2012年9月1日〜15日
9月1日 ライアン 〔犬・未出〕

 だが、ピノの『いい子』は三日と続かなかった。

 おれがほかのやつと話すと、すぐにまた雄鶏のようにわめきだし、殴ってきた。

 華奢とはいえ男の腕である。殴られると痛いし、腹がたつ。

「いい加減にしろ。おれを殴るなら、もう会わないぞ」

 こっちがわめくと、また悲劇的に泣き出し、とりすがって許しを乞う。

「おれを殺せよ。愛してくれないなら殺せ。もう生きていたくない」

 廊下にひっくりかえってわんわん泣く。まるでおもちゃ売り場の子どもである。ひとが見て笑うし、ほとほとこまった。


9月2日 ライアン 〔犬・未出〕

「ライアン。今度、うちに来なよ」

 チェスをしながら、ピノが機嫌よく言った。

「オヤジ、いないんだ。ベッドの上でやれるぜ」

「ダメでしょ。うちの旦那、外泊禁止」

「黙ってればわかんないさ。女の服着てやるよ。好きだろ」

 おれは滅入っていた。黙れといっても、彼は黙らない。

『ライアンはおれのものだ』と皆に宣言しているのだ。

 肩身が狭かった。チェスのクラスにいても、おれはほかのやつと試合できない。誰かと差し向かいでいるだけでピノが逆上するからだ。

(これは、考えなきゃいかんな)


9月3日 ライアン 〔犬・未出〕

 撤退しなきゃいかん。
 しかし、別れるなどと言ったら、ピノは発狂するだろう。

 おれはリーアムに相談した。

「ばーか」

 リーアムは開口一番言った。

「そんな都合のいいやついるか。やつは危ないから皆避けてたんだ。誰も相手にしやしないし、おれだって紹介したくないね」

 ピノとの別れをスムーズにするために、彼に新しいボーイフレンドをあてがおうと思った。

 顔の広いリーアムに相談したが、どうも容易ではない。

「皆、避けてたのか」

「そうだよ。だから、タクが心配してたんじゃないか」


9月4日 ライアン 〔犬・未出〕

 家でタクにきくと、彼は言いにくそうに明かした。

「女性ホルモン打ってるやつは、よく問題おこすから」

 やはり男が女性ホルモンを投与されたりすると、気分が安定しないらしく、派手な喧嘩をやらかしたり、自殺騒ぎを起こしたりするらしい。

 どうやら、おれは誰も省みない危険人物に寄り添っていたらしい。タクは遠慮がちに言った。

「困ってるなら、ご主人様に相談したほうがいいよ」

 さすがにそれはできない。いくら主人が浮気を容認してくれていても、その後始末まで頼めるものではない。


9月5日 ライアン 〔犬・未出〕

 しかし、事態は一刻の猶予もならなくなっていた。

 チェスのクラスに入ったら、でかい人間がふたり胸倉つかみあい、歯を剥いてすごんでいた。

「もう一度言ってみろ!」

「カイ、やめろ。手を出すな!」

 リーアムが片方の北欧人らしい大男を押さえている。北欧人はリーアムのボーイフレンドで、片方の巨漢はピノのボディガードだった。
 ピノはさげすむようにリーアムを睨んでいる。

 何があったか一目瞭然。ピノがリーアムにからみ、激昂したボーイフレンドが進み出た、の図だ。


9月6日 ライアン 〔犬・未出〕

「おまえらやめろ」

 おれが中に入ると、ピノがわめいた。

「こいつが先におれを殴ろうとしたんだ」

 北欧人が怒鳴る。

「おまえ、リーアムを侮辱した、殺す」

「おれの男に手を出しやがって!」

 やめなさい、とふたりを分けようとしたが、大男ふたりはキスせんばかりに貼りついて離れない。

 その時、シューっという音とともに白い煙が湧いた。視界を覆われて咳き込む。

 消火器だ。煙の中からフィルの静かな声が、

「そこまで。続きは廊下で」


9月7日 ライアン 〔犬・未出〕

 大男ふたりは真っ白になり、ようやく離れた。

 フィルは彼らを追い出し、仲間に掃除を頼んだ。

「ライアン」と呼ぶ声が冷たい。

「きみの不始末だな。ケリをつけろ」

(わかってるよ)

