2015年 4月16日〜30日
4月16日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 グウィンはいきなりウォルフの胸倉を掴んだ。
 が、あっさり掴み返され、止められた。

(うちのボスは元アクトーレスなんだよね)

 グウィンは腕を振り払い、何ごとかわめいてドアを開けた。

「死ね。クソドイツ! 腐ったキャベツでも食ってろ、ナチの生き残りが――何見てんだ、てめえら。生きてるスターはめずらしいか。タダで見てんじゃねえ、目玉えぐりだすぞ。ゴミどもが」

 グウィンは激昂し、おれのデスクから紙コップを掴んで投げつけた。
 書類がコーヒーにまみれた。


4月17日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 どうやら、自分の事件のことでウォルフに捜査を頼もうとしたらしい。

「さすがにヴィラの外のことまで手に負えないだろ。ウォルフが断ったら、ヒスおこしてよ」

 客宅にむかう車のなかで、おれはジェリーにしゃべった。

「護民官に訴えるらしいぜ。護民官が折れると、またウォルフが怒るんだよな」

「なんだってんだ。ルークを撃って逃げ込んでんじゃないのか」

「そうじゃないみたいなんだよね」

 グウィンは無実だと言っている。容疑を晴らしたいから、ウォルフにベガスに来いということらしい。


4月18日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 ジェリーも笑った。

「むちゃくちゃだな」

 ウォルフは外では一般人だ。探偵ですらない。
 
 ただし、護民官府からミッレペダを通じ、外界の司法に割り込むことはたまにある。

「まあ、警察に任せればいいんじゃねえか」

「警察には嫌われてるから信用できないんだと。誰にだって嫌われるよ、あれじゃ――そう言や、あんたロス市警だったよね」

「よせよせ。やらねえよ。OBが首つっこむと現役は迷惑するんだ。おれにゃ、今の仕事がある」

 おれたちは『内密の相談』のため、ウェリントン家のドムスを訪れた。


4月19日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

「あんたがたは、ぼくを騙したよ」

 マルコム・ウェリントンは、イギリスの名家の出だ。
 ふっくらした童顔で、青い目は少女のように睫毛が長い。背こそ高いが、からだ全体にしまりがなく、色もなま白い。インドアの人間。
 絵を描いていて、そのパステルカラーの風景画は世界的に売れていた。

「あの犬には男の恋人がいた。ぼくがはじめてじゃなかった」

 彼の犬、ハルは特注――プレタポルテの犬だった。処女性が売りの高額商品だ。

「本当なら、ヴィラは詐欺をはたらいたことになりますな」


4月20日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 肛門に処女膜はない。だが、肛門性交をしているからだはわかるものだ。
 ジェリーは話をあわせた。

「どうしてそう思ったのか、お話しください」

「……」

 童顔マルコムは言いよどんだ。

「手段についてはオフレコにしてほしい」

 愛犬ハルは会計士だった。
 3年前、ヴィラに連れてこられた。容姿と性質の温和さから、プレタポルテの教育を受け、マルコムに買い取られた。

「彼は夢の犬だったよ」

 マルコムはためいきをついた。

「ハンサムだし、とても話題が広くて、話し上手なんだ。でも、自慢屋じゃない」


4月21日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

「賢いのにエラぶらない。いつもぼくをたててくれる。本物の紳士なんだよ。ただ、喘息があって、ちょっとからだは弱いけど――まあ、この三年、うまくやってきたと思ったんだ。一昨日までは」

「――」

「で、夢の話として聞いてほしいんだけどね」

 マルコムはやっと本題に入った。

「四日前に、ぼくはハルにあるものを託された。ある人物に渡してくれと。ヴィラの外の」

「!」


4月22日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 おれたちが言おうとするのをさえぎって、マルコムは続けた。

「ぼくは友人の結婚式に出るために、ロンドンに行くところだった。ハルはぼくにクマの人形を押しつけた。郵便でこの住所に送ってくれ、と。あて先はアメリカだ。彼の娘にだって言うんだ。8歳になるからって」

