2013年1月16日〜31日
1月16日  キャンベル 〔執事・未出〕

 わたしは目をしばたきました。

「預かる? 売り渡すじゃなくて?」

「売り渡すわけにはいかないだろう。ポールの会社が軌道にのったら、返さなきゃ」

「しかし、その方は犬を地下に売り飛したのでは」

「700万ドル必要だったんだ。でも、彼は犬を愛してるよ」

 不可解な理屈ですが、とりあえず

「では、なぜ、うちでその間預かってはいけないのです?」

 ご主人様は目を丸くされました。

「ぼくが飼うのはスジちがいだろう。ぼくは犬を飼う趣味なんかない」


1月17日 キャンベル 〔執事・未出〕
 
 そんなわけで強盗犬を預かることになりました。

「おまえが当家に滞在するのは一週間。来週の金曜日、フォンタナ様がお帰りになり次第、そちらへ移る」

 強盗犬は歯を剥きました。

「おれにまたよそのじじいのあれをしゃぶれってのか」

「それは心配ない。フォンタナ様はドムスのひとつにおまえを住まわせてくださるが、そこにはおいでにならない。おまえはひとりで住む。生活の世話は使用人がやってくれる」

 強盗犬は黙りましたが、少ししてぼそっとつぶやきました。

「ポールの家に戻りたい」


1月18日 キャンベル 〔執事・未出〕

 手のかかる犬でした。

 風呂に入れるだけで一苦労。言ってもきかないため、ペペとアクトーレスに力ずくでいれさせると、恐慌を起こしました。

「殺される! 助けて! 息ができない!」

 ずぶぬれになったアクトーレスに聞いたところ、水責めのトラウマがあるとのこと。こんな犬をよそのお宅に預けていいのか心配になります。

 夕食後は勝手にキッチンに入って食料を漁り、夜、寝室に放り込んだと思ったら、中庭にすべり落ちて庭木を破壊。さらに悲鳴。

「目が見えない!」


1月19日 キャンベル 〔執事・未出〕

「夜盲症ですな」

 往診にきた医者はそっけなく言いました。

「栄養失調です。すぐ治りますよ」

 医者は捻挫した足を治療し、シラミ駆除用のシャンプーを置いて帰りました。犬はまだグズグズ泣いています。ご主人様もさすがに呆れ、

「ドムスに帰ろうとしたのか。あそこはもう売却されてるぞ」

 犬はすすりあげました。

「まだ、新しい人入ってない」

「もう電気も水も止まってる。トイレの水も流れんぞ」

「……」

 犬は声をあげて泣き出しました。

「おれが作ったんだ、あの庭。なんで売っちゃうんだよう」


1月20日 キャンベル 〔執事・未出〕

 わたしは疲れ果て、ご主人様に言いました。

「これまでご主人様に何度となく犬を飼うよう勧めてまいりましたが、間違いでした。以後、不明を恥じて黙ることにします」

 その日、また医者を呼ぶハメになりました。

 犬の風呂で、ペペが殴られて額を切り、犬は指を骨折しました。

 さらに、わたしは結膜炎になりました。犬のいまいましい眼病が伝染ったのです。

「ご主人様、あの犬は成犬館に放り込んだほうがよかったのでは?」

 主人は「ポールはどうしてたんだろうな」とあいまいに笑うばかりでした。


1月21日 キャンベル 〔執事・未出〕

 翌日、ご主人様がわたしを外に呼び出しました。

「来てごらん」

 2ブロックも歩くと、小さなドムスに行き当たりました。

「ポールの家だ」

 門は開いており、中に入ることができました。すでに家具は取り払われ、がらんとしています。

 中庭に目をうつし、わたしは立ち止まりました。

 そこだけ別空間のようにやさしい色合いになっています。
 ピンク色の大きなタイルが敷かれ、ゆるやかな小道をなし、ブロックが詰まれた壁には壁泉がとりつけられていました。
 水は枯れていましたが。


1月22日 キャンベル 〔執事・未出〕

「ポールは可愛い庭が好きだっていうからさ」

 犬はサラダボールを抱えこみ、頬をふくらませて言いました。

「きれいなタイルを選んで貼ったんだ。あいつ、すげえ気に入ってくれて、自分も植木の鉢とか置いちゃってさ。でも、おれは花なんか育てられないから留守のとき困ったよ。水遣っても、水遣っても、枯れちゃってさ」

 水遣っても、遣っても、と長い睫毛を伏せ、またサラダをほおばりました。しばらくして、

「写真撮れないかな。あの庭、次のやつが壊しちゃうんだろ。ポールはこたえるぜ」


1月23日 キャンベル 〔執事・未出〕

 家令は丁寧ですが、撮影は許可できないと知らせてきました。

「ここはこの世にないはずの場所なのです」

 物的証拠があっては困るとのこと。主人に伝えると、彼はあごをさすり、しばらく考えこんでいました。

「アホくさ」

 ペペは苦りきっています。

「あんなキチガイ犬、親切にしてやるこたないですよ。やつの主人はやつがめんどいから捨てたんです。庭も犬も恋しいもんですか。今頃、ほかの可愛いやつと砂浜で砂の城でもつくって遊んでますよ」

