュをして遊んでいたのです。

 ギャビーはひとりで出ていったのでしょうか。駆け落ちで出たわけではなかったのでしょうか。


11月11日 マシュー 〔犬・未出〕

 ギャビーの行方がわかりました。

 CFで、彼の気に入りの男の子に話しかけると、何かもごもご隠しています。

「じつは、うちに――」

 話を聞いて、わたしはよろけそうになりました。

 ギャビーは彼の家に泥棒に入ったようなのです。ところがご主人が腕っぷしが強く、かえって囚われてしまった。

「旦那が興奮しちゃってさ。あいつを痛めつけたり、レイプしたりして、楽しんでいるわけ。首輪してないし、何したってかまわんだろって。アキレス腱切ってやるなんて言っちゃって、ちょっとこわいんだ」


11月12日 マシュー 〔犬・未出〕

 昨夜は眠れませんでした。

 犬のわたしが迎えに行っても返してくれるわけがない。ご主人様に言えば、飼い犬が盗みを働いたというとんでもない不名誉を蒙ることになります。

 ましてや、あの阿呆は首輪ナシに出かけたらしいのです。(スパイダーマンの扮装をしていたというから、開いた口がふさがりません)

 秘密裏に引き取るほかありません。わたしがやるしかないでしょう。

 くそったれ、二度と壁には上らないで済むと思ったのに。


11月13日 マシュー 〔犬・未出〕

 わたしはギャビーの恋人、ブリスに協力を頼みました。
 ブリスは怖がりましたが、

「このままいくとギャビーがおまえの地位に居座ることになる」

 と脅すと、しごく協力的になりました。

 邸の図面を書かせ、使用人の数と勤務時間を聞き出し、セキュリティのシステムについても確認。

 ヴィラ内は安全という前提で作られていますので、それほど厳しいセキュリティは敷かれていません。

 ただし、厄介なのはわたしの発信機です。わたしのは、こいつが背中にあるのです。
手が届かん……。


11月14日 マシュー 〔犬・未出〕

 昨夜、わたしはくだんの家に侵入しました。

 セキュリティを切った上で壁を伝い、間男よろしく窓からの侵入です。

「おやじさん……」

 ベッドに縛り付けられたギャビーはひどい状態でした。

 夜目にも彼の皮膚が切り刻まれているのがわかります。垂れ流し状態で縛り付けられ、悪臭でむせるようでした。

「バカめ。立てるか」

 ギャビーはよたよたしていましたが、立ちました。

「あれが欲しかったんだ」

 見ると、ジョットの板絵がかけてありました。わたしはついでに貰っていこうかと、その絵を見ました。


11月15日 マシュー 〔犬・未出〕


 昨日の続きです。

 わたしは窓からギャビーを吊り下ろし、そのまま家までかついで帰りました。

 やつをベッドに放り込むと、くだんの家にとって返します。もう一度、同じルートで侵入し、今度はこの家の主人の寝室に入りました。

 寝ている主人を叩きおこし、腕をねじあげ、シーツに押し付けます。

「旦那。ワン公は貰って帰りますが、あんたは騒がないほうがよろしい。あのジョットは盗品だ。あれの正当な持ち主がヴィラにおりますんで、騒ぐと絵をなくすことになりますぜ」


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