狂気 ― にぎやかな戦場にて ―  第8話

―――うそだ。
彼は、シフトの時より、中尉の時よりも、狼狽し、また恐怖した。

嘘だと思っているだろう。
隊長の声が響かない。 妙に遠くへ聞こえる。
「しかしお前は遅かれ早かれ戦後にこのことを疑問に持ったろう。
 そして、私のあずかり知らぬところで、本当のことを知ったかもしれない。
 それよりかはいくらかましだろう。 責める相手が目の前にいる。
 …信じられないという顔をしているな。
 …私はああして生きてきた。 何時からか…は、もう忘れたが。
 正当化できるか出来ないかは、私にも分からん。 
 だからこそ、出来たのかもしれないが。」

 足元がふらついた。
どんなに言われようとも、ぼくがさせられた事は変わらない。
何故この人はこんなに飄々としているのか、思わず後ずさる。
不思議だ、砂漠のときより口が渇いているように思える。
隊長の話を反すうし、思わず嘔吐しそうになった。
酸っぱい物を堪えつつ、声は勝手に叫んでいた。
「それじゃあ」
それじゃあ
「それじゃあぼくは『けもの』と一緒だ!!」
「そうだな。」
かえってきた答えは、ぼくの頭を一層かき乱す。 恐怖ではない、怒りでだ。
首がちりりと痛んだ。 何時かの夜が思い出される。
あの時、この人は、まるで、犬のように…
背筋にさぁっと嫌なものが走る。
あの時だけでなく、あの時もあの時もあの時も、この人は、けものの行いをしていたかというのか。
何故こんなに平然としている。
わからない。
わからない。
鼻孔が動く。
醜い獣の体臭を嗅いだ気がした。
このひとは、そのにおいに、まみれている。 なぜきづかなかったのだろう。
ぼくからも、微かに、その臭いが…
だめだ、ぼくも、汚染されていく、けものに、けだものになってしまう。

・・・・あいつのせいで!!!

勝手に手が飛んでいた。
隊長は避けようともせず、甘んじてそれを受けた。
その時、きぃぃん、と金属音が響いた。 思わず彼の動きが止まる。 そして、仰天した。
ないのだ。 隊長の、あの碧眼があるはずの左眼には、赤黒い穴しか残っていなかった。
対称的に隊長は何事もなかったかのようにそれを拾い上げる。
―――義眼…?
再び入れる気はないらしい、それを手で弄びながら隊長は口を開いた。
「気は、すんだか?」
もう一つの目は自前だろう、それがこちらを射抜いている。
…けだもの。
「なんでなんだよ!!!!」
虚勢の叫びだった。 
あちらもわかっている、微動だにしない。
ただ、口を開いた。


………


――…私の目は、幼い頃に鳥に抉られたんだ。 
――父はその鳥を殺し、母はそれを料理して、私がそれを食べて…いや、なんでかはわからないが。 
――…それから、お前のように二等兵になって戦場で五年程働いた。
――そこの原住民がな、あぁ、勿論味方の方だ。 
――私の目を哀れんで…そこで伝わる治し方を教えてくれた。
――最初、学のない私は、ただそれに従っていた。 
――だんだんと、病み付きになっていってるのにも気づかず。
――一旦帰還すればそれはすぐにわかった。

――欲しかった。 ただ、欲しかった。
――そして、結局父と母を殺してしまった。
――馬鹿なことをしたものだが、満足はしたな。


「隊長。」
あなたはつまり


「カンニバリズム(人肉嗜好)なのですか?」


隊長は微笑した。
「勿論目は治らなかった。 そんな嗜好を持った私は生まれたが。」
彼はようやく、あえてこの人が小隊長になっているわけを知った。
中隊長になれば、前戦に行く回数は少なくなる。 それでは、毎日食べられないのだ。
「隊長。 ぼくは、大罪を犯してしまった。 貴方の、…せいで。」
首が、ちりりと、痛む。
「あぁ。」
「ぼくは、ぼくは知っていたら食べなかった!」
美味い、とも思わなかった…!
砂漠で死にかけていたのを思い出す。 喉は乾いて、砂は気管に溜まった。
『ドラマティック』に、カミサマが、現れる。
悪魔を携えて。
あのとき、の、アレは…

「何故死にかけのぼくに、人肉なんて食わせたんだ!!」
アレは貴方の餌だろう、激情に負けて、この言葉を言わなかったのは懸命だった。
「お前が、死ぬと思ったからだ…。」
隊長は、悲しそうな顔をする。
実の父母を喰らったお前が、何を言う。
あぁ、首がまた、ちりりと、痛む。
…何故痛む。不快だ。 何を…
『何時かの夜。』
……  思い当たってしまった。
「…たいちょう。」
この言葉は、まず間違いなく、震えていたろう。
「じゃあ、貴方は、あの夜」
ぼくを、ほしょくしかけていたのか!?
砂漠のぼくを人肉で救ったのも、そのためか!?

観念したように、隊長は笑った。
「一目見た時からだ。 もし食べれるなら、食べてみたいと思っていた。」
その途端、すっと全身が冷えた。
ぼくはこのひとの、くいもの。
ばかな、ふとらされた、くいもの。
それとわかり。ならなぜ。
ぼくは、いま、なにゆえゆうちょうにはなしている?
けだものの臭いは、一層強く鼻をつき、ぼくは思い出したように、後ずさった。
けだものは、微動だにしない。
一連のショックで、怒りは悪い変化を遂げていた。
さっき殴りつけていたのが、嘘のようだ。 ぼくは、明らかに怯えていた。
助けを求めようにも、もう、あいつしかいないのだ。
「たいちょうは、ぼくをたべたいんですか?」
動いた。 肩を強く掴まれる。
「『ああ』」
牙が見える。 けだもの特有の牙だ。
そして、ただ、あのきつい碧眼が、ぼくを射抜いていた。
畏敬の念と錯覚した感情を、もう、ぼくは知っている。

きょうふ、そのもの

喉が擦り切れるほど大声を出して、あとは、
あとは…

よく、おぼえていない。




 えりっく、わたしはくるっているか、と。
 それきり、たいちょうはなにもしなかった
 かなしそうにみられるとぼくもかなしく、
 あぁ、このひとはぼくにだまっててほしかったんだな
 ときづいた
 こうかいしたけど、ときは、かえるはずなく
 たいちょうはきびすをかえして、でていってしまった
               
               
                  ぼくは、また、ひとりになる
                    また、ひとりになる
                  
                  これからも、ずっとひとりで


なら、『おれ』はずっと一人で『ぼく』を守っていく。


事実、精神崩壊寸前で。
弱い『ぼく』は必要なかった。
寧ろ、本能は強く、『ぼく』を助けられる『おれ』を必要とした。
いつからか、本脳は『おれ』を作ってしまった。
強い、強いエリック。
『ぼく』、そして『おれ』
それからの『ぼく』の世界は『おれ』だけ。
『おれ』の世界は『ぼく』の全てだった。

…おれが、自ら『ぼく』を、壊すまで。



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