2015年3月1日〜15日 |
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3月1日 巴〔犬・未出〕 最近、毎日訓練がある。 エロ訓練ではない。 「お、おはようございます!」 高杉が入ってくると、真っ先に叫ぶ。発声訓練だ。 「そのまま二十回」 「おはようございます! おはようございます!」 何の宗教、という光景だが、けっこうマジメだ。 もうすぐおれは飼い主様と同居するのだ。 「いきなりフリートークは無理なんだから、挨拶だけでもきちんとしろ」 高杉の言葉はあいかわらず身もフタもない。 「覚えておけ。おまえの代わりはいるが、藤堂様の代わりはない。絶対売り戻されるな」 |
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3月2日 巴〔犬・未出〕 藤堂宅を見て、おれは胸の内で呟いた。 (まあ、なんということでしょう……) 古代ローマ風のお宅は魔改造されて、青だたみもすがすがしい日本家屋になっている。中庭に露天風呂まである。 「ここがきみの部屋」 藤堂氏が八畳ほどの部屋を見せてくれた。 畳の部屋だが、和風ベッドが置かれていた。本棚、オーディオ設備もある。ラックには数枚、ミク様のアルバムが入っていた。ちょっとうれしい。 高杉がぼそっと言った。 「引きこもるなよ」 「……」 「引きこもったら、兵隊送り込むからな」 「……」 |
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3月3日 巴〔犬・未出〕 高杉は帰り際までうるさかった。 藤堂氏の胸に指をつきつけるようにして、 「ふざけた態度とったら、必ず連絡してください。広場に引きずっていって、こいつに歌わせてやる。わかったな、巴! 冗談じゃないからな」 (わ、わかってます) ついうなずくと、「返事!」 おれはハイ!とわめいた。はい! サーイエッサー! はよ帰れ。 「じゃ、よろしくおねがいします」 にぎやかなやつがやっと去った。 (あ) にわかにおれは状況に気づいた。 他人とふたりきりになっていた。 |
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3月4日 巴〔犬・未出〕 (……) むかいあって飯を食いつつ、おれは気まずさに脂汗を流していた。 この部屋、テレビがない。音がない。 藤堂氏はよくしゃべるが、話が切れると、とたんに部屋が静まり返ってしまう。 おれが不遜にもスルーしたかのように、彼の話が浮き上がってしまう。 おれはやたらと箸を動かした。いたたまれなさで、何食っているかわからないが、とにかく絶えず食べ物で口をいっぱいにした。 (こうなるとおもったんだ) もう泣きそうだ。前のとこに帰りたい。でも、歌うのはイヤでござる。 |
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3月5日 巴〔犬・未出〕 気づまりな食事の後は、気づまりな風呂となった。 藤堂氏はおれに中庭の風呂を勧め、自分も入ってきた。 「もう少し時間がたつと、星がきれいなんだ」 藤堂氏はあいかわらずよくしゃべった。さっきよりはマシだ。暗いから。 それでも、おれのなかの焦りは去らない。なにか返事をするべきだ。なにか言わなくちゃいけない。ほ、星か。 ええと、ペテルギウス座ってもうないんですよね。 ……だからどうだって言うんだ。ふーん、でおわりだよ。 もっと気の効いた何か、何か、何か言わなくちゃ。 |
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3月6日 巴〔犬・未出〕 結局、藤堂氏は先にあがっていった。 おれは何も言えず、打ちのめされたまま風呂に残っていた。 こんなんで今後、どうなるのか。いっそ、ここで自害したほうが話が早いんじゃないか。 (なーんてね) 落ち込みはするが、行動はあらためない。 藤堂氏が去って、ようやく夜の庭の風流に気がついた。植え込みや照明がステキ。高級旅館の庭園みたいだ。 夜風がいい気持ち。本当に星がたくさんあった。 ふいに気づいた。 星なんか見るのは何年ぶりだ? |
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3月7日 巴〔犬・未出〕 高杉から電話があった。 『暮らしはどうだ。ちゃんと挨拶しているか』 おれはもにょもにょ言った。 挨拶は、していない。 その間がないのだ。藤堂のおとうさんは、朝から騒々しい。 「おきろ。おきろ。はやくはやく」 ひとを叩き起こし、まずは家中の掃除をさせる。畳はおろか、窓まで拭かせる。 その間、彼は台所に立ち、朝ごはんを作っている。 朝飯を食う間、彼はひとりしゃべりながら、ガハハと笑っている。時々何か聞かれるが、毎度答えそこなう。彼もせっかちで、すぐ話題を変えてしまう。 |
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3月8日 アキラ〔ラインハルト〕 巴がひきとられて一週間。 おれは藤堂氏に連絡してみた。 『彼なりにがんばってるよ。まだちょっと緊張してるがね』 話を聞いたが、全然がんばっていない。 挨拶どころか、半口もしゃべってないというのだ。 (あの野郎) もうズルけやがった。そういう、自分に甘い人種だった。 「少し脅しをかけますか」 『いやいや。そいつはいいさ。ただ、せっかく部屋作ったのに、ダンスの稽古しないんだよな。おれ、ちょっと留守したほうがいいかね?』 「……」 甘い。甘いですよ。藤堂さん。 |