 おれは廊下に出た。ピノはまだリーアムに噛みついていた。リーアムはあきれつつ、怒れる恋人を手で抑えている。

「ピノ」

 おれは言った。

「リーアムにからむな。彼は関係ない」

「かばうのか! このビッチを」

 おれは言った。

「もう、耐えられない。ピノ、さよならだ」


9月8日 ライアン 〔犬・未出〕

 ピノは泣かなかった。蒼ざめたままおれを凝視していた。

「こいつが好きなのか」

 美しいと思っていた青い目が、人形のように狂気じみてこわかった。
 だが、言わなければ。

「関係ない。おれはきみと合わない。別のやつさがして、楽しく過ごしてくれ」

「ライアン、おれのこと好きだろ?」

 嫌いじゃない。だが、ここはビシッと切るのがやつのためだ。

「もう飽きた。うんざりだ」

 ピノはひっぱたかれたように立ち尽くした。
 やがて、言った。

「じゃ、おまえのチンポコ切り取って、おれにくれよ」


9月9日 ライアン 〔犬・未出〕
 
 ともかくも、おれはピノと別れた。

 陶芸クラスも辞め、チェスのほうもしばらく遠慮した。プールとジムで筋肉を鍛えた。

「ひとりかい?」

 ジムのヒマなじいさんが声をかけてくる。

「ひとりになりたくてね」

 男同士のおつきあいはもうこりごり。女相手でも。

「聞いてるよ。はげしいやつとつきあってるらしいね。あれはピュアな子だ。大事にしてやれ」

「もう別れたよ」

 なんでこんなとこまで知れ渡ってんだ。ムキムキのセクシーじいさんに聞こうとした時、陶芸の仲間が来た。

「ちょっと来てくれよ」


9月10日 ライアン 〔犬・未出〕

 陶芸クラスの床に、焼き物のカケラが散らばっていた。

「なんだこれ」

「タクの。全部やられてる」

「だれが――」

 と言いかけて、おれはゾッとした。
 ピノだ。

 まだ終わっていなかった。おれがタクといっしょにいるところを見て、怨念を燃やしていたのだ。

「ライアンは関係ない」

 タクはせっせとカケラを拾い集めた。だが、陶芸仲間は不快そうにおれを見ていた。

「わかった。タクに迷惑かけないようにするよ」

 そう言ったものの、おれは少しビビっていた。ピノは本格的におかしい。


9月11日 ライアン 〔犬・未出〕

 おれはドムスに引きこもるようになった。

 少々ほとぼりを冷ます作戦である。というのは言い訳で、男のヒステリーがこわくなっていた。

 女だって、浮気相手のペットをナベで煮たりする。ピノはなんと言ったか。

『あんたのちんぽこ、切り取ってくれ』

 ……少し、離れているに限る。

 おれはドムスでDVDを見て過ごした。すぐに飽きた。ヒマすぎる。一日が長い。

(やつと会わなきゃいいわけだから)

 どうにも退屈が我慢できなくなり、おれはドッグマーケットに買いものに出かけた。


9月12日 ライアン 〔犬・未出〕

(夕飯でもつくろうかな)

 食料品売り場をうろつきながら、おれはしおらしいことを思いついた。

 いつもタクの日本料理を相伴させてもらっている。たまにはアメリカ料理をご馳走してやろうではないか。

(きっとよろこぶぞ)

 鼻歌を歌いつつカートを押して肉コーナーに向かった時だった。

 缶詰の山の傍らに、見覚えのある巨人が立っていた。その男と目が合った瞬間、思い出した。

 ピノの護衛だ。
 剣闘士だ。

 おれはあわててカートをUターンさせた。しかし、通路の行く手にピノが立っていた。


9月13日 ライアン 〔犬・未出〕

(な、なぜいる……!)

 やつは恨みがましい目でおれを睨んでいた。

 おれはうろたえた。つけてきたのか。家をずっと張っていたのか。

 親衛隊は四人いたはずだ。やつらに囲まれたら、おれなど地面から浮きあがってしまう。

 終わりか、と思った時だった。紅茶の前に見たような男がいた。

「え、エリック! ここにいたのか」

 おれは走るようにカートを押して行った。
 エリックはおれを見ていぶかった。おれは小声で頼んだ。

「すまん。ちょっといっしょにいてくれ」
  

9月14日 ライアン 〔犬・未出〕

「ああ、あんた、タクのとこの」

 エリックはかろうじておれを覚えていた。おれは彼の隣にぴったり貼りついた。

「トラブルか」

「デカいのに囲まれそうなんだ」

「誰だ。話をつけてやるよ」

 それは遠慮したが、とりあえず助かった。

 彼は十勝した剣闘士犬だ。ピノの親衛隊は剣闘士犬でも十勝はしていまい。(十勝した犬はたいがい訓練士になるから)

 おれは幼児のようにエリックにくっついて歩いた。ピノは睨んでいたが、さすがについてこなかった。


9月15日 ライアン 〔犬・未出〕

 そのことがあってから、ドムスから出るのも恐ろしくなってしまった。

 しかし、ピノは家にまで押しかけてきたのである。ひっきりなしにドアホンが押される。おれはスイッチをオフにして、ソファの上でクッションを抱えていた。

 夕方、外から帰ってきたタクが手に何かを持っている。

「ポーチにおいてあったよ」

 ライアンへ、というラベルのついた袋の中にはライオンのぬいぐるみがあった。
 
 しかし、その尻にはハサミが突き刺さっていた。
 きゃー!


←2012年8月後半          目次          2012年9月後半⇒



Copyright(C) FUMI SUZUKA All Rights Reserved