狂気 ― にぎやかな戦場にて ―  第4話

 彼の殺した少年は扮装した少年兵である、と後に分かった。
最も、その情報さえ彼の精神を蝕むことはあっても癒すことはしなかった訳だが。



 彼の変化は緩慢であった。
最初は、何のことはない。 時折、記憶が曖昧になる。
そして段々そんな部分が多く、長くなっていく。
情緒は不安定気味、感情的になる頻度も多くなっていった。
それでも皆、それを戦争故の軽い副作用と混濁してしまった。 
そのうち、些細な事でも暴力を振るい、暴れだす。
例えば兵隊の首を締めるおふざけ、射撃訓練の軽い銃声、血生臭い話題、ケチャップの赤。
彼には、全てご法度となった。

 
「PTSD?」
隊員らの幾人かが、聞き慣れぬ単語に眉をひそめた。
「判りやすく言うならトラウマだ。」
それを見て取ったか、隊長が諭すように解説した。
「何があったかは知らないが、あの病気が発作を起こすとまるで」
二重人格障害のように、という言葉を隊長は飲み込んだ。
罪悪感云々からではない、語弊を招くと感じたのだ。
「…まるで人が変わったかのように情緒不安定になる。」
あぁ、と合点がいったかのような声が兵たちの間から漏れる。
同時、彼らの好奇心が動いたのが、嫌でも感じられた。
「ところで、報告書がまだ集まっていないようだが。」
その好奇心を遮るように隊長が問うと、案の定、兵士達の好奇心はそれ以上動く事無く、代わりに困惑した表情が居心地悪そうに彼らの間を彷徨った。
思わず隊長が舌打ちをこらえたのは、言うまでもない。
やれやれ、だ。
毒を込めて、隊長は解散を命じた。

 もたもたと最後の兵が去ったのは、それから長針が45度近くも傾いた後だった。
――質問は朝礼で。
先に言ったはずなのだが。
思ってようやく私は一息、いや、溜息を吐いた。
――馬鹿共…。
兵士達を軽視しているわけではない。しかし、それは自然と溜息とともに吐き出された。
 予感はあった。
あの時、彼が一人で外出し、かえって来た時、妙な不安定さを感じたのは確かだ。
泣きたいのに、恐怖が勝って泣けない子供のような顔をしていた。
 キャリアを誇る気はないが、同僚、部下、果ては上司にも、このような輩はいた。
だからだ、そんな彼らが、どんなに厄介かも知っている。
――帰還させねば。
 そう思うが、だるくて書類を書く気にもなれない。
…書類。  
 それを兵士等のあの顔と共に思い出した途端、隊長の苛つきは最高潮に達した。
しょうがない、と荒ぶる意識に言い聞かせる。
 あいつ等は全くといっていい程戦争経験も、それに対する知識もない。
おまけにようやっと思春期から抜け出たばかりの坊や達。
統率がないのは仕方ない。 不謹慎な好奇心を動かすのも、また然りだ。
予想は出来ていたはずだろう、後できついお仕置きを加えてやればいい(例えば腹が壊れるまで腹筋とか。)、
ここで感情的になったら舐められるだけだ、と。
 そう考えると幾分波は落ち着いた。
溜息を吐く。 今度は何かを達成した時のような、安堵にも似た気持ちで。途端、坊やが数人慌てた様子で転がり込んできた。
―――馬鹿共!
今度こそ、私は口に出してしまいそうになり、何とかそれを押さえつけた。
「休め。」
「それどころじゃないです隊長!!」
ノックなし、しかも転がり込んできたという不遜さを見逃したというのに。
いかなる時も命令に従え、こう言ったのはそんなに前の事だったか。
「休め。」
少し声を低くし、もう一度。 次はないぞ、と言外にも。
慌てている坊や達にもそれは通じたのか、更に慌てて従う。
そうそうそれでいい。
「なんだ」
だ、の母音も終わらせぬうち、せっつくように真ん中の坊や(よく見れば、質問の為残っていたあの坊やだった)が叫んだ。
「エリックが!!」
…充分に状況は把握できた。




