狂気 ― にぎやかな戦場にて ―  第7話


 まだ敵の罠かもしれないと警戒はしていたが、ぼくは無事基地へと辿りつくことが出来た。
隊員全員が歓迎してくれたわけではないが。
シフトら四班班員は気まずそうにこちらを見て、一言も喋らなかったし、
あの狂った理論の男はすれ違いざま舌打ちまでしてきた。
「運の良い」、憎々しげに、目が言っていた。

 ある時はっと気づいたのだ。
いくら隊舎を彷徨っていても、あの人に会わないのだ。
それを誰かに言うのは、怖かった。
その途端、硬直する顔が容易に想像できたからだ。
基地に帰って初めての召集がかけられた時も、姿は見えなかった。
その代わりに!なんとあの狂った理論の男が隊長の役を務めていた。
呆然と喋っているそいつを見る。 
あの人は、どこに行ってしまったのだ。
何よりもぼくがお礼を言いたい人なのに。
一体、何処に…
いったい
「解散!!」
はっと顔を上げる。
やつが部屋から出て行くのが見えた。
手が、足が、勝手にそいつを捕まえた。
驚いたような顔を見せているが、わかる、こいつは予想した上で捕まったに違いないのだ。
こいつも、ぼくとの問題を解決したがっていたのだ。
否。そんな事より、ぼくは聞くべきことがあるのだ。
「あ…」
声を出そうとすると、意外に乾いていた喉が邪魔をした。
無理に唾を飲んで、
「た、」
隊長は。
言った言葉は、震えていなかったろうか。
そいつの目の色が変わったのがわかった。
ばきっ、という音が頭に響いた。 襟首を引っつかまれ、更に殴打が振ってくる。
反射的にその手を掴む、かえった首を戻してそいつを見据えた。
中尉!と諌める声が聞こえた。 成るほど、彼は中尉だったから代役を務めていたのか。
中尉の目は、更に憎々しげに燃えていた。 彼も、理不尽に対抗する目で迎える。
そうなるともう、彼等に周りの喧騒は聞こえなくなっていた。
「お…。」
「…やっぱり、隊長は」
「お前だけ、何で…」
「隊長は、」
「あの人を呼ぶな!! 薄汚いその口で!!!」
「いるのかいないのか!」
「お前だけなんでのうのうと生きていられる!!」
「しょうがないだろう! あの人が許したんだ!!!」
途端に失言した為、事実にやり込められた為、二人共がぐっと詰まった。
沈黙が二人を止める代わりに、中尉の襟首を掴んだ手と、彼の手首を掴んだ指に力がこもる。
周りのものも皆、その無言の攻防を固唾を飲んで遠巻きに見ていた。
(いや実際全く話がつかめないから手が出せないのであろう)
丁度、部屋に駆け込んできた守衛のみは別に。
約二名以外の注目の的になったことに多少怯みつつも、聡明な守衛は報告を怠らなかった。
「・・・・た、隊長が! たった今帰還されたと!」
我先にと若干名が駆け出したのは、言うまでもないか。


「…二人だけに、してくれ。」
しばらく一人でいたい、と言う隊長を説き伏せ入室した中尉と彼、それから護衛などの幾人かの兵は、ろくに情報交換もさせられずこの言葉を浴びせられた。
 やはり、隊長は憔悴していた。 椅子に掛けられている上着は砂埃にまみれ、日に焼けたのか、傷を付けたのか、赤くなった肌が所々見えた。 ただ、腕に三つほど生々しく、大きな傷があり、それには全員目を引かれた。目は重そうに閉じられ、乾ききった唇が痛むのか、これまた乾いた舌で、しきりと舐めている。
「ふたり?」
隊長と、あと一人。 その狭き門に弾かれる中に、彼はいなかった。
「たい」
「解散。」
椅子に座し、まだ目を瞑ったまま、質問に命令を覆わせる。
兵士等は慌ててそれに従うが、中尉はただ、拳を震わせていた。
もはや中尉のそれは、憤りを超えていた。 母を取られた赤子の如く、嫉妬の感情もあらわに荒々しい開閉音を部屋に響かせていった。
荒々しい足音も消えて、そこでようやく隊長は、あの碧眼を開いたわけである。


 隊長の部屋から、はじけるような笑い声が上がった。
抑揚がなく、連続的で、奇妙さが一層引き立つ。
それに気づいても、兵士等は困惑して扉の前をうろうろするだけだった。
とうとう隊長自ら彼を担いで出てくるまでは。
笑い声の主は、やはり彼で、少なくとも可笑しくて笑っている訳ではないことは明白だった。
きいきい奇声じみた声をあげ、隊長の肩の上で統一性なく手足をばたばたさせている。
「医療班を!」
兵士に、無造作に彼を渡しながら叫ぶ。
「あと救急箱!!」
よく見ると、彼を捕まえた時のものだろうか、隊長に無数の引っかき傷や痣が点在していた。
くすくすと、まだ彼は笑っている。
隊長は、一瞬悲しそうにそれを見た。




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