独裁者 第16話


 頬の下はコンクリートのようだった。
 暗くてまわりが見えない。手は背後で縛められていた。枷のようだ。ヴィラで使う犬用の枷だ。

(どこだろう)

 空気がすこし生臭い。水の近くらしい。テムズ川の近くか。

(!)

 突如、鉄の軋む音がして、闇のなかにドアが開いた。数人の影が中に入ってきた。
 ひとりがなにか言ったとたん、蛍光灯がまたたいた。眼が光をきらって反射的にとじる。

「おお――」

 明るい声が言った。「よだれが出そうな光景だね。『囚われのお姫様』だ」

 薄く目をあけたが、ぼやけてよく見えない。眼鏡がなかった。

「ごきげんよう」

 人影がわたしの前にかがんだ。いきなりわたしのネクタイをつかみ、引き上げる。

「ようこそ。マクスウェルくん。愛の隠れ家へ」

 鼻に尖った鼻が触れた。フクロウのような丸い目が面白そうに見ていた。
 わたしは気づき、眼を瞠った。

「サットンさん――」

 サットンの顔がピエロのように笑みくずれた。

「また会えてうれしい。アメリカに息子を迎えに行った時から、いや、あの日、ヴィラで会った時から、きみとこうして会いたかった」

 笑った眼に刃物のような憎悪が光っていた。
 わたしはあっけにとられた。

 ――殺意。

 この男はわたしを殺す気だった。ここで。

「きみはマゾヒストだってね」

 片手がわたしの腹をつかむように撫でおろした。

「痛い目に遭うと欲情する? それなら、愉しんでもらえるかもしれんな。きみを許すことはできんが、ほんの少し、わたしの良心も救われるというものだ」

 いきなり股間をわしづかみにする。

「あ、クッ」

 痛みに身を丸めたとたん、彼はネクタイを掴み上げ、噛みつくように口づけた。いがらっぽいにおいの粘膜がはりつく。睾丸を揉み潰されそうな痛みに、わたしはもがいた。
 フクロウの眼が嗤った。

「これがきみの最後だ。楽しめ」

 彼はわたしをつきとばし、首をうしろにねじむけた。

「チョウジ、シロ」

 ふたりの東洋人が近づいた。ひとりがぱっと跳ねたと思うと、いきなりわたしの腹を蹴りつけた。

 靴が臓器がめりこみ、息がとまる。衝撃波が肋骨を被った。ショックから抜け出さないうちに二打が入った。
 苦痛にからだが痺れあがった。

 ふたりは手際よくわたしの手枷をはずし、上着を脱がせた。ベルトをはずし、下着ごとズボンを足から抜いた。裸に剥こうとしていた。

「――やっ、やめろ」

「恥ずかしがることはない」

 サットンは少し離れた木箱の上に腰をおろした。「きみは犬に掘らせるのが好きだ。この子たちは犬だよ。そういや、あの日、会ったな。チョウジ」

「ハイ、ご主人様」

 男は答え、いきなりわたしの頬に重い平手を喰らわせた。往復で打たれ、頭蓋骨が首からもげそうになった。

(なんだ、これは)

