狂気 ― にぎやかな戦場にて ―  第6話

「たすけて。」
たすけて。
「なんで、だれも、」
はやくだしてくれ。
「……こないのか、なぁ…。」
はやくはやくはやく
「……。」
…。


「なんでだよおおぉぉおおぉお!!!」

がんがんがんがんがんがんがん

「だせ! だせよおい! だせよだせだしてだしてだしてはやくはやく!!!」

がんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがんがん
がんがんがんがんがんがんがんがんがん

「…あ…。」
 ずるずる
「だして、くれよ…」
なんで、なんで、ぼくが
くるしい、たすけて
暗くて、怖い
闇くて、恐い
クラクテ、コワイ

「このままじゃ、『ぼく』が…」

ぼくは、


がちゃ、り


……

 入って来たのは中尉だった。(彼に面識は無いが)
誰だ、と彼が問う前に中尉は彼の拘束具に手をかけた。
「敵だ、爆撃機、地上は、駄目、水路がある、撤退だ。」
まるで懸命に単語を並べる外国人のように、事務的に告げられる。
彼は急展開に目を回すと同時、爆音を聞いた。
本当なのだ、と回らない頭が告げる。
 がちゃがちゃという音を聞くともなしに聞いていた彼は、ふと、中尉がずっとこちらを見ていたのに気がついた。
器用にも、視界に入れていないにも関わらず魔法のように縛めは解けていく。
 やけに、視線が痛かった。
『睨まれている』
 
気づくのが遅かったようだ。


 ぱしゃぱしゃと水音が跳ねる。
灯りが無いくせに彼は思うさま、真っ直ぐに走れた。
 いや、走らざるをえなかった。
後ろを向く余裕も無く、彼は背後からの恐怖に突き動かされるように走り続けた。
永遠に走り続けるのかと思っていたが、当たり前の如く終着点はあった。
反射的に、足を止める、上を見上げる、光、だ。

 爆音はもうやんでいた。
しかし、敵のうろついていない保証は無い。
いや、そんな悠長な事を言っている場面でもなかった、こうしてる間にも、確実に相手は歩を進めているのだ。 
そう思うと、やはり背後から恐怖が押し寄せてくるようで、彼は慌てて、しかしそろそろと梯子へと手を伸ばした。
いつ出来たのか、錆びて老朽化したそれは、体を預けるには心もとなかった。
二、三度引き、異常が無いと確認し、それでも負担を軽くする為かゆっくりとした動きで彼はそれにしがみついた。 
一段、一段、やはりスローモーにあがる。
さっと顔に光が当たると、彼はさながら蛙のように腰を丸め、手足を曲げて地上をそおっと見た。


 砂漠だった。
硝煙と爆煙、転がる死体、砂まみれの地上。
もはや生の気配は、果たして、そこに『生』があったのか疑われるほど
根こそぎ奪われていた。
ぐるりと視線を動かす。
動く物といえば風になびく死体の服や、砂埃くらいだった。
地上へとあがるが、土は踏めない、踏んだのは、砂だ。
ぐるり、と見渡す。
全て、荒廃している。
砂漠だ。

 軍靴が梯子を鳴らす音を聞いた。
呆然としながら、後ろを振り向く。
いやに、頭が冷えていた。
地下から、ゆっくりと、姿が出てきた。
銃口はこっちを真っ直ぐ見ている。
黒っぽい瞳がこちらを見据える。
「良い機会と思わないか?」
絶対的優位を確信しているのだろう、余裕な表情を崩さずに口を開く。
むかついたが、なにか言えば殺されることは容易に想像でき、結果彼は口を閉ざしていた。
「お前が調子に乗るから悪いんだよ。」
何にだ、何に。
「どう言い寄ったのかは知らないが、これ以上あの人に近付くんじゃない。」
本当に何を言ってるんだ?
全く話が掴めない。 こいつがぼくを憎んでいるということ意外は。
「跪けよ。そうすれば一発で終わらせてやる。」
 あぁ、と思わず空を仰いだ。
どうやら、何も言わなくても少し寿命が延びるだけのようだ。
舌打ちが聞こえた。
「はやくしろ!」
かなり興奮している、ヒステリックな感情がそいつの音感を完全に壊していた。
何はともあれ、こんな狂った理論で殺される気は無い。
「はやく、」
皆まで聞く必要はない。 内心は冷汗をかき、それでも決断も実行も早かった。 足で砂を思いっきりかいて蹴ると、そいつはわっと声を上げて飛び退る。
それを好機に、後も見ず駆け出した。
「待てぇぇ!!」
同時、到底従えない命令と銃声が背中に覆い被さる。

