2015年4月1日〜15日
4月1日  巴〔犬・未出〕

 ふたたび平和が訪れた。
 藤堂のおっちゃんはもう誰かと食事しろとは言わない。

「ただ、自炊はしてくれよな。出前だけとっていると心が枯れるから」

 昼など料理の仕方を教えてくれる。簡単なことだ。
 最初は声がデカすぎて苦手だったが、気にならなくなっていた。

 アルからもよくおっちゃんの話を聞く。

 ――最初はミハイルも彼が嫌いで、来るとぶすっとしてた。でも、ナオがとりなしてね。藤堂サン、ナオの命の恩人なんだって。無神経なところもあるけど、すごくあったかい人なんだってさ。


4月2日 巴〔犬・未出〕

 おっちゃんがあったかい人というのは、おれもわかる気がする。
 
 彼はバカではない。バカではないのに、こんなに無礼で能無しのおれを蹴り出さないのだから、やはりあったかい大器の人なんだろう。

 それに、とアルは教えた。

 ――トモエが来て、彼は若返ったよ。前みたいに元気でうるさくなった。ちょっと前は輪郭がぼやけてたんだよね。病気になりはしないかと心配してたんだ。

 アルの言葉はやさしい。こんなおれでもひとのお役に立ってるのかしら、とほんのりうれしくなる。


4月3日 巴〔犬・未出〕

 今日の午後、おっちゃんは自家用機で日本に帰る。お仕事だそうだ。

「何かあったら、高杉くんに言うんだぞ。あれは信用できる男だ。電話切ったことなんか、怒ってないから」

 おれはみそ汁を吹きそうになった。
 野郎、ツゲ口してんじゃねーか。

 おっちゃんは今日はいつにも増してせわしない。
 高い着物の前についたごはんつぶをそっと教えると、お弁当とはしゃぐ。箸がころがってもはしゃぐ。娘か。

 その後、彼は居間で高杉に電話して、おれのことを頼んでいた。
 その声を聞き、おれはギクリとした。


4月4日 アキラ〔ラインハルト〕

 藤堂氏から電話があった。
 日本にいる間、巴をよろしく頼むということだった。

「期間はどれぐらいですか」

「あー、だいたい……」

 おれは聞き返した。なんと言ったかよくわからなかった。

「じゃあね。すぐ帰ってきたいが、家で……」

 電波が悪いのかよく聞こえない。
 すぐにセッションに入らなければならなかったため、もう聞き返さなかった。

 要は巴の生存確認だ。
 全然その必要はないと思われる。あれはもともとひとりだった。 ひとりになって、お祭り騒ぎしているにちがいない。


4月5日 アキラ〔ラインハルト〕

 夕方、ようやくセッションを終えて、電話を見た。
 着信を見ておどろいた。

 巴から十件以上メールが着ている。

(ボイメにしろって言ってるのに)

 ところが、ボイスメールにも入っていた。

『すぐ電話してください』

『もうすぐ出かけてしまいます。早く、おねがいします』

 メールのほうのタイトルも緊急だ。おれは見て、ぎょっとした。

 ――藤堂さんにTIAらしき発作が出ています。脳梗塞かもしれない。すぐ病院につれていってください。


4月6日 巴〔犬・未出〕

 高杉は全然電話に出ない。

(あいつ、根にもってるのか!)

 こんな大変な時に。

 おっちゃんの異常は間違いない。
 この育ちのよさげな人が口から飯粒をこぼしたり、箸をとり落とすところからおかしかった。
 電話で話す声ではっきりした。

 ろれつがまわっていなかった。

(このまま飛行機に乗ったら大変なことになる)

 脳梗塞は症状が出たら、即治療しなければならない。遅れれば遅れるほど、後遺症が深刻になる。

 だが、彼を止める言葉が出ない。この後におよんで、おれは気後れしているのだ。


4月7日  巴〔犬・未出〕

(間違いだったら……!)

 8割方間違いないが、まだその2割がおそろしい。
 飛行機の予定を止めて、間違いだったじゃ、やさしいおっちゃんもさすがに怒るだろう。

(こんな時におれがおふざけキャラだったら!)

 バカげた考えだが、真剣にそう思った。おふざけキャラだったら、間違いも笑いごとで済むのに! 

「じゃあな。いい子にしてるんだよ」

 おっちゃんは出て行く。高杉から電話はない。

(間違いだ。きっと)

 間違いの二割だ。ただの空騒ぎ。
 注意など、おれには出すぎたことだ。


4月8日 巴〔犬・未出〕

 だが、おっちゃんがふりかえった。
 ニコニコと手を振った。

 その時、なにかエネルギーの塊が頭をガツンと打った。

 いやだ、と思った。
 この、ひとのいいおじさんを寝たきりにしてしまうのはいやだ。

 おれのせいで。おれがいま間違いたくないせいで。それだけ。たったそれだけ! 
 
