独裁者 第5話

 
「ようこそ」

 花咲き乱れるタイのリゾートホテルで、わたしはその男と会った。

「アルテミスのマクスウェルです」

「オルセンです」

 男は握手に気づかないふりをして、藤のソファに腰をおろした。
 面長の端正な顔に表情はない。深い眼窩にしずんだブルーの目は光がなく鉱物のようだった。半分死んでいるようだ。

「話は十分以内でおねがいします」

 男はカーディフのCOO〔最高執行責任者〕だった。
 ベネットが見つけた不満分子だ。カーディフを手に入れるために、この男の協力が要る。

「わかりました。――オルセンさん。わたしの用件は簡単です。アルテミスにいらっしゃいませんか」

 オルセンがじろりと見た。

「あなたのことは調べました。コンサルファームのご出身。アメリカではふたつのIT企業を再生させた凄腕だというのに、カーディフでは力がふるえないようですね。――いかがでしょう。アルテミスの経営陣に入りませんか。ポストはアルテミスの企業戦略担当上級副社長。吸収後のカーディフ・モバイル社長。報酬はいまの倍支払います」

 オルセンはしばらく黙ったままだった。陰気な顔からは感情が読み取れない。

「オルセンさん?」

 彼はようやく口をひらいた。

「買収はまだ成功していません」

「成功しますよ。あなたが協力すれば」

 わたしは微笑んだ。「内部情報を教えていただけませんか。今年1月のアラブとの取引について」

 オルセンは目を伏せ、やがて立ち上がった。

「ご協力はできないようです。失礼」

「あとひとつ」

 わたしは強引にその手首をつかんだ。時計のすぐ傍に赤い線があった。
 彼はハッと腕を引いた。

「――最近のものですね」

 わたしは彼の目を見つめた。

「失礼ながら、ある筋から聞きました。わたしもヴィラのメンバーです。サットンから、自由にしてさしあげられますよ」

 一瞬、ブルーの目が揺れた。

「なんの話か、わかりかねます」

「カーディフが続けば、あなたは一生、サットンに飼い殺しにされる。ろくに仕事もさせられない。ただのペットです。一生、慰み者にされ続けることになるんです。あなたがこちらへ来るなら、わたしがあなたを自由にします。二度とサットンを近づけないようはからってあげますよ」

 刹那、暗い顔に苦渋がよぎったような気がした。

「失礼」

 彼はきびすを返した。わたしはその背に言った。

「暑いのにジャケットを脱がないんですね」

 オルセンは答えず、大股で出て行った。




 カーディフか、アルテミスか、株主たちは動向を見ている。
 買付けに応募してきたのは、まだ全体の27パーセントだ。

「こっちのしめつけは1パーセントにあがったよ」

 ベネットが背後から突き入れながら、ささやいた。「イースタン・キャピタルはドイツの電気会社が、イギリス企業を買収しようとした時、9パーセントの株式を取得して、経営陣を追い出した。そろそろ来るぞ。どうする」

 わたしはキャビネットにしがみつき、悲鳴をこらえた。尻のなかの甘いペニスのダンスに腰がぬけそうだった。
 ワイシャツの上から長い指が乳首を揉んでいる。

「あふ……ア、アんッ――」

 ベネットはわらった。

「ああんじゃなくて、このまま行くと追い出されるぞ」

 この男とは一度、喧嘩別れしたはずだった。しばらく互いに何もなかったような顔をしていた。
 だが、彼は当然のようにわたしを抱いた。わたしもまた振り払えなかった。身の下のことに関しては、わたしは情けないほどこらえ性がない。

「負けない」

 わたしはあえいだ。「オルセンが、来る」

「来るかな。案外、サットンおじさんが気に入ってるのかもしれないぜ」

「それはない」

「なぜわかる」

「あの男は、ペットに、なれない――アアッ」

 オルセンは飼い犬にはなれない。彼は経営者だった。群れのボスだ。囲われて生きるには、力も我も強すぎるのだ。

「仕事しないと、腐っていくタイプ。旧いカーディフでは、生きられない……」

「きみみたいだな!」

 ベネットがいきなりスパートをかけてきた。腰をつかみ、したたかに突き上げる。

(ベネット――ずるい――)

 ベネットはわたしのからだを知っている。欲しいところを強くうがたれ、わたしはキャビネットをつかんでわめいた。渦のような快楽の潮が腰をかっさらっていく。

「アアッ、アア、ン、ベネッ……ヒッ、……」

 わたしは腹筋をふるわせ、キャビネットの枠に爪をたてた。ペニスがホウセンカのように弾け飛び、ガラス扉をよごした。同時に腰のなかにも熱い乳がひろがる。

(ああ、ベネット……)

 まばゆい雲間をただよい、彼の腕にもたれると、ここちよい涙がにじんだ。鼻先にふわりとコロンが香る。
 ベネットはやさしくまぶたにキスした。まだ息が荒かったが、こんな時、彼はひどくやさしい。

(薄情者のくせに)

 わたしは甘酸っぱいくやしさを感じた。
 不意に、フィンをおもいだした。

 ふたりの男はまったくちがう。
 フィンは単純に残酷だった。組み伏せられると、その大きさに圧倒されてしまう。原初の闇にくるまれるような畏怖さえ感じた。だが、闇のなかには篝火のようにあかあかといのちが燃えていて、抱かれるとそのぬくみがここちよい。

「オルセンの身分を買い取ってやらなければならない」

 ソファに座り、わたしは水をあおった。

「ぼくが買えれば一番だが、サットンは売るまい。だれがサットンから買える?」

「銀行だな」

 ベネットは言った。「サットンはいま銀行に背かれたくないだろう。ブリティッシュ・バンクに知り合いのパトリキがいる。いいよ。おれが手を打とう。――そんなにオルセンには価値があるのか」

「もちろん。お飾りとはいえ、やつはカーディフの中枢にいるんだ。ぼくの欲しいものにすぐ手が届く」

「なんだ?」

「爆弾」

「言えよ」

 わたしは笑った。「――マリウス。ぼくが信じられないのか?」
 ベネットは鼻息をつき、腕をわたしの肩にまわした。

「きみは天才だ。間違いはほとんどない」

「一度も、だ」

「はい。一度も」

 だがな、とわたしの襟をはじく。

「時々、何を見ているのかわからなくなる。ヤクでかっとんでるみたいに、あぶなっかしくて――こわくなる」

「心配するな」

 わたしは彼の肩にもたれた。

「オルセンは来るよ。プレゼントもって。彼が来たら、カーディフは買える。次は北米だ」




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