独裁者 第6話

 
 ばけものヘッジ・ファンドからついに不快な電話が来た。

 株主の利益を顧みず、黒字をマネーゲームですりへらすとは、アルテミス経営陣はどういう了見なのか、こんな無能な経営陣は入れ替えるべきだ、云々。

 さんざん言った後、ファンドマネジャーらしき小僧は言った。

『まだこの業界に残っていたいなら、今回のちっぽけな取引は捨てなさい。われわれに逆らわないことです』

 声の甲高さはまるでティーンエイジャーだ。相手がひれ伏すことになれている者の油断がひどく不快だった。
 わたしは哄笑した。株主とて容赦はしなかった。

「だれに向かって口をきいているんだ。ぼうや。わたしが経営者になって8年、会社は拡大し、成長をつづけてきた。前期営業利益は前年比の3割増だ。わたしを追い出す? いいとも。EGM(臨時株主総会)でやりあおうじゃないか」

 さらに激して言った。

「ヘッジファンドなんか不正会計の巣だ。そっちはどうせ、カーディフ経営陣がMBOで会社を買い取る時に参入しようってハラなんだろうが、それが見合う利益かどうか思い知らせてやるからな。こっちは欲しい情報はすぐ得られる手づるを持ってる。泣きをみたくなきゃ、ひとのやる事に口を出すな!」

 電話を叩き切ったものの、愉快ではなかった。
 情報の手づる云々は、ハッタリだ。彼らが本気でわたしを放逐しようとするなら、わたしに抗うすべはない。巨額の資金の前で、業績なぞなんのつっかえ棒にもならないだろう。

(カーディフを狙ったのは間違いか。ほかに方法はなかったか)

 社内の人間には誰ひとり明かさないものの、判断をあやまったのではないかと思うと、骨が鳴るほどおそろしかった。自分の判断をうたがう瞬間ほど、みじめなものはない。

 モニターを見ると、イースタン・キャピタルが2パーセント、アルテミス株を保有したとあった。
 わたしは奥歯をかみしめて恐怖をこらえた。

 しかし、ついにカーディフのCOO、オルセンからメッセージが来た。




 わたしは指定されたパブで彼と会った。
 オルセンは私服だった。ジャケットの下は、黒いハイネック。腕を組み、さりげなく人を近寄せないようにしている。

 ペール・エールのグラスを前に、彼は表情のない声でわたしが来たことを謝した。

「ここは? 目立たないんですか?」 

 わたしはわざと明るく聞いた。「ぼくの家のすぐ近所だ」
 オルセンは少しためらった。

「わたしのなじみのパブです。わたしはGPSに追われていて、決まったルートから動けないのです」

 犬のからだにはチップが入っている。犬には知らされない事実だが、彼は気づいたらしい。逃げたことがあるのかもしれない。

「では、話をききましょう。決心してくれましたか?」

 オルセンはわずかにうなづいた。

「わたしを自由にしてください。サットンから、永遠に」

 一瞬、躍り上がって叫びたくなった。
 カーディフが手に入ったのだ。このゲームを手に入れた。次のゲームもだ。

「わかりました」とわたしは答えた。

「すでに動いています。あなたは一時的に別の男を経て、わたしの所有になります」

 わたしは彼にサットンから買い上げる仕組みを簡単に説明し、その上で、オルセンを解放すると言った。

「解放後はふたつの選択肢があります。ひとつはあなたがヴィラの会員になること。ただし、これはむずかしく、いま会員候補者が5年待ちの状態です。もうひとつは、わたしと保護契約を結ぶことです」

「それは?」

「これはパトロネス制度というヴィラの新しいシステムです。解放奴隷の保護のため、主人が犬を解放後、ヴィラに再捕獲するな、と申請するのです。申請には年次で金がかかりますが、犬が自分で会員になるより安全です」