 今日はやけに静かだ。
静まり返っている部屋を見渡し、ぼくは班員に聞こえないくらいの溜息を漏らした。
やっと何処かに行っていた彼らを迎えられたは良いが、先ほどからずっとこの調子だ。
居心地が悪くて仕方がない。 はっきり言って今すぐにでも外に飛び出したい心境だが、外出許可時間はとうに過ぎている。
上から来いとでも言われれば話は別なのだが、悲しいかな、そんな気配は微塵もない。
 誰でも良いから何か言ってはくれまいか。 このままでは圧迫死してしまう。
自分から口火を切る勇気もなく、ぼくは、ただ目下の本に視線を注ぐ事に専念した。
首がだんだんと痛みを伴ってきた、その時。
「おい。」
と、とうとう一人が、部屋のほとんどを埋めている二段ベッドから声をかけてきた。
ほっとしたのは言うまでもない。
しかし、安堵感と共に振り返ると今度はやけに怖い目と対峙してしまい、ぞっとする羽目になった。
いや、見回すと他の班員も皆、同様の目でこちらを見ている。
疑問と事の唐突さに、一瞬混乱した。
その一瞬は彼らにとって、充分な時間だったらしい。
 突然視界が暗転した。
仰天すると同時、肢体を押さえつけられる感覚に思わず悲鳴が漏れた。
「静かにしろ。」
押し殺した声が頭に響く。 更にパニックに陥るのは容易な事だった。
舌打ちのような音を聞いた気がした。
口の中にごわごわしたものが押し込まれる、息が詰まるが、むせる事も出来ない。
反射的に絶叫したのだと思う。 それは、意味不明な雑音に変換されて、大半が喉にとんぼ返りしてきた。
助けを呼ぶ叫びも、抗う力も、ぼくには出せない。
 そうして為す術がないと知るや、急激に力が抜けた。
混乱と恐怖、それが体と脳の連携を遮断してしまったのだろう。
「ほらな。」
なにがほらな、なのだろう。
思うのと、薄ぼんやりと視界が開けてきたのはほぼ同時だった。
トリックが氷解した。 どうやら、単に電灯を消して混乱した所を押さえつけられただけらしい。
 人型の一つがまた、口を開いた。
「じゃあやっぱ仮病ってことかよ。」
ぼくは思わず目を瞬かせた。 仮病? 誰が? 何の?
「ふざけた真似しやがって。」
「さぞ気持ちよかっただろうなぁ、好き放題出来て。」
「悔しかったらあん時みたく暴れてみろよ。」
最後の方の悪口雑言は新たに生まれた強い感情にかき消されていた。
身に覚えのない言葉に、混乱にも似た疑問と、恐怖が頭を支配する。
最初に思い当たった事と言えば、単なる誤解や人違いの可能性あたりだ。
 ただただ目を白黒させていると、突然、ぼくの視界が90度ほど傾いた。
反応のないぼくに業を煮やした誰かが引っ叩いたらしい。
殴られたそこは全身に冷気を伝え、熱を帯びる。
 もはや恐怖心にあらかた支配された頭での抵抗は絶望的で、そのぼくに出来ることといえば目をしつこいくらい瞬かせ、加害者情報を見極める事ぐらいだった。
「どうするんだよ。」
「痕残ったら不味いよなぁ。」
「考えてなかったのかよ…」
「なわけねぇだろ。」
右手を持っている誰かが動くのがわかった。
おぉ、と驚きとも感嘆ともつかぬ声が続く。
目だけを動かしてそれをみる。 元々痛いくらい見開いていたので、更に乾いた痛みがそこを刺激した。
 そうまでして見ることもなかったかもしれない。 っと言うか見なければ良かった。
円柱状の、先端に針を持つそれを見極めると同時、どっと嫌な汗が吹き出るのがわかった。
―――麻薬…?
大麻かマリファナか、はたまたもっと性質の悪い物質か。
ともかく、ぼくを壊してしまいかねないモノという事は明白だった。
 そんなぼくの内心の焦りを知ってか知らずか、無慈悲にそれは注射される。
からかうような口笛も合いの手に入った。
 腕から、脳へ、異変が全身に行き渡るのに、そう時間はかからなかった。
よく聞かれる体の浮くような感覚は見受けられなかったが、妙に気持ちが高ぶってくる。
ただでさえ息苦しいのに、上がってくる息が猿轡を湿らせ、更に息苦しさを増す。
―――窒息死してしまう!
馬鹿らしいと思うだろうが、ぼくはその時、本気でそう思った。
必死で生きた縛めを解こうとしても、体力が消耗するだけだった。

 と、誰かの手が、ぼくの手を滑ったのがわかった。
あぁ!と今度は確かに驚きの声が響く。
「馬鹿野郎!どう言い訳する気だ!」
「だ、だってこいつが暴れるから…」
かっかと火照っている脳にも、その静かな喧騒は聞こえた。
なにがおこった。
ぼくは、もう一度、目を瞬かせる。
誰かの手の中の、鋭利な金属片。 
それは、ぼくの内容物を付着させて、てらてらと光っていた。
果たして、鮮やか。
 鮮やかな、ぼくの、血、が、妙に映えて見えた。
あ…。
あぁ。あああ。ああああああぁあぁ。
ぼくの、叫び、頭に、響く。

めのまえに、かれが、いる(彼がいる!!)

ちがう。
違う、違う、ちがうぅ、『正当防衛』だったんだ!!
  ほんとうに、そうか?
あの目は、本当に、黒いだけだったか? 
あの子供は、壊れていたか?

まよいをおびていなかったか。
ゆるしをこうていなかったか。
ぼくは、
ぼくは…


『もうおそいよ』

少年は白い歯を見せる

  『人殺し。』



ぶちん。




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