独裁者 第8話

  わたしはベネットに、カーディフSATの売却は中止した、と言った。国内の売却先をさがしている、と言った。

 だが、一方で売却先のケイロン社と決済時期について話し合っていた。

 なしくずしに事を決してしまうつもりだった。その際、ベネットの良心が痛まないですむいいわけを考えなければならない。

(ああ、面倒だな!)

 わたしはヴィラの家令に連絡した。うわずった気分を鎮めるためにも、一度すっきり頭をカラにしたかった。
 今夜、遊びたい、と伝えると、家令は少し怪訝そうに、

『メッセージをごらんいただきましたか』

「見てない。なんだ」

『フィンが逃亡をはかったのです』

 二日前、フィンがスタッフを殴りつけ、ドムス・レガリスから飛び出したという。すぐに広場で取り押さえられたが、いまは地下に監禁しているということだった。

『再教育をどうなさいますか』

「再教育などいい。わたしは遊びたいんだ!」

 家令はおだやかに答えた。

『今、お遊びはできません。ご主人様に危害を加える畏れがあります。――お急ぎであれば、マギステルをご用意いたしますが』

 わたしはうめきそうになった。フィンがよかった。フィンの大きな体に爪をたててしがみつきたいのだ。

「わたしは人見知りなんだ。――フィンと話すよ。それならいいだろう?」

 その晩、アフリカへ飛んだ。
 フィンはすでに自分のセルに戻されていた。

「坊や、ミーティングだ」

 わたしはセルにフィンをたずねた。
 フィンはベッドに腰をおろし、ぼんやりテレビを眺めていた。

 彼のヌードを見て、わたしは早くも唾がわくのを感じた。
 あいかわらず、うまそうな体だった。
 大きな肩は日々アフリカの強い陽を浴びて、小麦色に輝いている。ぶ厚い熊の胸。ひきしまった腹。腰がずっしりと座り、力にみなぎっていた。

 わたしはすぐにも彼に口づけたかった。彼のセクシーな唇にキスを浴びせ、その厚い胸にしがみつきたかった。

 だが、彼はわたしを見ない。テレビを消したが、彼は動かなかった。

「契約違反があったと聞いた」

 わたしは口を切った。「きみがどういうつもりなのか聞きたい。今後、どうしたいのか。わたしと別れて別の主人を得たいのか。それとも約束通り一年で自由になりたいのか」

 フィンは答えない。無愛想な横顔を見せ、暗いモニターを向いて背を丸めている。

「フィン。わたしの考えを言おう。わたしはこれまで通りきみと遊びたい。今回のペナルティとして契約期間をひと月のばす。ただし、きみがわたしを十二分に満足させてくれるなら、約束どおり期間内できみを解放しよう」

 やはり答えない。

(時間の無駄だ)

 表情のないフィンの横顔を見て、わたしは苛立った。

「わかった。ノーということだな」

 これ以上、マゾ男の相手をするのはまっぴらだ、ということだ。わたしは立ち上がった。

「きみを売り渡す。今まで楽しかったよ」

 フィンの唇から声がこぼれた。

「あんたは」

 彼はかすれた声で言った。「おれをペットだとおもってる」

 だから逃げたんだ、と言った。
 話す気はあるらしい。わたしはまた座った。

「気の毒だが、そう思ってるよ。きみはわたしの友人がくれたペットだ。性欲を処理するために飼ってる」

「だから逃げた」

「どういうことだ」

「おれは――」

 彼は言った。「あんたが好きだ」

 わたしは彼を見つめた。

「よくわからないな。だったら――」

「ここにいたら話もできないだろうがよ!」

 彼はふりむき、青い眼を瞋らせた。

「おれは犬だ。おれが好きだって言えば、あんたは飼い犬がおべんちゃら言ってるとしか思わねえ。癇癪をおこしゃ、閉じ込められてふてくされてるとしか見ねえ。あんたはおれが人間だってことを無視したい。だが、おれは人間だ。あんたを愛してる。対等な人間として、あんたにも愛されたい。だから出て行ったんだ。出て、外で、あんたにそう言いたかったんだ」

 わたしは目をしばたいた。
 フィンの告白に面食らっていた。

――こういう理屈が来るとはおもわなかった。

 不意におかしくなり、わたしは吹き出した。

「なにがおかしい」

「想定外だった――」

 わたしは声をたてて笑った。
 フィンは顔色を変え、ぬっと立ち上がった。巨木がそびえたように、いっぺんに部屋が狭くなった。

「あんたは信用しねえと思ったさ。あんたは自分が愛されるはずがねえと思ってるんだ」

「ああ、そうだな」

 わたしは笑いおさめた。「犬でもなきゃ、わたしを愛するのは難しいだろう。まあ、それはともかく――」

「おれを解放してくれ、レスリー」

 彼は真顔で言った。「そうすれば、嘘じゃないことがわかる」

 また腹がふるえてきた。

「悪いが職業柄、セールス・トークには慣れてるんだ。色仕掛けにほだされるほど甘かないよ」

「だったら、おれの手足を切り取れ」

 フィンはわたしを見つめた。「それでなら、わかるか。レスリー。手足がなくても、這ってでも、薔薇とプレゼントをくわえて、あんたをたずねたら、そしたら、わかるか。玄関の前で、花をならべて、愛していると一万回言ったら、わかるか?」

