『こちら、カーディフSATの工場前です。売却問題で揺れているこのカーディフSATで、昨日、従業員が工場に火をつけるという騒ぎがありました』
テレビは朝から、カーディフSATの騒動について報道していた。
カーディフSAT内の一部の従業員が、アルテミスへの抗議としてゴミ箱を焼くという騒ぎがあった。
火はすぐに消し止められ、放火した従業員たちは警察に引き渡された。
これをたちまちマスコミが嗅ぎつけた。瞬時に複数のTVカメラが集まったところを見ると、この事件は予定されていたらしい。
マスコミ内にも、カーディフ内にも、サットンの手の者たちが暗躍していた。
「読んでいるんですか」
オルセンがわたしのデスクの上の雑誌を見やった。
「ベネットだ」
わたしは記事中に出てくる元アルテミス重役の談話を示した。
マリウス・ベネットは話がうまい。わかりやすい言葉で、この売却が、イギリスの国益を損なうと丁寧に説明した。
フランスとの事業の部分は軍事機密だけに、内容を宇宙事業、とおだやかにすりかえている。
『宇宙事業を一手にアメリカに独占されるようになれば、遠くない未来、イギリスはアメリカの支配に甘んじることになるでしょう』
アメリカ嫌いの庶民に食い込む論調だ。
「彼はテレビにも出るようです。テレビ局から連絡が来ました」
「ベネットにスキャンダルを持ち上げるか」
わたしはむっつりと言った。「ぼくとの関係とか」
「それはいけません。彼はヴィラの会員です」
「ああ――くそ」
ヴィラは会員のセクシュアルなスキャンダルには敏感だった。悪質な暴露は制裁の対象になる。
(――このままじゃAGM(株主総会)でやられる)
カーディフ買収の時もきわどかった。アルテミスに売国という色がつけば、株価に影響する。株価が下がれば、株主のこころはわたしから離れる。
解任されるか、解任されずとも、カーディフSATの売却は認められないだろう。
わたしはこめかみを押さえて、言った。
「陳腐化だ」
オルセンのブルーの眼がはっと見返した。
「――わかりました。早速手配します」
深夜、わたしは疲れはてて自分のフラットへ帰った。
エントランスの前に大きな人影が立っていた。
一瞬、記者かと思った。だが、なにか白い紙包みをもっている。
「よう」
聞きおぼえのある野太い声が言った。「テレビで見たよ。大変だな」
フィンだった。
わたしは虚をつかれた。あの、大きなばか犬がのこのこと現れた。なんのつもりか。
「――目の前に現れるなと言ったはずだが」
「聞いてるよ」
でも、知ったこっちゃねえな、と言った。
「おれは犬じゃねえもの。なんで、あんたの言うことを聞かなきゃなんねえんだい」
「犬に戻してやることはたやすい」
わたしは彼の傍らを通り過ぎようとした。フィンは大きな手で前をさえぎった。
「用件がまだだろうが」
エントランスは目の前にある。中からセキュリティが様子をうかがっていた。眼で合図すれば、すぐに助けに来るだろう。
だが、わたしはセキュリティを呼ばなかった。
「――わたしが欲しいのか」
「ああ。欲しいねえ」
野蛮人の顔が好色にわらう。「丸一日ベッドのなかであれがとろけるまでかわいがりてえ」
「だったら来い。くれてやる」
わたしは疲れていた。数日、陰謀のストレスでエンジンが焼き切れそうになっている。ひさびさにわめき叫んで、頭をカラにするのも悪くない。
だが、彼はついて来なかった。
「おれはいかないよ」
彼はやさしく言った。「もう、犬はいやだって言ったろ。おれはふつうの男としてあんたを抱きてえ。ふつうの、対等な男だ」
「ごたくはいい。来るのか、来ないのか」
「あんたに来て欲しいんだ。おれはこの――」
彼は紙袋をはじいた。「パン屋で働いてる。そのビルの上に住んでる。おれの言う意味がわかったら、ここへ来てくれ。おれは待ってる」
そう言って、彼はわたしの手に袋をおしつけた。
