独裁者 第13話


 アメリカでサットンの息子が逮捕された。
 ワシントンの彼の自宅から爆薬に使う過酸化アセトンが発見された。イスラム系テロリストグループとの関係が疑われている。

 父親は急遽、アメリカへ飛んだ。
 発覚した場所がワシントンである。有罪が確定すれば、量刑は数十年ではすまない。テロとの戦いを標榜している以上、イギリス政府も下手な庇いだてはできなかった。

 その十日後、わたしのデスクへアメリカから連絡が入った。

『――ポール・サットンは司法取引に応じた』

 サットンはついに降伏した。
 息子の釈放と引き換えに、彼は経済界から引退することになった。

(番人は消えた。あとは黄金の果実に手を伸ばすだけだ)

 わたしは窓の外の暮色に染まるビル群を眺めた。

 いくつかのビルにはまだクレーンが乗っている。刻々と空を塗りつぶすように新しいビルがそびえていく。

 新しい街が生まれようとしているのに、この肌触りの冷たさはどうしたことだろう。
 人が見えない。生き物が見えない。鉄と石ばかりだ。





「止めてくれ。あのパン屋の前で」

 わたしは運転手に頼んだ。

 リムジンはゆるやかに進路をはずれ、路肩に接して止まった。

 トムズ・ベーカリーと書かれた小さなパン屋がよく見えた。まだ新しいガラスばりの店内にはこがね色のパンがきれいに並んでいた。買い物客らしきニ三の人影が見える。

 少し待ったが、フィンは現れなかった。中でパンを焼いているのだろう。
 週給300ポンド。あのでかい体をこごめ、小さなパン種にジャムを包みこんでいるのだろう。

「ありがとう。行ってくれ」

 わたしは運転手に、車を出させた。

 フィンはわたしの家にニ三度、自分の店のパンを送ってきた。パンと携帯電話のカード。カードには、下手な詩が書き添えられていた。

 ――チョコレートを半分あげよう。でも、おまえは全部じゃないといやだという。半分だって素敵なチョコレートなのに。

 胸の携帯電話が鳴った。秘書だった。

「マクスウェルだ」

『クオーツ・ワイヤレスの購入オークションで勝利しました』

 秘書の声は興奮していた。『41億ドルで落札です! おめでとうございます』

 わたしのこころは高揚しなかった。
 当然の結果だ。他社の購入金額を上回る金額を提示したのだから。『彼ら』から他社の金額はすべて知らされていた。

 カーディフSATを売った報酬だ。
 これがラインの上の世界だ。
 支配と被支配をわけるラインの上の世界。

『あの?』

「わかった。アメリカへ行く。獲物を見よう。手配しておいてくれ」




 二日後、わたしはオルセンとニ三のスタッフを伴い、シカゴを訪れた。
 記者会見に出席し、クオーツ・ワイヤレスの親会社PAといくつか事務的な手続きをした。

 その夜の会食の席でホストが席をはずした時、わたしはオルセンにささやいた。

「近いのか、前の奥さんの家」

 彼はめずらしく、決まり悪そうに唸った。「気にしないでください」

「ああ。気にしないよ。経費で出張中、ガキに会いたいだなんてとんでもない」

 彼はクリスマスに胸の手術をしていた。たるみもきれいに切り取られ、すっかり男の体に戻っていた。
 やはり、子どもに会いたいらしい。

「今後、いくらでも会えるだろう」

 わたしはワイングラスを掲げた。「アルテミスUSAをきみに任せる」

 オルセンがはっとふりむいた。ブルーの眼が大きくなる。
 わたしは鷹揚に微笑んだ。

「きみはかつてこの国で、ふたつの会社を再生させた。適任だ。クオーツをたのむ」

 オルセンが何か言おうとした時だった。
 わたしの携帯電話が鳴った。画面に映った名前を見て、わたしはたじろいだ。

「――先にホテルへ戻る。うまくいいつくろってくれ」




 わたしは急ぎ、ホテルに戻り、ロビーでその男と会った。

「ロペスさん――」

「移動します。急いでください」

 男はわたしをタクシーに乗せた。ひとつのビルの前に来ると、屋上にあがり、飛び立つ直前のヘリに押し込む。

「どこ行くんだ? 誘拐する気じゃないだろうな」

「ハハ、まさか」

 騒音のなかで、ロペスが陽気に笑った。「こいつはかぼちゃの馬車です。お城へ行くんですよ、シンデレラ」

 カーディフ買収をもちかけたのはこの男だった。
 表向きは、巨大バイアウト・ファンド、ダラス・グループのファンドマネージャーである。ある意思に沿って、外国企業を買い上げ、切り売りをしていた。

「で、どこ行くんだ」

「キャンプですよ、キャンプ」

 わたしは面食らった。ヘリはある秘密の場所へ向かっていた。

「この寒いのに? 仕度だってしてない」

「大丈夫です。こっちで用意しますから」

 シカゴの灯りが遠ざかっていく。眼下は光点の少ない深い闇に変わった。

(ついに、来た)

 腹の底がじんわりと緊張する。
 ヘリはアメリカのある名門紳士クラブの私有地に向かっていた。

 そのクラブは表向き、自然を愛する紳士のためのクラブとされている。夏場などに男だけでわいわいキャンプを楽しむたわいない遊び場だ。

 だが、わたしの向かっているロッジはそれほど無邪気ではなかった。焚き火のそばで話されるのは、この国の政策や世界経済のシナリオだった。必要とあれば紛争さえ決められる。
 この国を支配するオリュンポスだ。

「あなたを招待するには早いという意見もあったのですがね」

 ロペスがコーヒーを差し出す。「ガードナー氏が今回のことであなたをいたく気に入って、特別会員として推薦されたのです。ラッキーですよ。ここはホントに閉鎖的なロッジですから」

 わたしは興奮を噛みしめた。

「ありがたいが、正会員になることはできないのかな」

「あはは、気が早いな!」

「対等な発言権を持てなければ意味がない」

「まあ今後、みなさんの評価次第ですね」

 ヘリは暗い森の中に降下して行った。
 着陸した場所から少し歩く。目的地は遠くなかった。

 ――なにがキャンプだ。

 木々の間に立派な山荘があらわれる。その入り口には完全武装の警備兵が立っていた。

「いったん、着替えましょう」

 ロペスはわたしを中へ通した。「みなさん、まだ森のなかです」

「そんなに秘密の話なのか」

「まさか。遊んでいるんですよ。マシュマロ焼いて。はやく、あったかい格好をしてきてください」

 わたしは用意されたばかでかい防寒着に着替え、ふるえながら待っているロペスの前に戻った。
 ロペスは懐中電灯を手に、わたしを森のなかへ案内した。

「デビューがキャンプファイアーの前だなんて、ラッキーですね」

「そうなのかな?」

「火の前では、気分がなごむじゃないですか。気むずかしい人たちですが、ここでは別人みたいに陽気になるんです。半分、ボーイスカウト時代に戻ってるんですね」

 ちらりと火の灯りが見えた。焚き火のまわりの人声。笑い声が聞こえてくる。ハーモニカの音がまじっていた。
 小さな空き地がひらけ、そこに火を取り囲む人々が見えた。

 人影がわたしたちに気づく。

「ああ、来たね」

 大柄な人影がすぐにこちらへ歩み寄った。

「ガードナーです。われわれのロッジへようこそ」



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