悪党クラブ  第17話

 ゆるしてほしい、と言うつもりはない。
 ゆるされたくもない。そんな資格はない。

 ただ、彼を敵から守りたい。もう泣かずにすむようにしたい。

「じゃあ、飛行場まで」

 助手席で先生は冗談めかして言った。

「チケット代は受け取っておく。財布をもってきてないからね」

「あなたにはもう仕事もない」

「そのうち――」

「名前もない」

「なんとかなるさ」

 先生はシートにもたれ、窓から吹き込む風に目を細めている。

 まなざしはさびしい。が、かわいている。悲痛さも恨みもない。望みもない。重荷をおろしたかのように、かわいた安らぎがあった。

 おれの視線に先生がふりむいた。クスリと笑い、

「コンラッド、――いい顔になったな」

「そう?」

「学校にいる時よりも、いい顔をしてる」

「すみません。ラテン語はちょっと――」

「いや、ふだんも。退屈そうな、かなしげな顔をしていたよ」

「そう?」

「恨んでいるような」

 おれは言った。

「退屈なんだ。学校も、家も、社交界も、将来も」

「……」

「せっかくこの世に這い出てきても、もうすべて開拓されつくして、掘り尽くされて、おれの分は何も残ってない。王国はできあがってる。要求されるのは、おとなしく椅子に座っていろってことだけだ。うんざりする」

「――王子の役目は嫌いなんだ」

「性に合わない」

 先生はまた少し微笑った。

「じゃあ、家を出ればいい」

 彼は言った。

「自分の力をためしたいなら、お父さんの庇護を捨てて、縁故もすべて捨てて、身ひとつで世界に飛び込んだらいい。ひとりで戦ってみたらいい。そして、一度、世の中に踏み潰されたらいい」

「家を出るよ」

 おれは笑った。

「今ね。あなたといっしょに」

「それはだめだ」

 先生は真顔になった。

「きみは帰るんだ。いっしょに行くのはロンドンまでだよ」

 声音は耳にここちよい。行き過ぎていく景色がここちよい。
 バックミラーに目をやり、追跡する車がないか見ている。カーチェイスになったら、と頭の隅でシミュレーションしている。そうした気の張りも悪くない。

 そして、その時が来ても、先生には最後の最後まで気づかせたくない。彼の平和をなるべく長く保ってやりたい。 




「今夜はここには泊まらない。ここにきたのは、足跡をつけるためだけだ」

 ロンドンのホテルで、おれは先生に今後の行動を話した。

 ここで金を引き出した後、海辺のリゾート地ブライトンに移動する。明後日、リョウがパスポートをもってくるから、それを受け取り、フェリーでフランスに入る。
 フランスの父の友人にしばらく厄介になり、その間に次の人生の仕度をする。

「だから、ママに電話したかったら、今のうちだ。この後は当分できない。彼らは電話網をおさえているらしいから」

「……」

 先生はさすがに元気がなかった。
 おれは彼の手に触れ、

「一生ってわけじゃない。いつか、おれがヴィラのボスにねじこんで、追いかけっこを終りにするよ。いつか帰ってこれるようにする」

「きみは――」

 先生はかぼそい声で言った。

「きみだって、今、ご両親に心配をかけているんだぞ」

「先生。うちの親とあなたの親はちがう。うちの親は――ドライなんだ。生きていればいいぐらいに思ってるよ。学校には一応、死ぬって言っておいたけどね」

 先生がおどろいて、見つめた。

「死ぬ?」

「そりゃそうさ。それが一番、敵を追い払いやすいだろ」

 先生は口をあいて、おれを見つめた。

 その午後、おれたちは列車でブライトンに入った。
 人にまぎれ、町を歩き、セキュリティのしっかりしていそうなホテルを選んだ。

(とはいえ、来る時は、客のふりして来るんだろうな)

 夕食後、先生がシャワーを使っている間、おれはまた家具をドアの前に移動した。

 さらに安全を確かめに窓を見る。
 部屋は五階だ。常人なら上っては来るまい。

(でも、特殊部隊なら侵入するだろう。上からか?)

 あれこれ考えていると、先生が風呂から出てきた。

「きみは肝が太いな。全然、こわそうな顔をしないね」

「クソ度胸だけはあるよ」

 ふりむき、おどろいた。

 先生は裸だった。
 白いすんなりした足、あらわなペニスを見て、目がはずせなくなった。

 先生は近づき、微笑した。
 手をのばし、やさしくおれを抱きしめ、ありがとう、と言った。

「ぼくはもう教師じゃないから――。コンラッド――」

 おれは一瞬でのぼせた。
 我知らず、彼を押し倒していた。



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