秘密の犬―Parentalia(死者のための祭り) vol.2 


 案の定、勝手に排泄したことでプラエトルは立腹し、私に罰を与えた。
 苦痛を伴う体位で拘束され、金属球をつないだ一本鞭を使われた。
 皮膚が裂け、筋肉を傷つけ、失禁し、脱糞し、嘔吐した。吐しゃ物がつまって気道をふさぎ、一瞬この世に別れを告げかけたが、すぐに蘇生された。次は何度も水をのまされ、吐き、胃を洗われてから再び責めが始まった。今度は喉に詰まらせることはなかった。
鞭の後は電気を使われ、何度も失神した。最後は針責めだった。亀頭とアヌスに針を突き立てられ、絶叫した。いつ開放されたかは覚えていない。

 今も背中に、腹に、ペニスやアヌスにも残る痛みはじくじくと私を苦しめたが、思ったよりはひどくなかった。まったくもってプラエトルの腕は素晴らしい。
 やっと寝返りができる大きさのケージは傷んだ身体にはつらかったが、耐えられないほどではなかった。狭い空間は懐かしく、不思議と心が落ち着いた。

 長い間、私はケージで夜を過ごした。ヴィラの巧妙に張り巡らされた罠に私は囚われ、プラエトルの犬となった。甘やかされた子供であり、主人であった私への調教は過酷だったが、私は姦計に怒りを覚え、祖先から受け継いだ抵抗の精神を持って執拗に服従を拒んでいた。

 その日、私は何かの薬を投与されて声を奪われ、視力を奪われ、拘束され、しばらく放置されていた。数日はたっていただろう。
 栄養剤を静脈から投与され、食事は与えられなかった。生きていくに充分なカロリーが取れている、と注射に来た医療スタッフは言っていた。
 アヌスにはシリンジが差し込まれ、ゆっくりと湯が注ぎこまれて腸内を循環していた。
 その機械はすでに見知ったものだった。シリンジの根元からはチューブが二つ、太いものと細いものにわかれて伸び、細いほうから湯が注がれ、腸内の圧力が高まると自動的に細いチューブは弁でふさがれ、太いほうのチューブが開き、腸から溢れるものを吸出し、排泄する。苦痛はほとんどない。時折、排便時の痛みがゆるく襲うだけだ。
 ペニスにはカテーテルが差し込まれ、意識しないうちに尿は出て行く。
私は暗闇の中で、心細さと恐怖に脅えていた。目をどれほど見開いてもあるのは暗闇だけだった。助けを呼ぼうとしても、喉が僅かに震えるだけだった。
 目じりを涙が伝うのを感じた。苦しい、と私は思った。世界の中で私は一人ぼっちだった。誰かに私を感じてほしかった。何かを私は感じたかった。それは痛みでもよかった。
 不意にひやりとした感触が乳首に触れ、そして次の瞬間、私は声のないまま、叫んだ。
 プレゼントだよ、私の大事な仔犬。
 プラエトルは私の小さな乳首に始めての針を施し、拘束を解きながら言った。
 私は痺れた腕をまわしてプラエトルに抱きついて泣き出した。主人は私を抱きしめてくれた。体温に触れた途端、私は喜びに震えた。
 私は泣きじゃくりながら言った。ご主人さま。ご主人さま。
 主人になら痛みを与えられても構わない、快感ならなおのことだ。
 声を取り戻していたことに気がついたのは、主人がシリンジをはずし、乱暴に私に押し入り吐精してからだった。
 私は娼婦のように声をあげていた。ああ、いい、もっと、もっと、と。
 

 調教が進むとケージは大きくなり、身体を充分伸ばして眠れるようになった。最初はペットシーツが与えられた。トイレはそこでするよう命じられ、私は片付けてもらうために主人に哀れっぽく鳴いて頼んだ。やがてリネンのシーツが与えられ、それは毛布になり、柔らかなクッションも追加され、トイレは外に置かれた。
 今では寝室が与えられ、セルにいる犬たちと同じ程度の自由が与えられていた。時には、奉仕の後、主人のベッドで共に寝ることさえ許された。