 わたしは少し興ざめた。若者が気味悪くなった。

「フィン。なんと言おうと、わたしは今きみを解放する気はないんだ。務めを果たさないなら、他人に売るだけだ」

「その男の首を食いちぎって、あんたの前に差し出したら、おれの気持ちがわかってもらえるか」

 青い眼は幼な子のようだった。夜闇にひとすじの火を灯したようにけなげだった。
 その頬に涙がつたうのを見て、わたしは苛立った。

――犬だ。

 彼らはヒマだ。四六時中、脱走について考えている。出られないとなれば、泣き落とししかない。芝居にも熱が入るというものだ。

「あんたが欲しい」

 フィンは洟をたらして言った。

「あんたはかわいい。バカなことばっかりしたがるけど、かわいい。あんたは、雪の結晶みてえだ。きれいで、完璧で、もろくて。なんかさびしくて。迷子になった天使みてえだよ。おれはあんたを抱く時、シンから幸せだ。かわいくて、いとしくて仕方ない。叩きたくなんかねえよ。大事に、腕でつつんで、かわいがりてえ。だが、あんたはなんにも受け取れねんだ。どんなにしっかり抱きしめても、スポンジの壁があるみたいに触れねえ。ちょっとしたスリル。安っぽい芝居。あんたの目的はそれだけだ。あんたは他人を近寄せねんだ。いっつも期待はずれだから。いっつも半分しかくれないから――」

 もうけっこう、とわたしは手を振った。

「いろいろご同情いただいているようだが、わたしがきみに求めているのはそれじゃない。遊びだ。出来ないならきみを売る」

「そのほうがいい」

 フィンは洟で濡れた顔をあげた。「3ヶ月、待っててくれ。必ず会いにいく。そして――」

「いい加減にしろ!」

 わたしはたまりかねた。
 このごたくはなんだ。犬など飼ったことがなかったが、どの犬もこうしたお涙の口説きをやらかすものなのか。それとも、本気で恋愛妄想にかられているのだろうか。犬を主人役にして増長させてしまったのか。

 とにかく、この男はもう役に立たない。こんな砂糖でいっぱいのご主人様はこちらから願い下げだ。

「おまえを、売り飛ばす!」

 わたしはセルを飛び出て、ますぐにレセプションへ向かった。
 家令はおどろかなかった。

「お売りになるのですね。わかりました」

 端末に指を走らせ、無表情に言った。「あの子は面白いスキルを持っているので、すぐに買い手がつきますよ。代わりの犬を――」

「待て」

 わたしは家令を止め、ためらった。
 あの阿呆はよそへやれば、ほんとうに悲惨な事件を起こしそうな気がした。
 腹はたつが、血なまぐさいことは嫌いだ。

(プレゼントとして貰った犬だ。それほどの損があるわけでもない)

 わたしはにがい息をついて、言った。

「売るのはやめだ。解放してくれ。くそ――なんてことだ。いい。解放して。追っ払ってくれ。あ、その前にあの犬に言うんだ。わたしの前には冗談でも現れるな。現れたら、もう一度ここへ戻すって」




 ロンドンに取って返すと、秘書が青い顔をして迎えた。

「ベネット副社長が――」

 彼女はわたしにベネットのメッセージを渡した。家庭の事情を理由にした退任願いだった。
 りこうな彼はわたしに騙されたりはしなかった。

(逃げ足の速いことだ)

 首を切られる前に身を引けば、キャリアへのダメージも減る。おおかた、もう、新たな会社にしかるべきポストを確保していることだろう。

 わたしは彼女に言った。

「わかった。オフィスの私物を送り返してやれ。マリウス・ベネットを以後、社内に入れるな。旧カーディフにもだ。それと、あのカーディフから来たオルセンを呼べ」

 わたしはオルセンをカーディフSAT売却の責任者に任命した。

「出来レースだ。契約上のトラブルは出ないが、モノがモノだけに多少、トラブルがあるかもしれない。対処できるか」

「おまかせください」

 オルセンは顔色ひとつ変えず受けた。
 わたしはひとつ彼に確かめた。

「きみはカーディフSATとフランスとの衛星開発についてどれほど知ってる」

「全部」

 オルセンは言った。「あのプロジェクトはわたしが担当しました」

(おやおや――)

 では、この男はわたしが何を売る気かわかっている。どう思っているのだろう。

「では聞くが、あれは、なんだ?」

「アメリカの電磁波干渉を想定した、対抗システムです。アメリカには電離層に高周波を照射して他国を攻撃する施設があります。EU諸国が電磁波攻撃にさらされた時、衛星から位相をずらした電磁波を出してそれを相殺します」

「それは可能なのか」

「可能です。実験にも成功しています」

 わたしは口もとをゆがめた。
 アメリカ人はわたしに何を欲しがっているか具体的に言わなかった。

 無論、だいたいは知っていた。
 電磁波戦争。数年前から異様な電磁波の発生が観測され、EUはアメリカのふしぎな気象観測機に警戒していた。

「では、どう思う? この売却について」

 オルセンは淡々と答えた。

「クオーツの買収はアルテミスの戦略上、重要です。短期利益につながらないカーディフSATの売却は理にかなっています」

「けっこう」

 わたしは息をついた。
 オルセンは感情的な反応をほとんど見せない。倫理上の問題でつまづくこともなかった。これはありがたかった。ふたりのベネットと対決すれば、わたしは発狂しただろう。

「売却の件は一任する。そのプロジェクトの全貌をデータ化したものを渡してくれ」

「わかりました」

「いま、マリウス・ベネットが去った」

 わたしは彼に言った。

「わたしは有能な右腕をさがしている。期待しているよ」



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