わんわん赤ずきん 第2話

 
 白髪頭だった。
 大旦那様だ。青白い痩せたからだは、あの老人のものだった。

(ジョークだ、ろ。死んでない……よね)

 指で触れてみて、髪が逆立った。死体の温度だ。完全にこれは死骸だ。
 胃がでんぐり返りそうになった。吐きそうだ。

(どういうことだ)

 なぜ、死体が。なぜ、こんな風に詰められているんだ。
 ひとを呼ぼうとした時、心臓がビクリと跳ねた。

(あの男、だれだ――?)

 あの新顔の従僕。あの男はキッチンに入るな、と言った。彼はこれを知っているのだ。

 あの男はだれだ。見たことがない。お仕着せもからだに合っていなかった。

 血が凍る思いとはまさにこのことだ。

(えらいことだ。さっさとここを出なければ)

 ぼくはあわてて床から立とうとした。ところが、足首がへなりと曲がった。起き上がれない。腰が抜けていた。

(ば、ばか。ばか、しっかりしろ)

 作業台にかじりつき、必死に身を起こす。わななく足を拳で叩く。とにかく、さっさと外へ出るのだ。

 出ようとした時、またひっくり返りそうになった。
 靴音だ。あの男の靴音が近づいてきていた。

(どうしよう)

 ぼくはふるえた。なりふりかまわず走るべきか。
 だが、ぼくは意気地がなかった。悪漢から逃げたことは一度もないのだ。足が動かない。
 とにかく、かばんを開けた。料理を入れた容器を調べているふりをした。

「ここで何をしてらっしゃるのです?」

 従僕の声はいやに落ち着き払っていた。
 顔を見ることはできなかった。目を見たら悲鳴をあげてしまいそうだ。

「やっぱり、戻ろうと思ってね」

 ぼくはつとめてさりげない声をだした。「とりあえず、作ったものだけ置いていくよ。肉はこのまま焼けばいい。もうほとんど出来ているからね。これはビガラード(ソース)。キミ、これをしまっておいてくれたまえ。――れいぞうこにでも」

 れいぞうこという声がひきつれた。容器に触れる指が震えている。
 従僕がふらりと作業台をまわってきた。

「急にどうかなさったのですか」

 彼は明るくたずね、さりげなく隣に寄ってきた。

「ええっと、この家の酒は」

 ぼくはくるりと身を翻し、作業台をまわった。「ああ、ここだ。グランマルニエ。鴨は焼きあがったら、これでフランベして」

 彼が反対側からまわり、進路をふさぐ。

「ご主人さまはお戻りになられるそうですよ。少しお待ちいただければ」

 ――うそをつけ! ご主人さまはそこじゃないか。

 ぼくは歯が鳴らないように奥歯を噛みしめた。眩暈で足もとがふわふわする。床がゼラチンに変わったようだ。

「いや。どうせ、もう出来ているからオーブンで焼けば」

「そういうわけにはいきますまい」

 男ははっきりと笑っていた。「せっかくプロが作ったものを、火加減で台無しにしてしまうわけにはいきませんよ」

「火加減なんてどうでも!」

 つい声が甲高くなった。おそろしくて泣きそうだ。頼むからそこに立たないでくれたまえ。そばに来ないで!

 男が笑いながらたずねる。

「どうなさったのですか。興奮して」

「べつに。料理のことになるとこうなのさ。ピリピリしてね」

 ぼくはまた容器を調べるふりをしてくるりと戻り、「しまったな。前菜の容器がひとつない。さっきのアトリウムに置いてきたかな」

 ちょっととって来よう、とぼくは戸口に向かった。
 すると、男はすばやく戸口の前に立ちふさがった。
 浅黒い顔にグリーンの眼がなまなましく光っていた。にやりと笑った八重歯が尖っていた。

 男はもう芝居をやめていた。
 だが、ぼくはまだ牙を剥かないでほしかった。かぼそい声で聞いた。

「なんで、そこに立つの」

 男は舌なめずりして言ったものだ。

「おまえを食べちまうためさ」




 一瞬、うさぎのように足が地を蹴った。
 だが、男の爪は早かった。ぼくは途端に床に引き倒され、めちゃくちゃに殴られた。

 抵抗などできなかった。身を丸めて腹を顔を守るのがせいいっぱい。頭を思い切りなぐられ、意識がぐらぐら揺れると、もう何もできず打たれるままだった。

 気づくと、ぼくは手足を縛られ、男にかつがれていた。
 二階へ上がっていた。ドアがあけられ、部屋の中に放り込まれる。木の床にしたたかに叩きつけられた。

「そら、友だちだ」

 すぐ鼻先に裸の足があった。足指は血に濡れていた。
 頭をあげ、ぼくは咽喉をヒクつかせた。

 裸の男が立っていた。惨白いからだは青赤の痣が彩り、鞭傷が血の玉を噴いている。乳首にはピアスが鮮血に濡れ、光り、むごい錘が揺れていた。

「ンンッ、ンン」

 グロテスクなディルドをくわえさせられ、涙と血とよだれで端正な顔は見る影もない。
 だが、あの執事だった。天井からの鎖に首輪を吊られ、腰を折ることもできずにふるえていた。

