2012年9月16日〜30日
9月16日  ライアン〔犬・未出〕

「早く帰ってこいよ。一人になるなよ」

 おれはくどいくらい注意した。タクは生返事してCFに行った。

 実のところ、おれがひとりになりたくなかった。ハスターティに見回りを頼んで以来、ピノが近所をうろつくことはなくなったが、怨念波が飛んでくるようで毎日落ち着かない。 鳥の羽音が聞こえても、ふりかえる始末である。

 気晴らしにおれがやっていたのは料理である。
 手作業はよかった。タクに夕飯を作ることだけが毎日の楽しみになっていた。

 だが、ついにその日、タクが帰らなかった。


9月17日 ライアン〔犬・未出〕

 ミートローフの脂が白く冷え固まっているのを見ながら、おれはいらいらとタクの帰りを待っていた。

(あのバカ、寄り道してやがる)

 電話が鳴った時も、タクの薄情さを恨んでいた。

「はい?」

『ライアン、おまえ何やってくれたんだ?!』

 電話の相手は主人のコリンだった。えらくご立腹だ。

「は?」

『今すぐ病院へいけ。タクが怪我をした』

 心臓が止まりそうになった。
 タクが? 怪我? 

 リムジンを呼んで、外に飛び出そうとした時、

「ライアン、いたのか」

 リーアムが走り寄ってきた。

「タクが」


9月18日 ライアン〔犬・未出〕

「タクの怪我はたいしたことない。そんなにパンチを食らってなかったと思う」

 リムジンのなかで、リーアムは興奮して話した。

 やはりタクは、ピノたちに襲われていた。屋上のカメラのない場所に呼び出されたらしい。

「おれも最初から見ていたわけじゃないんだ。でも、マラソンしてたやつが言うにはさ。すごかったらしい」

 おれは怒りのあまり泣きそうになっていた。なんてことをしてしまったんだ。こわかったろうに。なんで――。

 だが、リーアムは言った。

「化け物みたいに強かったって。タク」


9月19日 ライアン〔犬・未出〕

 涙が止まった。

「え?」

「いや、タクさ。すごいケンカ慣れしてるよ。あいつ」

 リーアムが駆けつけた時はすでに親衛隊のふたりが動けなくなっていた。

「タクがひとりの顎をスパンと蹴り上げてさ。すぐにその頭をつかんで、ヤシの幹に叩きつけてさ。その間、無表情。すんごいこわかった」

 全員をたたきのめした後、彼はピノに向かっていった。ピノはもう口も聞けない状態で震えていた。

「そしたらタクが低い声でさ。『あんた、もういい加減にしろよ』」


9月20日 ライアン〔犬・未出〕
 
 タクはポルタ・アルブスの待合室でぽつんと座っていた。頬にガーゼをつけ、拳に白い包帯を巻いていた。

 横顔はいつもの静かな無表情だ。
 静かだが、男の顔だった。

「タク」

 タクは見上げ、ちらと笑った。おれは隣に座った。

「迷惑かけてすまなかった」

「なんでもない。あんなの」

 彼は言葉少なに言い、また黙った。

 タクは後悔しているように見えた。やはり戦いたくなかったのだろう。

「すまなかった」

「ピノ、見舞ったほうがいいよ」

 タクは言った。

「ちゃんと、話聞いてやって」


9月21日 ライアン〔犬・未出〕

『いい加減にしろ』

 タクが凄んだ時、ピノは怒号した。発作のように叫び続け、そのまま失神してしまった。

 おれが病室を見舞うと、ピノは枕を抱きしめて泣いていた。

「ピノ」

 彼はむせび泣いていった。

「皆、なんでおれを好きになってくれないんだ」

 細い肩が震えていた。みなしごのように哀れだった。

「もっと、皆みたいに愛してほしいよ」

 おれは彼の肩を抱いた。ピノは腕の中でのたうつように泣いていた。

 いつもピノはノックしていた。叫んで、わめいて、愛がそこにあるのかたしかめていた。


9月22日 ライアン〔犬・未出〕

 主人のコリンが急遽帰ってきて、おれは散々叱られた。

 身の始末ができないならマウントは禁止だと。高校生に戻ったみたいで情けない。

 とはいえ、彼もピノの旦那とやりあわねばならなかったのだ。

 ピノの亭主は剣闘士犬4匹をやられ、カンカンだった。文句ぐらいはしかたない。

 しかし、ハサミを突き刺したライオンのぬいぐるみもあり、訴訟沙汰にはならなかったようだ。

 一方、ピノのほうは落ち着いた。見舞いにいったら、別の男が見舞いに来ていた。
 なんとジムのセクシーじいさんだ。


9月23日 ライアン〔犬・未出〕

「タク、おまえ何やってたの?」

 コリンが帰った後、おれはさっそくタクのベッドにもぐりこんだ。

 不思議な気がした。あの日の青火のような闘気をまとったタクと、これまでおれが見てきた男が同一人物なのか確かめたかった。