 会員は自分の身を自分で守らねばならないが、会員のクリエンテス(被保護者)でありつづければ、ヴィラが守ってくれる。

「犬が旧主に従わねばならないということは」

「一切ありません」

「では、それを。費用はわたしが払います」

 オルセンは言葉すくなに言った。
 その声は力なかった。広い肩がわずかに下がっていた。よく見ると、ハイネックの首もとにうっすらと赤い線がついている。
 決意するだけのことがあったらしい。

「では、こちらのお願いです」

 わたしはブルーの目を見つめた。

「今年2月、カーディフはアラブの王族を日本で饗応なさいましたね」

 オルセンは無表情に見返した。

「オルセンさん。その時の資料が欲しいのです。かかわっていた責任者は誰か。具体的な随行スタッフは? 饗宴に列席したホステスにいたるまですべてリストアップしたものがあればすごくいい。もしなければ、詳しい日程。場所。その饗応でいくらかかったのかの明細」

「あなたはどれほど知っているのですか」

「おおまかなことは知っていますよ。子会社のカーディフSATからアラブ人にマイクロサット(小型衛星)をお買い上げいただいたことも。ただ、具体的な証拠がない。数字がほしいのです」

 オルセンは少し考え込み、眉をひそめた。

「それを証明すれば、OECDが動くことになりますよ」

 OECD(欧州経済協力機構)には、他国の公務員に対する賄賂を禁止する条約がある。アラブの王子たちは全員大臣――公務員であり、饗応はこの条約に抵触した。

「OECDが制裁を求めれば、カーディフの価値が下がるでしょう」

「それはかまいません」

 わたしは微笑んだ。

「スキャンダルが必要です。わたしはこの買収に賭けているんです。やっていただけますね」

 オルセンは引き受けた。

 OECDが条約違反に対し、抗議してくることは考えられる。
 万が一、衛星の利益を没収されたとてかまうことはない。わたしが欲しいのは壊死のはじまったカーディフの体ではないのだ。




 オルセンの持ち出した『特別会計』の書類は、状況を一変させた。

 カーディフ経営陣がアラブと不正な取引をしていた事実が、パネルを通じて株主たちに知れる。

 腐敗はともかく、OECDに睨まれ、ことによると莫大な追徴金を課されるかもしれない――企業価値を下げる負の知らせに、株主たちが激怒した。

 カーディフ支持はとたんに下がった。
 アルテミスの買付けに対し、株主からの応募が85パーセントにのぼり、買収は成立した。
 アルテミスがカーディフ帝国の新支配者として認められたのである。

 わたしはヘッジ・ファンド、イースタン・キャピタルとも和解協定を結んだ。
 アルテミスの株を放出させ、プレミアをつけて買い取った。

 本当のところを言えば、イースタンの不正会計について証拠をにぎっているわけではなく、業界の噂以上のものは知らない。だが、オルセンの暴露でわたしによほどの情報源がついているとおもったのだろう。イースタンは受諾した。

 また、

『安くなったカーディフを高値で買った』

 と、アルテミスの株主が不平をいう場面はあった。アルテミスの株価にもたしかに響いた。

 だが、これはまもなく解消した。
 OECDからイギリス政府に抗議がいったようだが、政府は黙殺したのである。

 カーディフが饗応した相手はアラブだ。うるさく事をただして、石油を持っている連中を怒らせるわけにはいかないのだ。

 わたしはカーディフを手に入れた。

 記者会見の席で質問に答えながら、ひそかにぼう然とする思いがした。
 伝説の秘宝を手に入れてしまった盗賊の気分だ。浮かれるよりも畏れが先にたつ。

(これでラインの上へいける)

 頂上に手をかけた。あとは身をおしあげるだけだ。

 まばゆいフラッシュを浴び、記者に対し、合併のシナジーを説明しながら、わたしはヴィラをおもった。

 熱気球のようにからだが浮き上がっている。いまはなによりフィンの腕が恋しかった。早くはだかの犬に戻って、彼に嬲られたい。腰が抜け、歩けなくなるまで抱かれたい。

(明日の経営会議を終えたら、だれがなんといってもヴィラへ行く。朝から晩までセックスしかしない)

 だが、思いがけない邪魔がはいった。



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