「いやだー!」

 ぼくはかすれた悲鳴をあげた。思わず縛られた体でころがって逃げていた。部屋の隅まで夢中で転がった。

 だが、男は笑いながら追ってきた。
 縛られた足で蹴ろうとするが、なんの威力もない。横抱きに持ち上げられ、かるがると運ばれる。首輪に重い鎖がつけられた。

「いやだ、やめろ! ぼくはよその家の者だ! こんなこと許されないぞ」

 叫ぶ口に同じディルド型のギャグを突きこまれる。死にものぐるいで暴れるが、後の祭りだ。

 首の鎖が吊られ、ぼくは執事の向かいに立たされた。

「ンンッ――ンーッ」

「暴れるなよ。鎖を短くするぜ」

 男はぼくの頭の後ろに手を回すと、いきなり片手でぼくの首輪をつかみあげた。つま先が浮き、咽喉輪が押し潰されそうになる。

「ンーッ!」

 足が宙を泳ぐ。咽喉がつまって世界が真っ赤になった。ぼくは目を剥いて懇願した。

「わかったか。かわいこちゃん」

 男はぼくを下ろした。頭につまった血液がどっとおりて、目が眩んだ。ふさがれた口と鼻がはげしく鳴る。

「ったく――帰れっていったのに、運のねえこったなあ」

 男は離れ、声をたてて笑った。

「おれに運があったってことか。最後になると運が向いてくるんだな」

 彼は壁際の棚から一本鞭を取り出した。軽く馴らすように腕をふる。ビシリと重い音が木の床を打った。

「おれはな」

 男は言った「おまえと同じさ。ワン公だ」

 ぼくははじめてまともに男の顔を見た。いやな笑いに歪んでいたが、骨格は整っている。グリーンの眼は睫毛が長く、たしかにどこか色気があった。

「鎖を切って飛び出したのさ。じきに捕まる。捕まりゃおしまいだ。もうふたり殺してるからな。これが最後の晩餐ってわけだ。にぎやかにやろうぜ」

 いきなり背中に鞭がどすんと当たった。ぼくは口をあいたまま硬直した。棒で殴られたようだった。肺まで打撃が突き抜けていく。

 尻を、足を、斧のような鞭が襲った。ぼくは声さえあげられずのたうった。
 目の前に執事の濡れた目がある。だが、彼はなにもできず、ただおびえて見つめるだけだった。

「いいな、おまえは」

 男は笑いながら、ふくらはぎを叩きつける。跳ねかけた途端、首輪が咽喉に食い込んだ。

「かわいいスカーフして。自由に出歩いて。お姫さまみたいに大事にされてんだろう? おまえみたいなのが一番シャクに触るよ。あの変態どもよりずっとだ!」

 おっと、と男は手をとめた。

「おまえを退屈させちまったな。執事さん」

 彼は一度鞭を置き、なにか道具をもって近づいた。ぼくと執事の間にかがむと、執事のペニスをつかんだ。

「ンンッ」

 執事の眼が恐怖に丸くなった。男は執事のペニスにリングをとりつけた。さらにぼくのペニスにもリングをつける。このふたつのリングをチェーンでつないでしまった。

「これでふたりいっぺんに楽しめるぜ」

 男はまた鞭をとりに戻った。

 ぼくと執事は恐れて目を見合わせた。チェーンはたがいのペニスを引っ張っている。互いに腰を突き出さないと鋭く痛んだ。

「続きだ」

 と言ったと思うとびゅっと鞭が飛んだ。尻に重い打撃が走る。

「ンンーッ!」

 ぼくと執事は同時に絶叫した。腰がはずんだ途端、チェーンが引っ張った。ペニスがちぎりとられそうだ。

「いいぞ。踊れ」

 男はケタケタ笑いながら鞭打った。
 地獄だ。
 ぼくは首をふり、ディルドを噛んで泣いた。
 尻の切り裂かれる痛みに呻き、ペニスの痛みに悶絶する。よろければ首が絞まる。

(だれか。助けて)

 外にハスターティ兵がいた。彼らは何をしているんだ。
 誰か探していた。この男を捜していたのだ。
 はやく探し出してくれ。この男、死ぬ気だ。ひとを巻き添えにする気だ。




←第1話へ           第3話へ⇒




Copyright(C) 2006-8 FUMI SUZUKA All Rights Reserved