 それは破格の扱いだ、と彼は言った。プラエトルは秘密の犬にも、他の犬にも決して甘い扱いはしない、と。

 彼ー私の情人、褐色の肌の美しいアクトーレスは、プラエトルの留守中に私のベッドに入り込み、私を自由に扱った。私は彼の女だった。彼の思うままに振る舞い、仕えた。彼への奉仕は喜びだったー主人に対するものとは、もっと別の。

「彼はあなたに夢中なんですよ」
 アクトーレス・ファビアンは、面白くなさそうに言った。そして、続けた。
「彼は、最高の調教師、あるいは最高の主人と言えるでしょう。そして、彼はどんな犬に対しても特別な感情は持たなない」
 あなたが来るまではね、とファビアンは言う。
「こうして私があなたと過ごせるのも、プラエトルのあなたへの愛情の現われですよ」
茶番だった。これも調教の一環にすぎない。自分がいかにも特別な存在のように思い込ませてコントロールする。我侭で高慢な仔犬には時として有効だ。ファビアンの私への愛情もまた然り。

 ファビアンは夜になるとこっそりやってきて私を抱く。そのことはヴィラ中の人間が知っている。主人は、私に残酷な飴を与えるのだーたとえ主人の意によるものとわかっていても、私はファビアンの手を欲している。ファビアンは私の癒しであり、心の平安だった。その存在自体もそうだったし、彼は外界とのパイプ役でもあった。

 主人に何かを問うことは許されなかった。しかし、最初の調教が終わるとー外界から遮断して行う、犬としての自覚を促す調教だーファビアンは様々なことを私に知らせた。外界のこと、ヴィラのこと、私の置かれている奇妙な立場のこと。

 私は犬だったが、客でもあった。私は秘密の遊びのために、人に知られていない資産を持っていた。それらは今ヴィラの管理の下にあり、巧妙に運営されていた。

 私は束縛を嫌った。何ヶ月も居場所を知らせぬまま、知人の前から姿を消すことも多かった。誰も私の音信普通を問題にすることはないだろう。
 しかし、さすがに、あまり長引くとまずいかもしれない。けれども、ヴィラにより、あたかも私が使っているかのように偽装された記録は、奇特な誰かが思い立って調査を始めたとしても、馬鹿息子の放蕩が長びいていると考えられるに違いない。
 それほどに私の今までの生活は愚かだった。
 また、このまま私が行方不明になっても、一族は直接彼らに災厄が降りかからない限り 何もしないだろう。放蕩息子の帰還を彼らは待つことはない。
 一族の財産のほとんどは、祖先が興した運営用の法人が運営し管理している。私がいなくなればせいぜい他の人間の取り分が多少増えるだけだ。

 そして、私を救うために傭兵団が結成されることもなく、それに対抗するためにハスターティーが出動することもなく、今に至っている。ヴィラはまったく頭が良い。

 ファビアンの話の中で一番心を動かされたのは私の犬たちのことだった。
 調教権だけを取ってドムス・レガリスで待たせていた犬、買い取って町に住まわせていた犬、私はまだ複数の犬を持っていた。
 私はすでにヴィラでの遊びに飽きていたが、それでもまだ未練があった。私の人生の中で最も充実した日々をヴィラが与えてくれたからだ。
 残っていた犬たちはカウンセリングを受け、あるものは解放され、あるものは他の主人に預けられたという。

 ひどい主人にはあたっていないのだろうね、と私が問うと、ファビアンは微笑んだ。
大丈夫ですよーあなたと同じくらいに優しい主人に与えられました、と答え、私はうつむいて唇を噛んだ。
 私は決して優しい主人ではなかった。もちろん、眉をひそめるほど残酷な主人でもなかったが。
 まだヴィラに残っている犬もいますよ、とファビアンはなんでもないことのように続けた。私はファビアンの悪戯な手に翻弄され、聞いてはいなかった。