右足が、ずくりと痛んだ気がした。


 食事もその日与えられていなかった彼のスタミナは、すぐに限界点に達した。
―――逃げ切れたのだろうか。
追いかけては来てないが、あいつならその辺から湧いて出て来ても可笑しくないように思えてしまう。
空腹には慣れたが、喉がひりつくほど乾いている。
それは息の通るたび、ざらざらした不快感をもたらす。
そのくせ汗は驚くくらい服をぐしょぐしょにするのだ。
そして、右足が痛む。 逃亡中あいつがつけたヒステリーの爪痕だ。 歩く感覚が早くも怪しくなっている。
目に砂が入り、何もしてないはずの手も痺れて、
それでも、彼は止まることを許されなかった。

 足が、重い、見下げると、砂が絡みつくように足を埋めていた。
確かめた途端、突っかかったように体が沈んだ。
目は瞑った、が、気管に砂が溜まった。 咳き込むことで更に砂が侵入する。
足がやっと白旗を揚げた。 思い出したかのように、血で地をしとどに濡らす。
口元が砂だらけだが、唾を吐く力も出せない。
止まってしまうともう、身体は微動だにしなかった。
ぐったりとしたまま、彼は目を閉じる。
彼の『生』も、この砂漠に奪われてしまうのだ。と。


「エリック。」
…………。
「エリック・フォスター。」

黒い、砂まみれのブーツが目に入った。
ゆるゆると、首をわずかに傾げて視界をずらす。
最初に見えたのは、真っ白な肌、砂色の髪、そしてこちらを、こちらを射抜く、
              碧眼。

ブーツが、顎に器用に滑り込む。
そのまま上を向かされる、首が痛んだ。
水塊が顔にかかって、意識はやっと彼に帰還した。
ぱちぱちと瞬きを繰り返して瞼の水滴を落とすと、隊長の手が、こちらに伸びた。
途端に口に何か滑り込んだ。 反射的に吐き出しかけたが、指(形の良い、すらりとした真っ白な!)がそれを許してくれず、どっちつかずで混乱した喉から戻す時特有の音がなる。
溜息を聞いた。
「食べるんだ。 安心しろ、危ないものではない。」
聞いて、考える前に、咀嚼していた。
味はよくわからない。 食感で肉かと感じたくらいだ。
飲み下したと同時に、顔を掴まれる。 端正な顔が近付いてきた(!)。
「生きろ。 命令だ。」

 少しの水、と少しの(多分さっきと同じ)肉。 
それを確認したのは隊長が去ってどのくらいのことだろうか。
過度の疲労、はたまた暑さの所為か、見るだけで吐きそうだったがそうも言ってられないのも、重々承知していた。
無理矢理咀嚼し、飲み込んだはずなのに、存外、それは美味だった。
『生きろ』という命令が、まだ頭に響いている。
―――…そうだ。
彼はまさに、彼の『唯一神』から生きることを許可されたのである。
こうなったらいきてやる。
なにがなんでもいきてやる。
畜生、ぜったい、いきてやる。
何かが吹っ切れた。


……

 点々と散らばる血を見て、右足の限界を、思う。
銃創は痛みを呼び、
痛みは熱を呼び、
熱は、死を呼ぶ。
…このままでは、まず間違いなくこの足はお荷物になるだろう。
実際、右足は既に膝まで感覚を無くしている。
―――だとすれば…
彼は、急に歩を止めた。
右足を『捨てる』覚悟ができた訳である。
恐怖が迷いを見せ、死ぬよりはマシだと叱責した。
それでも、無駄なことを期待しながら傷を見やる。
期待を裏切ったが、やはり小さな穴が穿たれていた。
それを見た途端、思わず感情が湧きあがった。
それは穿った中尉に対する怒りであり、このようにしか対処できない自分への憤りであり、また、右足を失った後の自分の嗚咽でもあった。
 震えつつある手をかけると、存外、痛みは慣れたそれと大差なかった。
幾度か押して状態を見る。 弾は貫通していたが、酷使の所為か筋が弛緩し、骨は半壊している。
―――ナイフで充分。
幸い常に携帯しているものがある。 監禁中にも、これは無事だったようだ。
一呼吸おいて、自ら、皮を裂く。 手が本格的に震え、手を滑らせないか、気が気でなかった。
血がまた、滲む。
しまった。あわてた。
無茶苦茶に迷彩色のズボンで足をきつく縛る。
危ない、危うく失血死する所だった。 多少は冷静な人間で良かったとも思いながら、息を整える。 心を静める。
ほんの少しだけ傷つけただけなのに、傷は大怪我のそこより、じくじくと疼いている。
 彼の世界は、思うさま矛盾していた。
目を大きく見開く。 一気に憎き、穿たれた穴へと、ナイフを。 
耳の横の風が裂かれた。 その時、
 かぜが、ふいた


