独裁者 第14話


 暗がりに漂白したような歯がニッとならぶ。

 年間八十ビリオンドルをあやつり、世界で暗躍する大ファンド、ダラス・グループのボスだった。この男の背後にはエネルギー業界の大物がついている。
 今回のわたしの悪事の相棒でもあった。

「マクスウェルです。サットンの件ではありがとう」

「おやおや、わたしは知りませんよ。あなただ。あなたがテロリストを発見し、FBIに通報した」

「ではわたしに秘密の情報を教えてくださったのはだれでしょうな?」

 教えたどころか、裏から手をまわし、サットンの息子に爆弾を預からせたのはこの男だった。

 ガードナーはニヤリと笑って答えなかった。

「しかし、南極探検でもするような格好だね。火の前へきたまえ」

 彼は掻い込むようにわたしの肩を抱いて、みなの前に押し出した。

「みんな、レスリーだ。あのサットンを退治したイングランドの若き英雄だ」

 顔を火照らせた男たちが、ようこそ、とコップを掲げる。鋭く口笛を吹く者もいた。

 「よくやった!」

 軍の高官らしき男が怒鳴る。「あのいけすかないフランスの犬をよく打ち負かしてくれた。胸がすいた」

 男は何かを口にふくむとあごをつきあげた。いきなりぼっと火炎を噴き上げる。
 目を焼かれそうになり、わたしはあわてて飛びのいた。全員がゲラゲラ笑う。

「あぶないな」

 ガードナーはわたしを手でかばい、「ラリー、飲みすぎだ。もう戻って寝ろ。――すまんな。いつもこんなだ」

「今日はまだ脱いでないぜ」別の男が茶々を入れる。「焼けたマシュマロの投げあいっこもしてないし」

「花火をケツに突き差してもない」

「レスリー。ここはホモ大歓迎だ。おっさんばっかりだけどな!」

 みな、だいぶ酒が入っているようだった。
 どの顔もニュース番組で見るような人物ばかりだ。アメリカを代表する巨商、軍の幹部、共和党議員、民主党議員さえいた。腹をかかえて笑いころげているのは、わが国の議員ではないか。

「マクスウェルさん。紅茶にブランデーは?」

 ポットを片手に現れた老人は、いま手に入れたクオーツの親会社、PAの会長だった。

「けっこうです。今日、貴社の方々と――」

「ああ、聞いてる。ここできみとちょっと内緒の話がしたくてね」

 小柄な会長はウインクして、カップを差し出した。「こっちへ――」

 彼はわたしを焚き火の前に座らせた。ガードナーがすぐに隣に腰をおろす。
 会長は手袋をとり、

「まずは、クオーツの落札、おめでとう」

 と手を差し出した。
 わたしも手袋をとり、その骨ばった手をにぎった。礼をいう前に会長はたずねた。

「きみは北米を手に入れた。次はどこへ行く?」

「次はアジアです」

「アジアか」会長はくしゃりと笑った。「アジアもいいが、南極はどうだね」

「え?」

「ペンギンがほしくないか」

 わたしはドキリとした。

「――ペンギン・テレコム、ですか」

 長い間、恨んでいたフランス最大のキャリアだ。
 ヨーロッパ、アフリカの企業を買収する時、アルテミスはことごとくこのペンギン勢とぶつかった。鼻先から獲物をひっさらわれ、何度癇癪をおこしたかわからない。

(ペンギンか――)

 はらの底がざわめいた。
 あれを買えというのだろうか。しかし、ペンギンの図体はアルテミスと同じぐらい大きい。

「きみらアルテミスが彼らを併呑できれば、携帯市場でトップ3に繰り上げる。悪くない話だろう?」

「しかし、資金の――」

「金のことなら心配はいらない。われわれはアルテミスに増資する用意がある」

 会長がついとあごをしゃくった。ガードナーがうなずく。

「わたしたちはあなたにアフリカをきっちり制覇してもらいたいんです」

 ガードナーは言った。「今回のあなたへの支援は、そのためでもあった」

 わたしは面食らった。

「どういうことです?」

「わたしたちはアフリカがほしいんですよ」

 彼はやさしく言った。「この国もそろそろうまみがなくなってきた。現政権が終われば告発ごっこもはじまるでしょう。わたしたちはアフリカ、中東に軸足をうつしているんです」