「スーパーで刺身切ってたよ」

「いや、格闘技とか」

 タクは眠そうに笑った。

「うちの学校荒れてたから」

 なんと、ストリートファイトで鍛えたらしい。

「あんまり言わないで」

 彼は目を閉じた。

「好きじゃないんだ。あの日はピノがナイフもってたから――。もう、やらない」


9月24日 ライアン〔犬・未出〕

 柔道のクラスを見に行くと、あいかわらずタクはコロコロ転がされている。

 手を抜いている具合には見えない。武道とケンカは違うのだろう。
 ただ、タクが楽しんで組み合っているのはわかる。

「タク」

 稽古を終えたタクを、おれは昼食に誘った。

「今日はおまえにスペシャルなものを食べさせたいんだ」

「へえ、お弁当?」

 そうじゃない。おれはレディをエスコートするように中庭に彼をいざなった。

 しばらくテーブルで待ち、準備が整うのを待つ。おれは彼に言った。

「ホットドッグを買ってきてくれ」


9月25日 ライアン〔犬・未出〕

 タクは鈍い目で見返した。

「売ってくれないと思うよ」

「売ってくれる」

 彼は困惑しつつも立ち上がった。売店の前に立ち、ホットドッグを注文する。

 オヤジは「うせな」と簡単に言い、次の男に注文を聞いた。

 男は黙っていた。中庭でパタン、パタンとテーブルが打ち鳴らされる。

 男はいきなりラップ調で歌いだした。

『きみの素晴しいホットドッグ。ここにいるのはみんなドッグ。ついているのは同じコック。くれよ彼にもステキなドッグ!』

 続いて別の男が立ち上がり歌いだす。


9月26日 ライアン〔犬・未出〕

『売れよおまえのドッグ! 売れよおまえはクック! 差別はよくないそいつはファック。ありとあらゆる歴史に戦争。森羅万象シャバのこと。ここじゃ尾を振る名のないワン公。外じゃ掘られるかわいいワン公』

 ホットドッグ屋のオヤジは口をあんぐり開いて中庭を見ていた。中庭から数人が立ち上がり歌いだしている。

『ここにいるやつ皆が見てる。おまえが豚かヒーローか。愛するおれらのホットドッグ屋。こいつは持ってるちゃんと勘定。みんな待ってるおまえの友情』。


9月27日 ライアン〔犬・未出〕

 タクは中庭を眺め、ぼんやりと立っていた。

『売れ、おまえのドッグ』にあわせて、みなが和した。示し合わせたやつ以外の人間も立ち上がり、拍子をとって歌っていた。

 中庭の全員がホットドッグ屋を見ていた。そして、静かに待った。

 ホットドッグ屋は憮然と立っていた。
 やがて、無愛想に言った。

「何本だ?」

 最初に歌った男がタクの肩を小突く。タクはわれに返り、

「四本」

 と答えた。

 船方の紙包みにオニオンをたっぷりのせたホットドッグが四つ、トレーに載せられた。 鋭い口笛と歓声があがった。


9月28日 ライアン〔犬・未出〕

 おれはホットドッグを100本追加して、皆にふるまった。中庭は祭りのように陽気だった。

 タクは頬をマスタードとケチャップでべたべたにしながら、ホットドッグを食べていた。

「うまいか」

 頬張りつつ、彼はうなずいた。

 ドキっとした。
 タクの目が赤かった。パンを噛みしめつつ、洟をすすっていた。

 はじめて、彼が感情を表したのを見た。
 おれは微笑んだ。もう退屈ではなかった。岩から染み出るように透明な愛情が湧くのを感じた。


9月29日 アキラ 〔ラインハルト〕

 先日、出戻りの姉ちゃんに手紙を書いた。

『こないだうなぎの蒲焼送ってくれてありがとう。ルイスにうな丼を作って食わせてやった。やつはウマイウマイとうれしそうにかっこんでた。

 でも、翌日別のやつに聞いたら、ルイスはそのちょっと前に客の招待受けて、腹いっぱいになってたみたいなんだ。そんなこと言わずにガツガツ食ってた。

 ういやつだろ? おれみたいなやつ三国一の果報者っていうの?』

 昨日、出戻り姉ちゃんから帰ってきた返事。

『爆発して、もげろ』


9月30日 アンディ 〔犬・フィルゲーム〕

 ロビンとマーケットで会った。今日は仲間と中庭でバーベキューなんだと。

 いいなあ。おれもたまにはそういう遊びしてみたい。ジルとビセンテにそれとなく言ってみたが、鼻で笑われただけだった。

 しかたがない。おれはひとりでキャンプ用シングルバーナーを買い、中庭でソーセージを炒めてみた。

「わびしいな」

「ホームレスみたい」

 ジルとビセンテがきて笑った。だが、その手には犬ビールと生肉を持っていた。

 三人でクスクス笑いながら中庭で肉を焼いてたべた。


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