 マルコムは彼に娘がいたことを知らなかった。ショックだったが、

「でも、うれしくも思ったんだ。ぼくを信用してくれているんだって。バカだよな。ぼくはLAに行って、彼の娘に直接届けてやりたくなったんだ」

「……」


4月23日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 笑ったマルコムの目がうるんでいた。

「そう。ウソだった。8歳の女の子はいなかった。教えられた住所から出てきたのは、刺青したクールな若い男だったよ」

 ハルの告げたアメリカの住所は、自動車修理工場だった。少女など影も形もなかった。

 マルコムは一応、ハルの娘、サラ・オグデンについて尋ねたが、工場の男たちは知らなかった。
 ただ彼が車に戻ろうとすると、上半身裸の若い男が追ってきた。

「右手には鎖みたいな刺青がからまっててさ。サラ・オグデンがどうしたのか、って聞くのさ」


4月24日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕 

 童顔マルコムは洟をすすって言った。

「ぼくが友だちに言われて探しているだけだ、と言ったら、そいつが食いついてきて、それはハロルド・オグデンかって、目の色変えて」

 マルコムはおどろき、振り切って逃げた。男は車の窓にすがって最後まで叫んでいた。

「あれはただの友だちなんかじゃないよ。必死だった。絶対、彼を愛している」

「……」

「じゃなきゃ、ハルがうそをついてプレゼントを贈るわけがないしね」


4月25日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 ジェリーが憮然と言った。

「恋人じゃなくても、ウソをつくことはあるんですがね」

「――どんな」

「情報工作員」

 マルコムの白い顔がぼんやりした。

「まさか」

「ええ。まさかとは思いますがね。犬の外部接触はクラスAの危険行為なんですよ。CIAやSISじゃなくても、ヴィラの情報を手に入れたい組織はある。アメリカにはエクソダスという犬の救出団体もありますしね。ハルがもし、内部の情報を流そうとしていたら、――ウェリントンさん。あんたも厳しい罰を受けることになりますよ」


4月26日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 マルコムは目を落とした。

「……でも、あの男がハルの恋人じゃないなら、そのほうがマシだな」

 ジェリーは鼻息をついた。

「その、娘へのプレゼントとやらを出してください」

 マルコムはプレゼントは渡したが、犬には面談させなかった。

「ぼくが頼みたいのは、あの刺青の男が誰か知ることだ。ハルの恋人じゃないなら、それでいい」

「だからこそ、当人と」

「聞いたら終わりだよ!」

 マルコムは悲鳴をあげた。

「ぼくが疑っているとわかったら、彼はぼくに興ざめしてしまう――」


4月27日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 マルコムは、われわれに調査を依頼したものの、まだ愛犬と対立する決心はしていないらしい。
 はなはだ迷惑な態度だが、こういう客は少なくない。

「んじゃ、犬の部屋を見せてください」

 ジェリーは折れた。

「ただし、犬のスパイ行為が疑わしいとなれば、あんたの許可なく連行しますからな」

 犬の部屋は本が多かった。
 寝室というより書斎だ。壁一面が本棚。科学、医学、歴史学。新聞も数種購読している。

「これ」

 ジェリーが指差した。デスクになぜか新品のソーイングセットがあった。


4月28日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

「犬の買い物データを出してくれ」

 助手席のジェリーの顔はにぶかった。家捜しは不完全燃焼だったらしい。

「布っきれがねえ」

「布?」

「あそこの犬もあの新聞を読んでたんだ。ネバダの」

 脱獄犯。看守の制服を作って逃げた事件。

「もし、脱走を考えているんなら、刺青の男はそうした救出組織かもな」

「エクソダス?」

「いや――」

「あのさ」

 おれはやっと言った。

「もっと平凡に、ただの友だちじゃないの? 生きてるって伝えたかっただけ」

「だといいがな」

 ジェリーの顔は晴れなかった。


4月29日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 娘へのプレゼントは、布製のクマ人形だ。
 布製のギターを抱えており、そこにピンクの糸で『ラブソング・フォーユー』の刺繍が入っている。プラスチックの透明カップに入れられ、赤いリボンの花がつけられていた。

 おれはヤヌスの分析室にクマ人形の分析を頼んだ。分析係は言った。

「ひらくのはいいが、縫い合わせるのはごめんだぞ」

「いいよ。縫わなくて」

 同じものがCFのバスグッズ店で手に入る。
 それに8歳の娘はいないのだ。彼女は6年前に死んでいた。


4月30日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 ジェリーは言った。

「ハルの娘、サラは六年前に自動車事故で死んでいた。母子ともに」

 娘はいなかった。ハルの嘘は確定した――。

「ハルはそのショックで、一時期、精神病院に入院していたらしい」

 おれは彼を見返した。

「もしかして、娘が死んだことを忘れてたり?」

「それなら、整備工場から出てきた刺青の男はなんだ。あいつはハルを知っていた」

「そうか。――息子は」

「いない」

 ジェリーは言った。

「いま、ミッレペダが血眼で刺青を捜している。まもなくどこの馬の骨かわかるだろ」


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