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3月9日 アキラ〔ラインハルト〕 藤堂氏は思ったより犬バカのようだ。 愛情あふれる犬バカは、直人のように脚力のある人間はいいが、甘ったれはいっそう壊してしまう。 手のつけられないわがまま能無しができあがってしまう。 (まあ、おれの手を離れた以上、主人の好きにさせるしかないんだが) 引きこもりが、アフリカでまた引きこもるのかと思うと気が滅入る。 おれは巴に電話した。 「てめえ、ふざけんな。挨拶しろ。一日三回以上、自分から話しかけろ。努力しろ」 巴はしばし黙った後、言った。 『チャットでもいいですか?』 |
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3月10日 巴〔犬・未出〕 高杉に罵倒された。広島弁だ。 つい受話器をおいたら、とたんに電話が鳴り響いた。おれは立ち尽くした。 「どうしたんだい」 藤堂のおとうさんが、電話をとる。 「おお。高杉くんか。どうしたの」 彼が相手をしている間にそっとその場を去った。らっきー。 (実際、チャットはいいアイディアだと思うんだが) おれは思った。家にいる間も、ゲーム仲間とはチャットで話がはずんでいた。外国の子ともよく遊んだ。 (そういえば、ここのイントラにもゲームがあるって言ってたよな) |
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3月11日 巴〔犬・未出〕 この家の端末は玄関に近い廊下の小さな一角にある。 藤堂氏も先住のわんこさんもパソコンは電話程度の用にしか使っていなかったようで、椅子すら置いていない。 開けてみると、なかなか興味深かった。 広告メールのタイトルが、 『魅惑の中米犬入荷。カリブ海で育った小麦色の肌とひとなつこい黒い目があなたのものに』 エログッズのショップサイト。もちろんエロ動画配信。残念なことに全部男同士のからみだが。 生活の知恵、各国料理のレシピサイトもあった。そして、ネットゲーム。 |
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3月12日 巴〔犬・未出〕 ゲームは三種類しかなかった。 意外にアダルトゲームではなく、ふつうの剣と魔法。戦場FPS。国取りシミュレーションもの。 グラフィックはまあいける。システムはと調べていると、背後から 「何やってんだ」 おれはマサイ族のように飛び上がった。 藤堂氏が立っていた。 「ゲームか」 いや、あの。やっぱ、マズいですよね。ニートとゲーム。鬼に金棒のダメ加減ですよね。 「やりたい?」 藤堂氏の目にのぞきこまれ、おれはつい 「はい」 と言ってしまった。 「じゃ、おまえのアカウント作るか」 |
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3月13日 巴〔犬・未出〕 ――なにこのクソシステム。装備の素材集めからルーレットかよ。 ――じゃないと、みんなすぐ最高装備ができちゃうじゃん。金あるんだし。 ――しかも死ぬと持ち金減るとか! ゲームをはじめると、すぐによそのプレイヤーが話しかけてきた。 新参はめずらしいようだ。おれは通りすがりのプレイヤーからいろいろ教わった。キャラの特性。育成のコツ。 ついでに彼のギルドに入り、幾人かといっしょにダンジョンに冒険に行った。 ひさしぶりに楽しかった! |
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3月14日 巴〔犬・未出〕 ここの生活に楽しみがひとつできた。 午後、昼飯を食った後、おれは廊下に椅子をもってきてログイン。 仲間たちとチャットしながら、狩りと装備づくりに励む。オフの時間にたまっていたツッコミをここで存分に分かち合える。 彼らもやはり、無理やりここへ連れてこられた人間だ。わかって、笑ってくれる。 ――まあ、キツイ時はCFの世話役に相談しな。 彼らはみんなCFなるところの知り合いらしい。おれも誘われたが、そいつは丁重におことわりした。 |
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3月15日 アキラ〔ラインハルト〕 先日、偶然、藤堂氏と会った。巴の様子を聞くと、 「元気だよ。友だちも出来たようだ」 「ホントですか!」 よく聞いたら、ゲームの友だちだった。 (ゲーム、やらせたのか!) ひきこもりとゲーム。凶悪じゃないか。 あまつさえ、端末をダンス用の板の間に移してやったという。 「気がむいたらダンスも踊れるだろ」 「……」 おれは言葉をえらんで言った。 「心身の健康のためにも外で遊ばせてやっては」 「あの子がやりたいって言ったんだ」 彼はうれしそうに言った。 「はじめて、まともに返事したんだよ」 |
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