「どこに置きましょうか」
「ああ、花はそこに」
「ええと、サインをお願いしたいんですが」
「――ハイ、ごくろうさん」
「……あの、ご主人はどちらへ」
「そこにいるよ。取り込み中だが、呼ぶかい?」
ロジェの声におれは咽喉をひきつらせた。まさか花屋を入れる気なのか。
わめきたかったが、おれにはすべがない。猿轡をされている。
両腕をダイニングの梁から吊られていた。足の親指がわずかに床に着く程度だった。
床には鉄の重石がふたつ、錨のようにおかれていた。足はそれぞれそこにつながれ、閉じることをゆるされない。
両足の間には茶色い水がたまっている。主人はおれに着替えを許さず、排泄物に重い下着をつけたまま吊るした。
「おまえにはがっかりだ」
主人はおれを睨み、指で胸をはじいた。「おまえに給仕をさせるわけにはいかん。そこで反省していなさい」
客にこの無様な姿を見せるのだという。おれは屈辱に言葉をうしなった。
主人には服従している。おれは彼に逆らえない。だが、この滑稽なドレスと糞をもらした姿を人に見られるのは別の話だ。
(いやだ。勘弁してくれ――)
だが、主人はかまわずパーティーのしたくをさせた。ロジェとサイモンはおれよりも優秀なメイドだった。さっさと汚れた床を始末し、香水をふり、花をかざった。
夕暮れ、客が現れた。
リビングで談笑している気配が伝わる。ダイニングの扉は閉じられていたため、様子がわからない。
おれは血の汗が出る思いで、うつむいていた。もう逃げようがない。破滅だ。
唐突にダイニングのドアが開いた。
「ええ。今日は仔牛らしいですよ。さあ、フレデリカ」
金髪の悪魔が客をいざなう。犬の甲高い吠え声がした。
「まあ、タフィ、いけない子。おとなしくしなさい」
おれは愕然とした。女だ。若い女がそこにいた。なぜ。
白いものが足元に転がり込んできた。マルチーズだ。そいつはおれの下にある水たまりのにおいを嗅いだ。
「あら、ルビー、あれは?」
身が灼かれるようだった。逃げたい。気を失いたい。
「うちの下女さ」
ほかの客たちも入ってくる。彼らはすぐに梁に吊られたおれに気づいた。
「どうしたんだ。あれは」
「うちの役立たずの下女だ。お客様がおいでになるというのに、床を掃除するどころか、床の上で糞をもらしやがった」
紳士たちがうめき声をあげる。
彼らはおれに近づいた。おれはふるえた。ふるえると、重いパンティからまたしずくが滴り落ちる。
「この女、まだ糞をひっているぞ」
「尻に栓をしたほうがいいな。臭くてたまらん」
「この子、どんな顔をしているの」
「メアリ、顔をあげなさい」
おれは歯をくいしばった。あまりの恥ずかしさに、こわばった咽喉から嗚咽が漏れてしまった。涙が流れ、床に落ちる。
「メアリ!」
主人の声だ。おれはふるえながら顔をあげた。涙で目の前がぼやける。主人とふたりの中年男、ひとりの美女が見ていた。
「ああ――これは」
黒い髪を撫でつけた痩せた紳士が、小さく苦笑した。黒い目を細め、かすかに首をふる。
その隣で骨柄の大きい外国人らしい男が、呆れたように何かつぶやいた。
そして、燃えるように真っ青な目をした肉感的な女。臙脂のドレスの胸は大きく開き、ゆたかな胸を見せつけている。
「この子、泣いてるわ」
女の赤い唇が残酷に笑った。「みっともない。少しは恥ずかしいのかしら」
「あとできみから言ってきかせてくれ。だが、先に飯にしよう」
主人は客たちを食卓へいざなった。
サイモンとロジェが恭しく給仕する間、客たちはおれの話をして笑った。
「なんて恥知らずな女だ。あんなものを着て悦んでいるとは」
「見事な胸じゃないか。からだのサイズに合ってる」
「よく、あんなブラがあったものね」
「パンティもだ」
「代えはあるのかい。あんなに汚してしまって」
「なければ、穿かなければいいのよ。あの格好のまま、通りを歩かせたらどうかしら」
「それとも公衆トイレに縛り付けておくとかな」
「もう腕は入れたのか」
「いや」
「わたしが慣らしてやろうか。あの女粉々になるぞ」
「わたしの足首も入るわね。あんなだらしのないお尻なんですもの」
「しかも売女だ。さっきのあの媚びた目」
「ルビー、もっと厳しく躾なければいかんぞ」
おれはうつむき、猿轡のなかですすり泣いていた。
自分がただ、ただ恥ずかしくて、死にたかった。自分が本当にどうしようもない愚かな変質者に思えた。
あの人々がさげすむのは当然だ。おれは死ぬほどまぬけで滑稽だ。
「わたし、あれが食べたいわ」
女が笑って言い、席をたつ。彼女はわたしのほうへ近づいてきた。
「フレデリカ。食事中にお行儀が悪いぞ」
ほかの男たちもついてくる。おれは顔をあげられなかった。しゃくりあげないように胸をこわばらせていた。
「顔をあげなさいよ」
女の声が冷たく言う。おれは歯をくいしばった。この女はおれの主人ではない。
「メアリ。奥様の命令が聞こえないのか」
主人の声を恨んだ。顔をあげるといきなり小さい手のひらが飛んだ。頬をはじかれ、おれはハッと見返した。
「なんなの、その目は」
美しい青い眼が冷ややかに笑った。「何様のつもりなの。お嬢ちゃん。そのかわいい目に爪をたてられたら厭だと思わない?」
おれが目をそらしかけると、また平手が飛んだ。
「こっちをごらん、と言ったのよ」
しかたなく、彼女のほうへ顎をあげた。焦点は合わせない。おれは主人が来てくれることを願った。早く、このバカ女を遠ざけてもらいたい。
だが、冷酷な主人は食卓からのんびり眺めているだけだ。
「こんなものを着て、かわいいと思ってるの。ハンサムさん」
彼女は笑い、おれの背後に回った。頭の後ろに手があたる。彼女は猿轡をはずした。
「反抗的なおまえには猿轡は許しません。自分がいやらしい変態女だっていうことを認めてもらいますからね」
洟をすすると、いきなり背中を強くつねられた。たまらずのけぞる。からだが揺れ、手が痛んだ。
黒い髪の中年紳士が物憂げに言う。「返事」
「は、はい」おれはわめいた。マム、をつけ忘れた。
「まあ、なんて乱暴なしゃべり方をするの?」
女はおれの前に戻り、ゆっくりと首を振った。
「ルビーは本当にあなたを甘やかしているようね。あなたがきれいだから? だからって図に乗っていいってことにはならないのよ。わたしがあんたが何者か教えてあげるわ。変態女」
紳士ふたりが笑った。女はふたりに微笑みかえし、頼んだ。
「ハサミをもらってきてよ」
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