 この国を捨てるのだ、と彼はこともなげに言った。

「アフリカは安全です。宝の山でもある。だが、あそこには、ご存知のようにフランスがしつこく張りついている。最近では新興中国も食い荒らしはじめた。あなたがた、アルテミスはそんな中でけなげに戦っていた。わたしたちは、あなたを応援することに決めたのです」

(つまり――)

 彼らはこれからアフリカを自由に切り回したい。そこで口うるさいフランス勢を駆逐するために、わたしをとりこんだのだ。

「わたしたちはアルテミスに期待している。このインフラは将来、全地球を網羅し、わたしたちの太い動脈となるでしょう」

「わたしたちの?」

 わたしは見返し、微笑んだ。

「わたしは経営に口をはさまれるのを好みません。増資は受けますが、これ以上取締役はほしくない。それでよろしければ」

 悪魔だな、とガードナーがわらった。

「金だけ出せと? だが、いいでしょう。決まりです。――さあ、仕事の話は終わりだ」

 楽しみたまえ、と彼は立ち上がった。すぐに誰かが叫ぶ。

「ショータイム!」

 口笛が跳ね上がったと思うと、数人の男がいきなりばっとコートを脱いだ。

(は)

 わたしはおどろき、息をつめた。
 彼らはまさかと思うようなピンクのチュチュを着ていた。
 歓声があがる。音楽がかかると一列になり、きたない毛脛をふりあげて踊りだした。
 火の前とはいえ、気温は氷点下である。寒くないわけがないが、みな上機嫌で踊っていた。
 全員、上院議員だ。ポーズを決め、太い声で叫ぶ。

「わがアメリカ! 世界最大のバナナ共和国に!」

 観客のひとりがガソリンを口に含み、火炎を噴き上げる。男たちは腹を抱え、子どものように笑いころげた。

 わたしはぼう然として座っていた。中年男たちのキャンプは手におえない代物だった。

 ビールボトルをマイクにプレスリーを熱唱する男。酔っ払った学者が尻を出し、屁に火をつけてみたり、いいおとながハーモニカをとりあって掴みあいをする一幕もあった。

「ヒャッ、バカ、よせ」

 隣の男があわててセーターを脱ぐと、氷が地面に転がった。それを見てまわりの男たちが抱腹する。

「パンツのなかに入れてやれ!」

「踊れ。飛べ!」

 悲鳴とばか笑い。火の前で、みな、子どもの顔に戻っていた。仔犬のように転げまわり、じゃれあい、土だらけになって笑う。
 ボーイスカウト時代の彼らがそこにいた。焼けたマシュマロをかかげ、火のかがやきにはしゃぐ子どもたちがしあわせそうに笑っていた。

 わたしは耐えがたくなり、そっと火の前を離れた。
 暗い森をとぼとぼ歩く。いつのまにか、PAの会長がついてきていた。

「かなわんね。うるさくて」

 老人はすまなげに言った。「大目に見てやってくれ。いつもクソまじめにしてなけりゃならん連中だ」

 わたしは気にしていない、とこたえた。

「きみは山歩きなどはしないほうか」

「――ええ」

「いいもんだよ。気分が晴ればれする」

 彼は勝手に話した。

「土に触れるのはいいもんだ。わたしはここに来て瞑想をするんだ。大地の中心にアースしてね。うまくいくと、すっかり自分がカラになる」

 彼は空をあおぎ見て言った。

「ここはいい。女に気をつかわなくていいし、金をせびられるわずらわしさもない。きみはヴィラのメンバーだって? 楽しいところらしいね。女がいないのはけっこうだ」




 夜明け近く、わたしはホテルに戻った。
 部屋に入り、靴も脱がずにベッドに倒れこんだ。

 ペンギン買収について考えようとしたが、殴られたようにマヒして、ただ宙を見ているだけだった。
 どこか愕然としていた。とてつもない大きな塊に打たれたようだった。

 不意にわたしは吹き出した。声をたて、身をまるめて大笑いした。おかしくもないのに、笑いがとまらなかった。ヒイヒイ咽喉をひきつかせ、ベッドの上でのたうち、笑いつづけた。

 笑いすぎて涙が出た。痙攣しているうちに、いつのまにか泣いていた。泣き、また爆笑した。

 われながら狂ったかのようだ。あまりの喪失感にどうしていいかわからなかった。

「オルセン――オルセン――」

 わたしはあえぎながら、歌のようにくりかえした。
 子どもに会え。オルセン。キャッチボールをしてやれ。抱きしめてかわいがってやれ。



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