 彼は、自分の目にしている光景が信じられなかった。
映画や小説に出せば、間違いなくブーイングの嵐が起こる展開運びだと思った。
が、彼の目にしたヘリは、見紛うはずも無い、彼が母国のものだった。


ヘリの爆音を聞きながら、彼は九死に一生を得た右足を見る。
幸運すぎることに、ヘリには医療班も添乗しており、それはプロの手によって適切な処置を施されていた。 
筋はまだ、やや弛緩しているが、感覚はほぼ戻ってきている。
「切る前に見つけられて良かった。」
前の操縦士が快活にそう笑った。
 実のところ、彼はまだこの事態をリアルに受け止められていなかった。
ヘリの者らが、広大な砂漠の中、自分を見つけたことも、ぼくを敵と見てくれなかったことも、こんなにも手厚い看護を受けていることも、全てが出来すぎていて、全てうそんこのように思えてしまう。
それに、強風にふと振り返ってヘリを発見なんて――…何てドラマティックな。
いやいや、今更ベタなドラマだって、こんな露骨な表現はしないだろう。
しかも
「休戦になったといっても、事実上は終戦ですからね。
 基地に戻ればすぐ、国の帰還命令も出ると思いますよ。」
果たしてどういうことか。
…頭がくらくらしてきた。
終戦? 国の帰還? 
どうも、人間求めていたものを、あまりに唐突に目前へおかれるとかえって戸惑ってしまうようだ。
―――ばかな。 ぼくは隊から脱出する時にだって爆音を聞いてたんだぞ。
そう反論すると、お名前は、と場違いな質問。
憮然と、それでも名を告げると、兵士は紙の束を弄くりながらこう答えたのだ。
―――貴方が隊襲撃直後に脱出したのなら、もうそれから五日経っていますよ。
がつん、と頭を殴られた気がした。
馬鹿な、ならぼくは五日間ずっと歩んでいたというのか。
しかし…考えてみれば、一日こっきりにしては、あまりに濃厚すぎたような気もする。
記憶も曖昧模糊極まりなく、更に考えると朝には日の出、昼には日の出、夜にも何故だか日の出、夕方にも勿論のこと日の出―…あぁ、あまりに滑稽な記憶だった。
その間に、――兵の話によると――上の方は人員も財力もお互い底をつきかけていることを原因に、今までの仲違いも赤面するほどあっさりと和解してしまったらしい。 
あえて休戦としたのは恐らく体面の為だろう、と。 
酷いもんですね、と操縦士が初めて暗い声を出した。
「結局おれ達は、ただお偉いさんの手のひらでせっせと転がってただけなんですから。」
馬鹿にするのも大概にしやがれ、と操縦士は素面に戻って呟く。
ヘリには、他に二、三人ほど同乗していたが、たしなめる者はいなかった。
それは彼は勿論、このヘリ内の、否、戦争に巻き込まれた者全ての叫びなのだから。

こうして、数え切れない程の命と、そして『ぼく』を蝕んだ戦いは終結する。
あっけなく。
そのあっけなさが、皆、悔しかった。


……全てのものに、意味があるとするならば。
母の死は、閉塞空間は、砂まみれの隊長は、狂ったあいつの理論は。 あの爆音爆撃、降りかかる血糊、残酷な子供遊び、悪意に満ちた大人アソビ、オムライスとケチャップ、真っ赤な果実、…残った爪痕!
     ―――…そして、この戦争の中の、ぼく
何のために、あったのだろう。


ふと、窓越しに下を見やった。
そこは、砂漠である。
荒廃している。
     砂漠だ。
第一印象だった。
今も、やはりそこは、「砂漠」だった。

『生』は根こそぎ奪われ
もはや戦いさえなく
じっと あの物売りの死体を、兵士等の死体を、
    そして、いまだ彷徨っている死体を、

「じっと」    殺しつづけていた。



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