 ヴィラに残っている犬の様子はすぐに知れた。彼は主人の遊びに必要だったのだ。その犬は素直で淫らで美しく、忍耐強くひどい責めにも黙って耐え、長い間私のお気にいりの犬だった。

 その犬は、プラエトルの足元に蹲る私を見て、目を瞠り、混乱し、やがて、怒りにかられた。私は犬の目の前でカテーテルを入れられ、尿を漏らし、アヌスプラグをはずされて排便した。
 プラエトルに促され、犬のペニスに奉仕し、そして犬は命じられた通りに私をむごく犯した。私は犬に犯される屈辱に涙を流し、暴れて悲鳴をあげた。
 その様子はいたくプラエトルのお気に召したらしい。
 犬はそのままプラエトルに買い取られ、私への陵辱は続けられた。
やがてその犬は、調教の真似事もするようになった。プラエトルの指導のもと、その腕はめきめきと上達した。隠されていた才能が目覚めたらしい。とんだ神の恩寵だ。
 犬による調教と陵辱は私の心の何かを少しずつ壊していった。私は私の預かり知らぬところで、心の奥底で、まだヴィラの主人だったのだ。
 そんな矜持は今の私には必要がなかった。そして、もちろんそのことを知らしめるために、プラエトルは私の犬に私を躾けさせたのだった。




 段々と高まる欲求に、私は呻いた。
 疼く股間に目をこらすと、革の貞操帯がペニスをきつく戒め、尿道にはプリンス・ワンズと呼ばれる棒が差し込んである。中が空洞ではないタイプだ。はずさない限り排尿はできない。ワンズは、リングを亀頭にひっかけて固定されていた。冷えた金属が亀頭を刺激し、私はため息をついた。両手は自由だったが、拘束具をはずすことは許されない。
 尿意は激しくなる一方だった。利尿薬を飲まされたのかもしれない。
 口枷はつけられていなかったが、大声で誰かを呼ぶことは憚られた。犬の無駄吠えや要求吠えをプラエトルは嫌った。それを破った時には厳しい仕置きが待っていた。私にできることは、ただ待つことだけだ。
 それでも、主人は犬を壊すことを好まなかった。膀胱が破裂する前に、誰かが訪れてくれるだろう。そう思い、私は目を瞑った。再び過去の記憶が私の眼前に広がる。今度は近い過去が。とても近い。




 私はツン、とする異臭を放つ水溜りに転がっていた。覚醒する間際に思った何かを、私は思い出すことができず、ぼんやりと男たちを見つめた。
 鞭とパドルと電流が、耐えることなく私の肉体を襲った。この責めはもう何時間も行われていたが、私は服従を示すことを頑強に抵抗していた。
 業を煮やした使用人により、先ほどまで水責めが行われていた。苦しさのあまり失禁した私を見ても、主人は顔色も変えなかった。

 しかし、私の中にある、祖父たちのそのまた祖父たちの血が私を支えた。苦痛に耐えることは美徳だった。そんなことを、私はこの人生で思ったことは一度もなかったけれど、皮肉なものだ。

 何が原因で服従を求められたのかは思い出せなかった。けれども、どうしても許しを請う言葉は出てこなかった。
 ぜいぜいと息をする私を、使用人は無理やり立ち上がらせると、天井から伸びる鎖につないだ。吊り上げられることはなく、ばんざいをしたまま座るような形になった私の両足を今度は床にはめ込まれた輪に繋いだ。
 涙と鼻水に汚れてうつむく私の顔をぐい、ともちあげると、主人はためらうことなく口づけ、私は驚いて眼を見開いた。主人は笑っていた。
 不意に主人の影が離れ、使用人が現れた。太い鉄の棒のようなものを持っていた。それは躊躇なく振り下ろされた。私の脛に、まっすぐに。
 悲鳴は声にならなかった。暴力は何度も続けられ、主人は優しく私に語りかけた。
エピクテトスの故事に倣ったのだが、気に入ったか?賢い仔犬、学者の言葉で主人を罵り、満足だったか?
 そこでやっと私は思い出した。エピクテトス、古代ローマの解放奴隷にして学者。奴隷時代に主人と問答し、不服従の罰で足を砕かれた。私は彼の残した言葉で不服従を主人に告げたのだ。もちろんラテン語で。そして私は意識を失った。