 ワイシャツがボタンを跳ね飛ばして裂かれる。アンダーシャツが引きちぎられる。

 罰か。わたしが今までなしたことの罰か。後ずさりした途端、神は怒り狂い、罪人を滅ぼしはじめたのか。

「よせ」

 わたしはあわてて首をふった。だが、男たちはわたしの髪をつかみ、咽喉をさらすと、太い首輪を嵌めた。首輪には数本のチェーンがじゃらじゃらとついていた。

 チェーンをぐいと引かれ、顎を床に叩きつけられる。痛みとともに、歯の間にじわりと血の味が染みた。

「サットンさん――」

 手首を背後に捻じ曲げられ、わたしは怒鳴った。「こんな形で復讐するのですか。ビジネスで負けて、暴力で報いるのですか」

「おかしいかね」

 サットンは葉巻をとりだし、火の上であぶった。「ビジネスで負けて自殺する男もいる。不愉快を暴力で解決するのは、自然の反応だろう」

「上品ぶるのはやめたんですか。わたしを金の奴隷だといい、薄汚いと罵っておいて、あなたはならず者になりさがるのですか――クッ」

 右足首が背中へと高くねじ曲げられていた。足枷が嵌められ、首輪のチェーンが括りつけられる。左の足首も同様に首輪につながれた。

「……ッ――」

 わたしは目を剥いた。首輪が気管を扼していた。足をのばそうとすると、首輪が引かれる。わたしのからだはハープのように海老ぞりにつながれていた。

 男たちはわたしを引き起こし、膝立ちに立たせた。首をまともに起こすことができない。腹を突き出し、身をそらさないと息もできなかった。
 わたしは恐怖にあえいだ。

 反りきった腹筋が早くも悲鳴をあげていた。太腿がビクビクと痙攣している。わたしの骨組みは硬い。弓なりにそらされ、たわんだ背骨が折れそうになっていた。

「――ならず者に? どうしてなってはいけない? わたしの息子はテロリストだそうじゃないか。親父のわたしがなぜ聖者でなきゃならないんだ。マクスウェル」

 サットンがわたしの前に立っていた。彼は葉巻の煙を吐き、

「引退させられ、汚名をきせられ、社交界からも追い出された。友人たちも去っていった。なぜ、わたしだけがルールを守らねばならないんだ?」

 彼はわたしの目の前に細い鞭を揺らしてみせた。眉をあげると、いきなりをそれをわたしに叩きつけた。

 悲鳴が咽喉でつまった。
 胸がぱっくり裂けたかのように燃えている。痛みに身が跳ね、同時に咽喉が強く引かれた。わたしは口を開いたまま痙攣した。

 ならず者か、と彼はさらに鞭を叩きつけた。

「グッ――」

 からだがたわみ、また咽喉がつまる。逃げ場のない痛みがそのまま胸腔に響いた。髪が逆立った。肋骨まで折られるようだ。

「きみは、腐ったリンゴだ」

 頬を打たれ、わたしは横に倒れそうになった。背後の男に引き戻される。

「自分だけでなく、まわりも腐敗させていく。箱ごとダメにする。きみはペストだ」

 サットンは呪詛し、鞭を浴びせ続けた。
 打撃が食い込むたびに、からだが弾み、咽喉が潰された。胸と腹は血まみれだったが、腰のほうがつらい。反り返った背骨は、何かの拍子に腰でふたつに折れてしまいそうだった。

「ヒグッ――」

 はりつめた横腹を打たれ、ぎくりとからだが爆ぜた。右の股関節に激痛が走る。腱がちぎれたと思った。
 わたしはパニックを起こしかけた。

「もうやめろ、やめてくれ」

 途端、細い鞭が鋭くペニスを斬りつけた。
 目の前が真っ白になった。のけぞり、血を噴くように絶叫した。
 すぐに後ろから大きな手が口をおさえた。再び、ペニスに激しい鞭が落ちる。
 からだの芯を鋭い杭がつきぬけるようだった。わたしは首が絞まるのも忘れてあがいた。

 押さえられ、括られ、ペニスは切り刻まれた。苦痛はゆるめられることなく全身に響く。涙だけが悲鳴のようにあふれた。

「泣いているのか。マクスウェル」

 サットンはわたしの前にしゃがみ、口から葉巻を離した。

「みっともない。許しなんか乞うな。皮膚の痛みなんざたわいないもんだ」

 彼は葉巻の先をわたしのペニスに押し当てた。
 全身が凍った。一瞬おいて、激痛が神経に突き刺さった。

「ガアアアアアッ」

 わたしはのたうちまわった。泣き叫び、ガタガタと身を揺すった。

「おお」
 サットンがわらって退く。
 背後の男たちもたじろいだように身を離した。

 水音がしていた。ペニスがいつのまにか放尿していた。尻穴からも重いものがどろどろと抜け落ちていた。
 開かれた股の間から、勝手に大便がこぼれ落ちていく。ペニスはホースのように尿を流しつづけた。

「ヒイ……イッ……」

 止めたくても、止め方がわからなかった。ショックでどこかが弛緩してしまっていた。
 サットンは冷笑した。

「汚いハラだ」

 脳天が焦げつくようだった。垂れ流しながら、わたしは恥辱に泣きわめいた。だが、声が出ない。のどが引き攣れ、小動物のようにキイキイ鳴るだけだった。

「こわいか」

 サットンは新しい葉巻を取り出し、くわえた。

「せがれの仇だ。きみにはもっと恐れおののいてもらいたい。きみの死が心地よい思い出になるように、もっといい声をきかせてくれ」



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