 主人はハッとペペを見ました。

「それだ」


1月24日 キャンベル 〔執事・未出〕

 ご主人様はそれから日がな一日外出されるようになりました。

 一方、犬はといえば、オーブンのプディングを盗み食いしようとして火傷したり(なぜか頭に)、階段から転げ落ちて足首をひねったりしています。

 毎日、医者の往診があります。
 毎日、部屋の隅で泣いています。アクトーレスも呼ばねばなりません。

 ふくれっつらしている犬の顔を見ていると、犬なぞ飼うものではないとつくづく思います。
 
 なにも報いがありません。もし飼うなら、辛酸舐め尽している地下の子を買うべきです。


1月25日 キャンベル 〔執事・未出〕

 「ボロボロだねえ」

 フォンタナ氏は犬の姿を見て、あきれました。

 犬は右手にギプスをはめ、髪は丸坊主に剃って、ガーゼを貼り、両足にそれぞれ包帯を巻いています。マシになったのは目ぐらいでしょうか。

「おれ、あんたとは寝ないよ」

 犬は開口一番言いました。

「それから風呂も入らない」

 わたしは犬を睨みましたが、フォンタナ氏は笑い、

「そいつは容れられんな。おれは汚れを見ると残らず舐め取りたくなる性分なんだ」

 犬が歯を剥いた時、主人が割って入りました。

「渡したいものがある」


1月26日 キャンベル 〔執事・未出〕

 主人は自分の書斎についてくるよう言いました。

 書斎の真ん中に小さなテーブルが置かれています。

 そこにレゴブロックが積みあがっていました。

 犬が目を瞠いて立ち尽くしています。
 主人ははにかんで。

「急いでたから、庭しかできなかった」

 あの庭でした。ブロックの色も濃すぎるし、縮尺も少し変ですが、レンガを積んだ壁も壁水も、うねった小道も再現されていました。

 犬はギプスをはめた手でレゴに触れました。その途端、涙がボロボロと頬を滑り落ちました。


1月27日 キャンベル 〔執事・未出〕

 犬はおとなしく、フォンタナ氏について家を出ました。

 地下道の車まで見送ると、車から犬がわたしを見つめ、ちょこっと手を振りました。

 それだけでした。車が出てゆき、わたしはドムスに戻りました。

「礼のひとこともありませんでしたな」

 ぺぺはやれやれと笑いました。

「あいつの汚れ物や、部屋の片付けは明日にしましょうや。もうくたくたです」

 その背はなぜか元気がありませんでした。
 主人はと見ると、こちらも沈鬱に押し黙っています。

 わたしも家が妙に静かなことに気づきました。


1月28日 キャンベル 〔執事・未出〕

 犬が去って、三日たちました。

 犬の部屋は掃除して元通り。庭木も植え替えられました。

 家は平穏です。
 誰も叫ばず、誰も汚さず、おだやかに日が過ぎていきます。あまりのおだやかさに拍子抜けするほどです。

 ペペがついに笑っていいました。

「あいつはちゃんとやってるんでしょうかね」

「べつに問題もないだろう。通いのボーイはいるが、実質ひとりで住んでるんだ。これまでと同じだ」

「また泣いてんじゃないですかね」

「なぜ泣くんだ」

「……」

 ペペは庭をながめ、答えませんでした。


1月29日 キャンベル 〔執事・未出〕

 ペペより重症なのが、ご主人様です。
 ご主人様はあれからぼんやり宙を見ていることが多くなりました。

「我が家は!」

 わたしは笑いました。

「つまらんですな。男三人がただ喰って、寝て」

 そうね、と主人も嘆息しました。

「尼さんみたいに行儀のいい男たちだからな」

「犬をお飼いになっては」

 主人がじろりと睨みます。

「もう言わないと言ったぞ、きみは」

「あれよりおとなしい犬なら、耐えられるかもしれません」

 主人は答えず、憂鬱そうにため息をつきました。


1月30日 キャンベル 〔執事・未出〕

 ご主人様が上機嫌で帰っていらっしゃいました。

「きみ、カニス・フォルムって知ってるか」

「……」

 ご主人様はうれしそうに犬のレジャークラブの話をし、

「近所の犬はみんな、そこで遊んでいるらしいんだ。コスタにも会員権をとってやらなきゃ」

 コスタというのは、例の強盗犬です。わたしは野暮は言わず、

「手続きいたします。ご主人様は犬に知らせにいってはいかがでしょう」

「いく? わざわざ」

「はい、ついでに様子も見に」

 ご主人様は戸惑いましたが、口実に乗ることにしたようです。


1月31日 キャンベル 〔執事・未出〕

 ご主人様はいそいそと出て行かれました。

「思春期の坊やみたいですな」

 ペペがひやかしました。
 結局、そういうことのようです。あれから何度か、家令をつついて素性のいい犬を紹介させましたが、ご主人様はあの強盗犬以外欲しくなかったようです。

 そのくせ、ではコスタを引き取ればと申し上げてもグズグズ。
 ペペが口真似して、

「『あの子はポールが好きなんだ』」

 わたしも、

「『友人の犬に手をだすほど落ちぶれちゃいない』」

「そんな色男でしたかね」

 ふたりで笑っていると、病院から電話が入りました。


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