「ああ、きれいに治っていますね」
 ファビアンは、医療チームから手にいれてきた私のレントゲン写真を見ると、私の足を触って満足そうに頷いた。
「難しいのですよ、こういう折り方は。素晴らしい技術です」
 私の足は骨を粉々にされることなく、折れていた。手術の必要もなく、痛みも少なかった。
 完治後は、傷跡は残らず、運動機能にも影響はないと言われていたが、最初の骨折が治癒する頃に、今度は別の足をやられた。それが治癒する前に右腕、そして左腕に鉄槌は振り下ろされた。腕が終わると、もう一度足に戻り、最初とは別の箇所を傷つけられた。
 五ヶ所目の骨折が治癒する前に、私は服従した。身も心もすべて、私の主人のものになることを神と祖先に誓い、主人の足に口づけ、清めた。

 骨折は私の中の意気地を完全にくじいた。それは、原始的な恐怖だった。ためらいもなく私の足を砕いたその手は、私をやはりためらいもなくもっと残酷な苦痛で苛むだろう。私の優秀な頭脳は、彼らの行動を分析し、判断し、予測し、脅えた。


「あなたは頭が良いですからね、効果的な調教ですよ」とファビアンは言った。
「あくまで調教の一環ですよ、恐怖も苦痛も、効果的に使うだけで、その成果は倍増しますが、それだけのことですーあなたもヴィラの主人だったのですから、よくおわかりでしょう?」
 けれども、どれほど言葉を尽くして説明されても、私の砕かれた理性は、それが調教技術の一つだ、と受け止めることはできなかった。
 私が本当の意味で屈服し、犬となったのは、おそらくその時だったのだ。恐れて震える私に、ファビアンはそれ以上何も言わなかった。ただ、愛しげに頭をなで、そして乱暴に髪を掴み、股間に押し付けた。
「私を満足させなさい、仔犬」
 ファビアンはアクトーレスの顔になって命じた。
「プラエトルの秘密の犬は、いつまでも仔犬です。成犬審査には出さないですからね。だから、あなたは永遠に調教されるー終わりはないのですよ」

 ファビアンは残酷な主人として私を扱い、貶め、泣かせ、そして、朝の訪れる前に去っていった。
 最後に、疲弊しきった私を優しく抱きしめ、流れ続ける涙をぬぐって言った。
 素敵でしたよ、フレッド。あなたはもうこの狂った町でしか生きられない。それとも、もう一度オークションに出ますか?よく躾けられたあなたは、どこまで値段を上げるでしょう?ああ、震えないで。怖かったのですね。あなたにはオークションは耐えられない。わかっていますよ。この町で生き抜くためには、主人によく仕え、常に良い犬でいることです。私を悲しませないで、愛しい人。そう、私にとってあなたは犬ではない。あなたはプラエトルの仔犬、ヴィラの主人たちに仕える淫らな仔犬ですけれど、私にとっては唯一の恋人なのです‥忘れないで。

 私はケージに戻され、与えられた毛布にくるまって泣いた。ファビアンを思い、惨めな自分を思い、これからの犬としての日々を思い、脅え、同時に、体の奥に熱く疼くものを感じた。その淫らで厭わしい自分こそが恐怖だった。




 記憶は私を苦しめ、癒し、そして現実がやってくる。
「目が覚めたのか、仔犬」
 ドアが開き、光の中に見知った声がした。主人ープラエトルではない。
アンリ、と私は声に出さずにつぶやいた。かつての私の犬。今は私の主人たちの一人だ。今日の世話係は彼らしい。

 


←第1話へ         第3話へ⇒




Copyright(C) 2006-7 FUMI SUZUKA All Rights Reserved