――いったい何をしにきたのか。
わたしはにわかにその無邪気なあつかましさが憎くなった。自分でもわけがわからぬほどはげしい憎悪にかられた。
袋を暗がりに投げ打つと、わたしはフィンの襟をつかみ、影へと押し出した。エントランスの光を避け、おし殺した声で吼えた。
「何をうぬぼれているんだ?」
わたしは若い男の顔にどす黒い声を叩きつけた。
「きみはペットだ。犬だ。慰み者だ。なぜ、わたしがきみをたずねていくんだ? わたしが恋しがっているとでも思うのか? きみのことなどとうに忘れていた。きみはおもちゃだ。もう捨てたペットだ。それ以上のなんでもないんだ!」
大男の影は答えない。抗いもせず、じっとわたしを見ている。
わたしは歯軋りした。
「わたしをなんだと思ってるんだ。夢の恋人か。夢の恋人か? ばかばかしい。ひとに期待なんかするな。わたしは誰にも期待しちゃいない。誰にも、期待しちゃいない!」
ベネットが裏切った。だからどうした。わたしだって相応なものだ。大勢の男を切ってきた。騙し、恫喝し、蹴り落としてきた。だからどうした。これが世界のルールだ。人間は劣悪なものだ。わたしも、誰も彼も。
「ヒステリー」
フィンのあたたかい手がわたしの手を襟からはがした。「パン屋に来な。いつでもいい」
彼はしずかに言った。「おれには期待していい。おれはあんたの夢の恋人だ。母親のように裏切らない、最後の恋人だ」
オルセンの手なみはあざやかだった。
すぐにタブロイド誌にあやしげな記事が載るようになった。
――フランスのカルト宗教の幹部の激白。アメリカ軍と宇宙人の電磁波による地球人、洗脳作戦!
――カーディフSATとピカール社は洗脳への抵抗技術を開発していた。
――アルテミス元幹部、ベネット氏はその事実を知って警告している!
「神様――」
新聞を広げて、思わず吹き出した。
『アルテミス現CEOマクスウェルは、地球を混迷に陥れるためにあらわれた惑星Xのエージェント』とあった。
「ぼくは宇宙人だったのか」
「彼らの教義上、そういう役割になります」
オルセンも笑いをこらえていた。
そのUFO好きのカルト宗教はイギリスでも有名だった。毎年、UFOを招きにストーンサークルでしかつめらしい儀式を行うため、コメディアンがよく真似をして笑いをとっていた。教祖は女性トラブルで何度も叩かれている。
「うまい――」
わたしは笑いおさめて言った。「これはうまいよ」
一見ばかばかしい記事だが、ベネットの談話がところどころにもりこまれている。宇宙開発でにごしていた部分が、宇宙人といういかがわしい概念に結びつけられ、カーディフSATの売却に反対するという意図すべてをおかしなものにしていた。
別の新聞には、ベネットとそのカルト宗教との関係が取り沙汰されている。
もっとくだけた雑誌には、すでにベネットの頭にアルミ箔の帽子がかぶせられたジョークの合成写真が出ていた。
(ひどいもんだ)
アルミ箔の帽子とは、宇宙から電波がやってくるという妄想にかられた人々がかぶっているものだ。アルミが電波を遮断するという理屈らしい。
洒落者のベネットはこれをどんな顔をして読んでいるだろう。
「テレビのほうの論調も変わってきていますね」
オルセンは言った。「もう一週間しないうちに騒ぎはやみますよ」
「助かる。AGM(株主総会)で袋叩きにあわずにすみそうだ」
わたしは新聞を片づけ、さりげなく言った。
「今日、うちへ来ないか」
オルセンは少しためらい、
「サットン封じのほうはいかがですか」
「仕掛けは講じた。あとは連絡を待つばかりだ。――エリオット、AGMの前に気分を落ち着けたいんだ」
ブルーの目がひらりと笑った。
「先に仕事を。AGMの後もあなたがCEOである保証はないのですから」
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