 もういやだ。もうこの怪物みたいな臆病に喰われていく人生はいやだ。

 おっちゃんが怪訝そうに見ていた。おれは挙動不審。ぶっ倒れそうだ。
 だが、言った。

「びょういんに、いって、ください。脳梗塞の、検査、して」


4月9日 アキラ〔ラインハルト〕

 病室に駆け込むと、藤堂氏はすでに目を覚ましていた。
 医者は言った。

「彼はとてもラッキーだった」

 早い段階の処置ができた。脳へのダメージも少ない。後遺症はほぼ残らないだろう、という。

 巴はベッドのわきに座っていた。あいかわらず陰気に、長い背を丸めてうつむいている。
 藤堂氏がおれをみて、目元に微笑を浮かべた。

「巴がたすけてくれた」

 酸素チューブを貼り付けた口で、誇らしげに言った。

「いい子に来てもらったよ」


4月10日 アキラ〔ラインハルト〕

 藤堂氏はそれほど長く入院せずに済んだ。
 十日ほど様子を見て、無事日本に帰国した。

 おれは一日一回、巴に連絡を入れている。

『異常ないです』

「晩飯、何食ったんだ」

『ごはんとほうれん草のみそしると卵焼き』

「またかよ」

 巴はあいかわらずゲームだけの生活をしているようだ。

「せっかく部屋があるのに踊らないのか」

『それなんですけど、なんで知ってんですか? 前のあの部屋、カメラありました?』

「ないよ。四つしか」

『ぬあああ』

 おれは笑った。巴の声は以前よりはっきり聞こえている。


4月11日 セイレーン〔わんごはん〕

 花で満開の日本に行ってきました。

 この季節の日本は大好き。何度行っても、満開のサクラには心を打たれます。
 花もきれいだけど、サクラの下にいるご主人様も好きなのです。

 花びらが舞い落ちる中たたずむご主人様は、いつもより素敵に見えるのです。とてもサクラが似合う。肌の色も目も、あの湿った土地の色彩によく似合う。

 民族衣装、着てほしいです。刀も差してほしい。
 あとフロシキも持って欲しい。そこにはノリマキを入れてほしい。


4月12日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 新米のキートンがまたジェリーに叱られている。

「おまえはそもそも怠慢なんだ。ふだん、くだらねえミステリばっか読んでいるから、頭がかたよっちまうんだよ」

 犬が軍服を自作し、ハスターティのふりをして、よその家にあがりこんでいた。
 キートンは犬の部屋にミシンがあるのを見ながら、それに気づかなかった。

「ミステリだって役に立ちますよ!」

 キートンはむくれて、

「おれは経験がない。だから、犯罪トリックに精通し」

「その前に新聞でも読みやがれ」

 ジェリーは彼の前に新聞を叩きつけた。


4月13日 ペドロ〔護民官府職員・未出〕

「これのマネだ。ひと月前のネバダの脱獄事件。こっそり看守の服を作ってた! 犬は新聞を読んでいるんだ。ここにゃオリエント急行は走ってねえんだよ!」

「じじいめ」

 キートンはまだブツブツ言っている。

「新聞なんか読むヒマあるかよ。だいたい何カ国分読めってんだ」

「脱獄とか、紛争とか、犬の関心を集めそうな記事だけチェックしておくんだよ」

 言いつつ、おれも端末でこっそりその記事を確認した。だが、キートンは芸能記事を読んでいる。

「フリークスター、グウィン自殺か?」


4月14日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

「キートン」

「いや、グウィンてうちの客でしょ。ルーク・ノーマンを撃ったって」

「?」

 ハリウッドスターのグウィン・バーロウもルーク・ノーマンもヴィラの客だ。

「『グウィン任意聴取に出頭せず。失踪』」

「いつ? ルークは死んだのか」

「ルークは生きてる。弾はそばにいたボディガードに当たったらしい。事件は先週の月曜だってさ」

 その時、背後からのぞきこむ人影に気づいた。

「おまえら、ヒマだな。仕事ねえのか?」

 狂えるスターがそこにいた。


4月15日  ペドロ〔護民官府職員・未出〕

 おれたちはガラスばりのデクリオンオフィスを盗み見ていた。

 グウィンがウォルフに何か訴えている。
 たしかにスターだ。どんな瞬間も彼だけ背景から浮き出ている。気むずかしげな憂い顔に百年の物語がある。

「『任務をしくじった。もうシャバにはいられない』」

 野次馬キートンがアテレコする。

「『組織はおれをつけまわしている。おまえにこのデータを預けておく。あの子にはおれは死んだといえ』――おっと」

 キートンは口をつぐんだ。グウィンが荒々しく立ち上がった。


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